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主としてメディア系で新規事業を考えるときのヒント。基本的には竹田茂のメモ帳。

お寺で合コン

2005年08月31日 | Weblog
お寺で合コンという風流な企画があった。こちらはオトコ3人、先方は女性3人。しかも会ってみると、タイプが違うのに全員がすごい美人。話ししてもすごく楽しい。「うわー鼻血が出そうな状況だなあ」(→なんだか古いねオレも)と思いながらトイレにいったら血尿が出た。「うわっ」と思った瞬間に目が覚めた。

よくよく考えてみるに、お寺は増上寺だったのに、場所はなぜか池袋なのである。「ヘンだよなあこの状況」と思いながらも「ま、いいか」と無理やりナットクしようとしていた自分がそこにいたのを思い出し、なんとも哀しい気分で今日の私はスタートするのである。

記憶と記録

2005年08月26日 | Weblog
記憶という過去の断片は、現在の状況を説明しやすい形、現状に都合のいい形で再構成される、という言説はかなり一般的になってきていると思うが、重要なのは「というわけで記憶などというものは曖昧でいいかげんなものだ」ということではなく、その前提を受け容れた上で現在の我々が表現されている、で、それこそが事実である、ということだろう。

SNSやブログで自分の日常を赤裸々に暴露しているものが散見されるが、これはかなりリアルタイムの「記録」に近く、しかもそれを「公開」していて、当事者ではない人でもその気になればすべて「保存」することができる。で、実はこれが「記憶の再構成」の障害になるケースが必ず出てくる。特に人間関係の記述についての慎重な配慮がない場合、その「記録」が、最も最新の人間関係をブチ壊すことになる。

ゲームの居心地の悪さ

2005年08月25日 | Weblog
ゲームソフトは楽しい。楽しい時間は猛烈なスピードで過ぎていく。「こんなことやってる場合」ではないこともよくわかっているのだが、やめられない。さらに、一段落した時のあの空しさ。一番マズいのは「他にやるべきことがあっただろうに」と思った瞬間。「他にやるべきこと」と「ゲーム」に有意な差が見つけられない。仕事もゲーム、遊びもゲーム、そしてゲームはもちろんゲーム。というわけで、みな同じなのである。

誰も球場にこなくなる

2005年08月13日 | Weblog
1927年の今日は、初めて高校野球がラジオで中継された日なのだそうだ。それまでは「ラジオで中継したら誰も球場にこなくなる」という反対の声が大きく実現しなかったのだ。

新しいメディアは必ずこういう扱いを受ける宿命にある。そして、まことしやかなわかりやすい論理が先を見る目を曇らせる。

「HDDレコーダなんか普及したら誰もCMを見なくなる」、「ネット配信なんかやったら誰もCDを買わなくなる」という議論は、納得しやすいのが盲点であり、オピニオンリーダ/アーリーアダプターがそれを「実践している」という点がやっかいなのである。

1995年に初めてニュースサイトを立ち上げた頃、「いやー。オレ新聞やめちゃったよー。ネットで充分だ」という知人が周りにわんさかいたのだが、なんだかそれが、やけに「無理しちゃってる」ように思えたのは気のせい?