私は、本業とは別に介護支援専門員(ケアマネージャー)をしている。
ケアマネの資格は5年ごとのスクリーニング制度なのだ。5年ごとに研修を受け資格を更新する。
昨日、神戸市から実務者研修会のハガキが来た。めちゃ苦手。
そうでなくても勉強が不得手なのに何時間も椅子に座って講師の話に耳を傾けると考えると憂鬱だ。
研修内容をみると朝9時から夕刻5時半までびっしり6日間あるのだ。
前回の(2年前)研修でのことを思い出したので少し・・・。
研修の中で、高齢者の人権と公益に関する項目があった。
講師は大学で福祉学を専門として教鞭をとっている教授である。
その中でその講師のあるエピソードが語られた。
ゼミで学生からの質問されたそうだ。
「日本の総人口における65歳以上の高齢者は現在23%程度である。
世界的に見てトップクラスの高齢化率であることは事実だが、
総人口に於いて少数者である高齢者に大幅な社会原資(租税)を投入するのは、
はたして公益と言えるのか?」
それに対して講師は、「高齢者」の存在が若年層にとってリアルなものではなく
自身の実感として結びついていないからこういう発想が出来るという。
講師の学生への答えは
「高齢者の問題は決して貴方とは関係のない問題ではなく、
いずれ君たちも高齢者になるわけでありゆくゆくは自身の問題であるということを自覚しなくてはならない。
つまり、今貴方達がしっかり整えておかなければいずれ自身に降りかかってくることは自明である」
とドヤ顔で語っていた。
ん?先生ちょっと違うんじゃない???僕は首をひねった。
公益とはそういうものではないと思う。いずれ自身も迎えるのだから将来を見据えて投資する。
公益とはそんな実利的なものではない。
不適切を承知で「高齢者」を「障碍者」に置き換えてみれば分かりやすいかのしれない。
駅の階段が登れない障碍者がいる。
その障碍を克服するため電鉄会社は駅に巨額の費用をかけてエレベーターを設置しようとする。
しかし、その費用は当然運賃に反映されるわけであり、結果多くの健常者がその費用を負担する事になる。
対費用効果として非常に効率の悪い投資なのだ。経済的に全くの赤字。
一部の絶対的少数者(マイノリティー)である障碍者のために、
多数者(マジョリティー)である健常者がそれを負担することは公益性がない。
だから健常者というマジョリティーの利益を追求する事が民主的であり、
駅にエレベーターを設置することは公益にかなわない・・・という論理だ。
貴方はそんな社会を幸せな社会だと思いますか?
僕がその講師なら「自身もいずれ高齢者になるのだから・・・」
絶対そういう論理は持ち出さないと思う。自身が今後そういう立場になるからではなく、
「今目の前で困っている人たちに対して、みんなで力を合わせて何かできることをしてみよう」
と考えるのが公益ではないのか。そこに打算や実利を求めるのはなじまない。
おまけ:
(↓この講師の先生、事例紹介で自分の話しに感動して泣き出した。後で聞くとこの先生が泣くのはお約束らしい)
ケアマネの資格は5年ごとのスクリーニング制度なのだ。5年ごとに研修を受け資格を更新する。
昨日、神戸市から実務者研修会のハガキが来た。めちゃ苦手。
そうでなくても勉強が不得手なのに何時間も椅子に座って講師の話に耳を傾けると考えると憂鬱だ。
研修内容をみると朝9時から夕刻5時半までびっしり6日間あるのだ。
前回の(2年前)研修でのことを思い出したので少し・・・。
研修の中で、高齢者の人権と公益に関する項目があった。
講師は大学で福祉学を専門として教鞭をとっている教授である。
その中でその講師のあるエピソードが語られた。
ゼミで学生からの質問されたそうだ。
「日本の総人口における65歳以上の高齢者は現在23%程度である。
世界的に見てトップクラスの高齢化率であることは事実だが、
総人口に於いて少数者である高齢者に大幅な社会原資(租税)を投入するのは、
はたして公益と言えるのか?」
それに対して講師は、「高齢者」の存在が若年層にとってリアルなものではなく
自身の実感として結びついていないからこういう発想が出来るという。
講師の学生への答えは
「高齢者の問題は決して貴方とは関係のない問題ではなく、
いずれ君たちも高齢者になるわけでありゆくゆくは自身の問題であるということを自覚しなくてはならない。
つまり、今貴方達がしっかり整えておかなければいずれ自身に降りかかってくることは自明である」
とドヤ顔で語っていた。
ん?先生ちょっと違うんじゃない???僕は首をひねった。
公益とはそういうものではないと思う。いずれ自身も迎えるのだから将来を見据えて投資する。
公益とはそんな実利的なものではない。
不適切を承知で「高齢者」を「障碍者」に置き換えてみれば分かりやすいかのしれない。
駅の階段が登れない障碍者がいる。
その障碍を克服するため電鉄会社は駅に巨額の費用をかけてエレベーターを設置しようとする。
しかし、その費用は当然運賃に反映されるわけであり、結果多くの健常者がその費用を負担する事になる。
対費用効果として非常に効率の悪い投資なのだ。経済的に全くの赤字。
一部の絶対的少数者(マイノリティー)である障碍者のために、
多数者(マジョリティー)である健常者がそれを負担することは公益性がない。
だから健常者というマジョリティーの利益を追求する事が民主的であり、
駅にエレベーターを設置することは公益にかなわない・・・という論理だ。
貴方はそんな社会を幸せな社会だと思いますか?
僕がその講師なら「自身もいずれ高齢者になるのだから・・・」
絶対そういう論理は持ち出さないと思う。自身が今後そういう立場になるからではなく、
「今目の前で困っている人たちに対して、みんなで力を合わせて何かできることをしてみよう」
と考えるのが公益ではないのか。そこに打算や実利を求めるのはなじまない。
おまけ:
(↓この講師の先生、事例紹介で自分の話しに感動して泣き出した。後で聞くとこの先生が泣くのはお約束らしい)