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主としてメディア系で新規事業を考えるときのヒント。基本的には竹田茂のメモ帳。

携帯大学

2005年11月14日 | Weblog
携帯大学β版を公開します。
詳しい説明はこっちのブログのほうが判りやすかったりして(笑)

ケータイで
http://k-dai.jp
からアクセスしてください。
ご支援宜しくお願いします。

パーソナルスペースへの割り込み

2005年11月14日 | Weblog
電車で運よく座れて雑誌・新聞などを読んでいるときに、隣に座った他人から覗き見されるのは実に気持ちが悪い。この気持ち悪さには2つの理由がある。1)なんで俺がせっかく金払って買ったものをあんたはタダで読もうとするのか、そして、2)パーソナルスペースに割り込もうとする気持ち悪さ、この2つだろう。ではどちらが主たる理由になるかなと自分で実験してみた。

読み終わった雑誌を網棚などに置く。今度は吊革につかまった他人がそれを手に取る。なんだかじっくり読んでいる。しかし、自分自身に「もはや不要なもの」という意識があるためか、先ほどの気持ち悪さとは比較にならないくらい「どうでもいい」である。

というわけで、2)の「パーソナルスペースへの割り込み」が気持ち悪さの主たる原因である、と結論づけることにした。一般にパーソナルスペースの相当な割合を支配しているのは自分自身の視野(視野角)で、親しい間柄でそれを共有するのはむしろ楽しいのだが(覗き見しているのが恋人だったらむしろうれしいくらいだろう)、これが他人の場合、喧嘩の原因になるのだ。ばかですね、男って。

時系列のマジックと後知恵バイアス

2005年11月08日 | Weblog
ある最良の結果は、通常、たくさんの因子がその原因になっているのだが、それだと話が面白くならないので、もっとも説明がクールで単純になる因子を意図的に抽出することで、「私は△△で成功した!」というプレゼンテーションが出来上がることになる。△△(原因)があったからこそ、今の成功(結果)があるのだ、という論法にすり替わる。事実は逆なのだが、素直な人は「お。そうか、△△か。じゃあおれも」と考えてしまうのだ。それ、ほとんど役に立ちませんから。

しかし、ややこしいのはそのように主張しプレゼンテーションする当人でさえ、本当に△△が原因だったと思い込めることだ。記憶の素晴らしさと、それと背中合わせになっている危うさがここにある。そういう視点から日経で連載されている「私の履歴書」を読むと実に面白い。

落語は電車で聴けない

2005年11月08日 | Weblog
あるAV機器メーカの方に聞いた話なのだが、綺麗な映像の感動というのは、長続きしないんだそうである。確かToy Story2を銀座で見たときだったと思うのだが、HDDに記録されたDLP Cinemaというものを始めて体験し、「へえ、こりゃすごい」と思ったのだが、ものの10分もしないうちに、その綺麗な映像を「あたりまえのもの」として受け容れ、感動を忘れている自分がそこにいたことを思い出した。視覚は順応性が高いのだ。解像度は、それ自身が強いメッセージ性を持つ(同じ写真でも解像度によって感動が違う)というのは事実なのだが、こと感動の持続性にはつながらない。

それに比べると、(正確な表現ではないが)音の感動は持続する。静寂から爆発音までの音のダイナミックレンジの幅に耳はなかなか慣れるということがない。慣れない分だけ、感動(衝撃)も適度な間隔で引き起こすことができる。つまり映像のキラーアプリケーションは、実は音である可能性が高い。

音のテンポ、音量などがダイナミックに変化するもののひとつに落語がある。個人的には古今亭志ん朝が好きで、電車の中で聴いていたりするのだが、このダイナミックレンジの広い落語というのは、予想以上に騒々しい電車の中で聴くのには向かない。一本調子の音楽であれば、ある程度、音の隙間を脳による想像で埋めることができるのだが、落語はそうはいかない。細かいニュアンスを嗅ぎ取るためには「静寂という地面」が必要になる。

様々な新しい映像ビジネスが模索される中で見落とされがちになる「音」にもうすこし注意を払ったほうがよいかもしれない。

「●●はもう古い、これからは▼▼だ」

2005年11月04日 | Weblog
「●●はもう古い、これからは▼▼だ」という使い古された慣用句は、メディアという、当事者(プレイヤー)足り得ない第三の観測者が、差分の変動でしか生き残れないということを端的に表すパラフレーズに過ぎない。同時にこれは情報と言われるものの本質でもある(差分こそが情報である)。その他大勢のユーザーに巻き込まれ、身を委ねたいなら、これを額面どおりに受け止めるのも居心地がよい。

しかし、事業開発の立場からすれば「ほほう、▼▼と来ましたか。では▼▼ではないもので、現在存在しないものが何かを考えてみよう」と考えることに最もリアリティがあるはずである。バスにかろうじて乗ることができた人の利益率は低い。他の乗り物に乗ることを考えるというのは二番目の選択。重要なのは、存在しなかった乗り物を自分で作ってみることでしょうかね。走らなかったりするんだけど。