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主としてメディア系で新規事業を考えるときのヒント。基本的には竹田茂のメモ帳。

時間の長さで意味が変わるもの

2006年03月14日 | Weblog
「投機」と「投資」はどう違うか?ということを、倫理的な問題として捉えようという議論が多いような気がする(昨日の日経本紙にもそんな記事があった記憶が)けど、ピンとこない。

同じ行為(株の売買)が単位時間あたりのイベント数で多い場合が「投機」、少ない場合が「投資」じゃないかしら。「多い」と「少ない」の差は感覚的で、曖昧で、一本の線上にあるものだろう。

同じような意味で言うと、人の評価を一年で決める場合が「成果主義」、何十年もかける場合は「年功序列」と言う。でもこれは本質的には同じ行為(人は他人を客観的に評価できる、という無謀な前提)。

という具合に、その行為に費やす時間の長さが違うだけで、同じ行為に別の言葉を割り当てているケースって他にもたくさんありそうだ。思考実験としては面白い。

2日なら旅行だけど、1週間なら家出、とか。セクハラってのが「行為と人格(あるいは関係性)のパッケージ」ってのも同じことか。あ。これは時間は関係ないな。

いずれにせよ、それ(時間軸)を前提として共有しないでスタートする議論は、甚だ馬鹿馬鹿しい、ということにもなる。

ああ忙しい、のに書いてしまった。

情報の氾濫

2006年03月13日 | Weblog
「膨大な情報が溢れている、とよく言われているが、溢れているのはプレゼンテーションであって情報ではない」という本日のミーティングでの橋田さんの台詞が心に残る。というわけで詳細を聞きたい人はこちらまで


3月24日(金曜日): 13:00~17:00

【3月24日:シンポジウムのお知らせ】

2006年02月27日 | Weblog
ブロードバンドインフラの整備や携帯電話の爆発的普及を背景にした、大量のデジタル映像データの流通と、それに伴う通信と放送のビジネスモデルの変革、などが話題になっているわけですが、それって「生活者視点」から見るとどういうことなのか、どう付き合っていけばいいのか、どういう課題があるのか、というところの議論が欠落しています。

というわけで、生活オントロジーに基づいて構造化された良質のコンテンツをプロのクリエータや一般の生活者が制作し高度利用することは可能か?というテーマでのシンポジウムを実施します。私は第2部のモデレータとして参加します。ボイジャーの萩野さんと朝日放送の香取さんが席を並べるパネルディスカッションって絶対面白いです。

参加無料ですので、ぜひお台場までお越しください。

3月24日(金曜日): 13:00~17:00
詳細はこちら

妄想というエネルギー

2006年02月22日 | Weblog
地下鉄に飛び乗る。ふと車内吊りに目が行く。黒木瞳の顔がどーんとフィーチャされた日立のDVDカメラの広告だ。

「黒木瞳はこのDVDカメラを使っているのだろう」
「黒木瞳が、このDVDカメラがいいよ、と言っている」
「黒木瞳のような女性を映像に収めることができそうな気がする」
「黒木瞳が俺を見つめている。俺のことが好きに違いない」
「黒木瞳が自分のカミさんだったような気がしてきた」
と、3秒くらいの間に劇的なスピードで妄想が膨らんでいく。

この広告には上記のようなメッセージは何一つ含まれていないにもかかわらず、人間は常に「対象物の間にはなんらかの関係性があるはずだ」と考えるクセがあるため、勝手に黒木瞳と日立のDVDカメラとの関係、さらにご丁寧なことにそれを観察する自分との関係(そのカメラを使った楽しい家庭生活、といったもの)までイメージしてしまう。実に幸せなことである。

しかしこの妄想は、エネルギー源として極めて重要な役割を果たす。当たるわけがないとわかっている宝くじでも、とりあえず一枚でも買っておけば、当たる確率がゼロではないという妄想がエネルギーになる(のだろう)。

病に倒れて死期が迫っても、楽しみにしているイベントなどがある場合、人間には、なんとかそのイベントまでは持ちこたえようとする能力があることが統計的に知られている(誕生日までの生存率と、誕生日後の死亡率などが顕著)。

妄想から発熱されるエネルギーを提供してくれる広告産業は素晴らしいのだ。

これを書こうと

2006年02月08日 | Weblog
電車の中なので思いついてから、あとでそれが何だったか思い出せない状況が続いています。なんだかやばい。