自分の教学力や論理力によほどの自信があるらしいのんかつ閣下は、
アンチ創価サイトに対して、これまで度々法論を挑んでいる。
signifie氏の『対話を求めて』や、創価ダメだし氏の『創価ダメだしブログ』などのコメント欄に乗り込んで
法論をしているのだが、いずれもまともな法論になっていない。
特に、『創価ダメだしブログ』との法論について雅彦氏は以下のように論評している。
かつて、創価ダメ出し氏と本尊論で論争をして、完膚無きまでに論破されて逃げ帰った実績がある。
彼はまともに法論すらできなかったのだ。
現証のみを強調して文証や理証が一切出せなかった。
教学力が皆無なのは明白である。
法論では勝てないと悟ったのだろう。
潔く負けを認めれば良かったのだが、そうはしなかった。
その際の言い訳というか捨て台詞が以下である。
「私はこの話し合いを、自分のブログのネタにしたいだけ、ただそれだけの事なんですから。 」
信仰者にとって一番重要な本尊論を「自分のブログのネタにしたいだけ」の為にやっていたと吐き棄てたのだ。
呆れ果てた輩である。
上記に引用したように、のんかつ閣下は、まともに法論すらできずに逃げ出したというのだ。
それは雅彦氏が書いているように、のんかつ閣下は現証だけを重要視し、
文証や理証を軽視し考えもしていないから法論に負けたのである。
当たり前の話だ。
要するに
「俺様が正しいと思っているから正しいんだ」という論理も理屈も何もないひとりよがりの「俺様基準」で考えているからなのだ。
「自分が創価で信心して功徳の現証を得た。だから創価は正しいんだ」
それだけなのだ。
文証だとか理証だとか、そういう客観的な根拠や証明は無視し、
自分が主観的に「功徳の現証を得た」と思い込んでいることをもって正しさの基準にしているだけなのだ。
それにしても、大口叩いてるくせに口ほどにもない奴だ。
そんな客観的な証明もできない者が法論を挑むなどというのは100年早いのではないか?