「投機」と「投資」はどう違うか?ということを、倫理的な問題として捉えようという議論が多いような気がする(昨日の日経本紙にもそんな記事があった記憶が)けど、ピンとこない。
同じ行為(株の売買)が単位時間あたりのイベント数で多い場合が「投機」、少ない場合が「投資」じゃないかしら。「多い」と「少ない」の差は感覚的で、曖昧で、一本の線上にあるものだろう。
同じような意味で言うと、人の評価を一年で決める場合が「成果主義」、何十年もかける場合は「年功序列」と言う。でもこれは本質的には同じ行為(人は他人を客観的に評価できる、という無謀な前提)。
という具合に、その行為に費やす時間の長さが違うだけで、同じ行為に別の言葉を割り当てているケースって他にもたくさんありそうだ。思考実験としては面白い。
2日なら旅行だけど、1週間なら家出、とか。セクハラってのが「行為と人格(あるいは関係性)のパッケージ」ってのも同じことか。あ。これは時間は関係ないな。
いずれにせよ、それ(時間軸)を前提として共有しないでスタートする議論は、甚だ馬鹿馬鹿しい、ということにもなる。
ああ忙しい、のに書いてしまった。
同じ行為(株の売買)が単位時間あたりのイベント数で多い場合が「投機」、少ない場合が「投資」じゃないかしら。「多い」と「少ない」の差は感覚的で、曖昧で、一本の線上にあるものだろう。
同じような意味で言うと、人の評価を一年で決める場合が「成果主義」、何十年もかける場合は「年功序列」と言う。でもこれは本質的には同じ行為(人は他人を客観的に評価できる、という無謀な前提)。
という具合に、その行為に費やす時間の長さが違うだけで、同じ行為に別の言葉を割り当てているケースって他にもたくさんありそうだ。思考実験としては面白い。
2日なら旅行だけど、1週間なら家出、とか。セクハラってのが「行為と人格(あるいは関係性)のパッケージ」ってのも同じことか。あ。これは時間は関係ないな。
いずれにせよ、それ(時間軸)を前提として共有しないでスタートする議論は、甚だ馬鹿馬鹿しい、ということにもなる。
ああ忙しい、のに書いてしまった。