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みやざきの雑感帳

横浜の、富士山の見える家に住んでいます。
家のこと、バイクのこと、生活のことなど、気が向くままに書いています。

スポーツ

2007年03月24日 23時24分19秒 | 雑感帳

世界フィギュア選手権女子フリーの決勝をテレビで見ていた。


キム・ヨナはジャンプで失敗もあったけれど、ジャンプもスピンも流麗な動きでとても美しいと思った。浅田真央と安藤美姫はミスの少ない演技で高い得点を出していた。


特に、キム・ヨナと中野友加里の演技に、トリノ五輪の時の荒川静香の演技に感じたのと同じような優雅さと美しさを感じた。昔NHKのBSで見た、ボリショイバレエのプリマを思い出した。


競技事なので順位付けが発生する。最終演技の安藤美姫が金メダルを取ったのは、日本人として素直にうれしく思った。そこまでは普通の気持ちで見ていたのだけれども、その後の映像で心底いやな気分になった。


表彰台でメダルを授与されるとき、金メダルの安藤美姫、銀メダルの浅田真央はメダルを受け取る映像が映ったのに、銅メダルのキム・ヨナがメダルを受け取るタイミングでは何故か安藤美姫と浅田真央が映されて、キム・ヨナが受け取るシーンが映らなかった。その後、三人でそろって手を振り、メダルを手にするシーンでも、三人が揃った表彰台の全体を映せばいいものを、安藤美姫と浅田真央の二人だけが画面に映り、キム・ヨナは全く映像に出てこない。


どんな思惑があるにせよ、世界大会で三位に入賞した選手に対して、あまりにも失礼な態度じゃないだろうか。どのような人であろうが、どの国の人であろうが、同じルールの下で競い合い、結果的に好成績を残した人を率直に讃えるということができないのだろうか。


日本のテレビ局なんだから日本人に着目して特集を組んだりするのは理解できる。でも、表彰の場の映像にまでバイアスを加えるというのは、スポーツマンシップというか、そのような精神にもとる行為だと思う。


テレビ局は、日本人だけを映したほうが視聴者の受けがよいと思っているんだろうか。だとしたらずいぶんバカにされたような気分になる。それとも、本当に視聴者の受けがよくなるんだろうか。だとしたら、日本人として情けない限りだ。


マスコミが日本人だけに着目し続ける映像を流すようになれば、それをみて育つ子どもは、世の中には外国もあるけれども、とりあえず日本の中で競っていさえすればよい、と思い込んでしまいそうに感じた。いわゆる島国根性というやつだろう。


それに、あの映像をみた韓国人や、韓国人に限らず日本人でない人がどのような印象を持つか、少しでも考えているんだろうか。


弁慶橋清水

2007年03月18日 23時38分24秒 | 雑感帳
赤坂プリンスの別館・弁慶橋清水で会食をした。

普段はなかなか入ることのできないところだ。風情のある中庭に400年前の石橋がかかっている。建物の中は穏やかなお香の香りに包まれて、畳も調度品も押し付けがましくなく、品の良い高級感を感じてとても気持ちよく寛げる。

18日は桜の開花予想の日だったのだけれども、直前になって寒い日が続いたり、そもそも気象庁のデータ処理ミスだったりして、少し膨らんだ蕾を楽しめただけだった。

会食は思った以上に和やかに、楽しく話が弾んだ。記念品を交換し、これからの予定を話したあとはお互いの家族の田舎の話や趣味の話。家族が一気に倍になるのだから、目の前にいろんな世界が広がって、決して今までの自分が狭いつもりはないけれど、これからどんな時間が待っているのか、とても楽しみになる。

二時間半ほどゆっくりとすごし、贅沢な膳とプレミアムモルツ四本とと惣花を6合弱空けてから、みんなで記念写真を撮った。強い風がまだ冷たく感じられたけれども、これから暖かくなりそうな気がした。

やっと、最初の大きなイベントが過ぎた。これから、もうちょっと大きなイベントが控えていて、それが過ぎたら、永く続く時間が待っている。焦らず、ゆっくりしすぎず、自分のペースを守って、でも今までの自分にこだわりすぎず、楽しんでゆこう。

期待

2007年03月15日 00時00分59秒 | 雑感帳
一見、不条理かもしれないと思っても、たびたび聞かされると信じてしまう。
自分のやっていることに意味があると思い込むと、期待を持つ。

信じる方が悪いと思っていても、信じたほうが楽になるから、信じる。

でも、ある時、やっぱりそうでもないんだなって思う。
#まぁ、半年程度で考え方がいささかなりとも変わってしまう僕もどうかと思うが・・・

さて、
1)世の中は所詮不条理なことだらけなんだから、こういうもんだと思って暮らす
2)不条理に背を向けて孤独な暮らし方を模索する
3)不条理を正そうと努力する
4)自分が許せる範囲で不条理に付き合いつつ暮らす

もちろん、妥当な落としどころは4)のはず。みんなが、自分が許せる範囲や、自分の判断が周りの人に与える影響が妥当な範囲で暮らす選択をして、世の中が回っているのだろう。

自分が許せる範囲って、うっかりしていると、どんどん範囲が広がってゆく。これは僕の性格なんだろう。ゴールが明確に決まっていないときに、よくこうなってしまう。

とは言え、

5)実は、不条理じゃないと気づいたつもりの僕が間違えていて、実は合理的だ

という解釈もありうる。忘れないようにしよう。

しかしまぁ、疲れる一ヶ月だった。あと二日だ。

鹿沢温泉

2006年11月26日 23時14分13秒 | 雑感帳

月曜日に、温泉に入りたくなった。

火曜日に候補を列挙して、木曜に予約を取った。前々日でも予約が取れる宿があるもんだと感心しながら、楽しみに土曜日を待っていた。

土曜日、いろいろあって関越に乗ったのは14時頃だったろうか。渋滞もなくすいすいと進み、上信越へと進む。

時間に余裕があったので軽井沢で降り、鬼押ハイウェーを走る。いい天気だが気温は低い。浅間山が濃い茶色の山肌に粉砂糖のような雪をかぶり、巨大なガトーショコラのように見えた。思わずオープンにして走ってみるが、恐ろしく寒いので30秒で閉めてしまった。

途中で県道235を左折し、更に浅間広域農道を走ってみる。以前バイクで走った事のある道だけれども、右手に四阿山、左手に浅間山を眺められる眺めのよい道。適度に林を抜け、適度に民家を縫い、山肌の紅葉を楽しむ。 

県道94にぶつかると新鹿沢温泉の宿が並ぶ。少し湯ノ丸方面へ登って現れる鹿沢温泉紅葉館が今日の宿。温泉はよいはずだが宿の雰囲気は全くわからない状況で行ったのだが、相当年季の入った建物に思わず引いてしまった。

宿の中はとにかく旧く、寒かった。80歳のおばあちゃんが住んでいそうな畳敷きの部屋に通され、鄙びた雰囲気の炬燵にあたって柿を食べてから温泉へ。しかし秘湯を守る会会員だけあって湯は素晴らしい。決して熱いわけではないけれども、しばらく入っているとぽかぽかしてきて入っていられなくなる。15分ほど浸かってから夕食。決して豪勢ではないけれども、嬬恋の地の物を使った美味しい皿が並ぶ。冷たい清流で育った二年物の岩魚はそこら辺の岩魚とは味の濃さが全く違って、じっくりかみ締められる。嬬恋のジャガイモをふかしただけのものが甘く、味が濃くて贅沢な気持ちになれる。同じく嬬恋の男爵コロッケも香りが良くて、あっという間に食べてしまった。刺身はもちろん刺身コンニャク。鍋物はキノコうどん。シメジと舞茸だけのシンプルな饂飩だけれども、シメジの香りがよく、舞茸が柔らかくてとても美味しかった。名前を聞かなかったけれども地酒の熱燗を二合呑み、更にまたたびのお酒を頂いて、満足して部屋へ戻る。

部屋に戻ってしばらくすると寒くなってくるのでまた温泉へ。暖まってからさっさと布団へ入り、寝たのは22時過ぎだっただろうか。

朝は朝風呂に入ったりしてゆっくりし、10時ごろ出発。湯ノ丸高原地蔵峠までは10分程度。この峠はバイクで何度も来た事があるけれど、車で来たのは多分初めて。朝ごはんをたくさん食べたので、腹ごなしもかねてコースタイム60分の山道を歩き、標高2101メートルの湯ノ丸山山頂へ。

山頂はなかなかの眺め。北アルプス、八ヶ岳、中央アルプス、日光、谷川岳、万座、白根と360度の眺望を楽しめる。特に北アルプスの連峰が雪を頂いて美しかった。

地蔵峠に戻り、少し休んで出発するとすぐに小諸。先週も来たなぁと思いながら国道を走り、マンズワインの小諸ワイナリーへ。ドライバーは試飲できないけれども、連れがたくさん飲んで幸せそうだった。赤ワインと白ワインと葡萄ジュースと干し葡萄を買い、軽井沢方面へ。

山歩きの後なのでずいぶんと腹が減った。軽井沢に向かう途中で見つけたやまへいという店に入ってみる。なかなか美味しい店だった。蕎麦も美味しかったけれども、315円で頼んだ野沢菜の天婦羅がとても美味しくて、いい気分になれた。

そろそろ夕方。佐久I.C.から上信越に乗り、横川と上里で休んでから通常どうりの帰宅コースへ。帰ったのは23時だったろうか。

 

ゆっくり温泉宿で休むと、元気が湧いてくる。

明日から、頑張ろう。


小諸2006秋

2006年11月19日 22時26分03秒 | 雑感帳

毎年春と秋にやってくる、小諸での一泊二日ツーリング。もういったい何度ここに行っただろうか。

今回は木曜から別件で寄居にいたため、10時前過ぎに出発して皆を追いかける。雲ひとつなく青空の広がる県11を西に進み、嵐山、小川と進んで定峰峠を越える。定峰峠は行ったことないと思っていたのだけれども、現地で眺めてみるとなにやら見覚えのある風景。昔、正丸峠あたりを走っていた頃に顔振峠~刈場坂峠~定峰峠と尾根を伝って走る奥武蔵グリーンラインを走った事があったのだった。

よくまぁいろんなところを走っているなと自分に妙に感心してから秩父方面へ降りる。どうせ秩父は渋滞だろうから、県82を北上し長瀞付近をかすめて皆野町へ。県37~県71と伝ってR462へ出て、更にR299へと進む。県37は地図上ではただの田舎道っぽく見えるが、緑に囲まれるセクションもあったりしてなかなか楽しい。更に、土坂峠を越える県71は道幅が広く、見通しが良くて適度な勾配があり、さらに交通量が少なく素晴らしい道だった。ここら辺は以前から気になっていたけれどもなかなか走る機会のなかった道なので、走れてよかった。

R462に出て道の駅万葉の里で一休みして携帯をもてあそぶと、みんなすぐ近くの道の駅上野でお昼を食べているとの事。さくっと追いついてその後は一緒に走る。今回はZX-9R、GSX-R600、CBR400RR、Balius銀、Balius青、R1200RT、ZR-7S、FZ1とCBR600F黄青。R299~県45~県93と走りなれた道を通って佐久市に入る。県93は前回の小諸の帰り道で使った時には真っ白な霧の中を延々とストイックに走り抜けたが、今日は乾いた路面と眺めのよい景色が迎えてくれた。とは言え交通量が少ない道なので、路肩に積もる落葉松の落ち葉の量もやや多め。狭いアスファルトを幅いっぱいに使いながらヘアピンをゆったり抜けて走った。

11月中旬ということで、田口峠程度の標高でもずいぶんと気温が低い。日が落ちる前に買出し&宿準備を終わらせるため、さっさとR141を北上し、いつものスーパーへ。車組の親子連れと合流し、買い物班と宿準備班に分かれる。僕は買い物に付き合い、GSX-R600くんが選ぶ食材をカートに盛り上げてレジへ。今回は36000円程度だった。しかし食料品だけでこの値段はものすごい。レジを通るのに10分はかかった様な気がする。

車があると買い物の荷物運びがラクで助かる。暗くなる前に宿につき、ストーブで身体を温めながら食事を待つ。今回もGSX-R600くんが厨房を取り仕切り、一般人は餃子を包んだり生春巻きを包んだり。

車やバイクで追っかけてきた後追い組が続々と到着する頃、次々と美味しいものがテーブルに並ぶ。普通にスーパーに売っている肉が、どうしてこんなに美味しく焼きあがるのかさっぱりわからないほどに、牛肉も鶏肉も柔らかく、美味しい。鶏の焦げ目の香ばしさと肉の柔らかさには感動すら覚えた。

今日は幹事のZX-9Rさんの誕生日を一足早くお祝いするスペシャル企画も準備されていた。デコレートされたロールケーキにトッポが刺さって振舞われ、くんずほぐれつのプロレスのような取っ組み合いのようなわけのわからないシーンが展開され、予定通り複数の角度から写真が撮影される。すっかりお約束になってしまったネタだが、何度見ても腹が痛くなるほど笑える。

今回はデザートのレアチーズケーキまで準備され、デザートをひたすら食べ続けるに女性が多数見られた。夜三時までいろいろなんだかんだと話しながら時間が過ぎて行き、眠りについたと思ったらあっという間に朝。二人いる子どものために朝早くから轟轟戦隊ボウケンジャー、仮面ライダークウガ、プリキュアとテレビから叫び声が鳴り響き、とても寝られたものではない。小さい子を持つ親は大変だろうなとつくづく思った。

日曜日は怪しい雲行きで始まり、パラパラとした雨で昼を迎える。パンを食べたりレアクリームチーズを食べつくしたりとしてゆっくりと時間が過ぎ、出発は11時30分頃だっただろうか。気温が低く雨が降るので今日は寄り道せずにさっさと帰ることにする。佐久I.C.から上信越に乗り、横川S.A.、高坂S.A.と普通に走って皆と別れる。バイクの神奈川組は今回はGSX-R600くんだけ。練馬で降りてから目白通~環七~駒沢通~第三京浜~神奈川環状二号~上大岡~横横道路と一気に走りきって帰宅したのは19:00過ぎだっただろうか。本格的に降ってくれたのでずいぶんと濡れてしまったけれども、楽しいツーリングだった。

今度はいつバイクに乗れるかな。バッテリーを上げないように気をつけねば。

今回の走行距離:586km


観音崎

2006年11月12日 23時08分22秒 | 雑感帳
久しぶりに一日ぽっかり空いた休日。
午前中は風が強かったけれど、昼を過ぎて穏やかになってきたので、久しぶりにバイクのカバーを外す。こんないい季節に一ヶ月以上も乗らなかった。ずいぶん生活が変わってしまった。

剣崎から三崎にでも行こうかと思っていたのだけれども、走り始めた途端に気が変わったので観音崎へ。浦賀駅の前を抜け、観音崎の公園まではあっという間。少し波が立っていて、陽射しが暖かいけれども、風が冷たい。もうすぐ冬だと感じる。しばらく岩場に座って、対岸の富津のあたりの工業地帯を眺める。

馬堀海岸駅の近くに銀平鮨というネタが巨大な寿司屋がある。以前から気になって行ってみたかったところなので、ついでに寄ってみたのだけれども、残念ながら今日はお休み。がっかりして、今度は佐島のかねき寿司に行こうと思い、三浦半島を横切って相模湾へ。

相模湾にでるとちょうど日が傾いていて、立石海岸の付近で富士と丹沢と伊豆半島のシルエットが茜色の西空にくっきりと浮かぶ。素晴らしい風景にそこここで車が停まり、カメラを向けたり車にもたれかかってゆっくり風景を眺めたりするる人たちがいる。きれいな風景を見ると、みんな心に感じるものは似ているんだな、と思う。

僕も佐島マリーナの近くでバイクを止め、夕陽が沈む瞬間をゆったり楽しみ、お目当ての店へ。しかし日曜の営業時間は早いらしく、こちらでも支度中の札と目が合ってがっかり。

なんとなく意欲が薄れたのでとっとと帰宅。冷凍庫にあったマグロのほほ肉をハーブとバターでソテーして夕食にする。

何もしないでのんびりできる休日が久しぶりで、穏やかだった。

明日からまた、頑張ろう。


イタリアン

2006年10月29日 23時24分50秒 | 雑感帳
人間ドックで動物性脂肪を控えろといわれたので控えていた。

控えすぎると、無性に摂りたくなるものだ。普段ご飯を温める為にしか使わない電子レンジをオーブンとして使って、鶏肉を焼いてみた。思ったよりも簡単に使えたし、魚焼グリルを使うよりも洗い物も簡単に済む。今まで面倒くさがって使わなかった自分がバカらしいほどだった。

空き地に植え替えたローズマリーとか、バジルとか、水菜とか、自家栽培のものも総動員していろいろつかってみた。

すごく美味しかった。

声出し

2006年10月21日 22時43分33秒 | 雑感帳

随分と久しぶりに、合唱の練習に行った。

大学の時に所属してた合唱団が、今年、現役の定期演奏会にOB合同ステージを絡めてくれる。忙しいので今年はあきらめようかと思っていたけれども、ここで行かなくなると縁が切れてしまうかもしれないと思い、とりあえず行ける日に練習に行ってみた。

今回は多田武彦の「父のいる庭」を歌う。まだちゃんと音をとったわけではないが、多田武彦らしく、決して難解な旋律を要求するわけでもないけれども、言葉の一つ一つをかみしめながら歌えるいい曲だ。しっかり練習して自分のものにしよう。

まともに声を出したのはもう一年ぶりくらいだろうか。Gが何とかでる程度で、Aは瞬間的にもでたのかで無いのかよくわからない程度。情けない限りだ。それでも二時間ほど歌っているとだんだん喉と口が慣れてきて、いい感じに楽しめながら練習できた。

その後、久が原駅の前の中華料理屋で飲んだ。素直な味の素直な中華料理屋で、とても美味しかった。紹興酒がよい味で、20年ほど上の先輩が気に入ってバカバカ頼んでバカバカ飲んでいた。つられて飲みすぎたのか、帰りに寝過ごしてしまった。

22時前に寝過ごすなんて、初めてだ。


副産物

2006年10月18日 00時48分49秒 | 雑感帳
先週の水曜日に、スーパーで牛スジが安かったので買ってみた。

木曜の夜、煮込み始めた。
金曜は、思いがけず職場の上司と一緒に晩飯を食べた。久しぶりにゆっくりと話ができた。
土曜は高円寺で琴を聴き、渋い魚屋の二階で夕食を食べた。
日曜は横浜に出かける用があって、横浜で夕食を食べた。
牛スジと大根とコンニャクと煮卵は、その間ひたすらシャトルシェフの中で煮込み続けられ、折に触れ温めなおされ続けていた。

昨日、やっと食べる時間ができた。
口の中でホロホロと崩れる牛スジと、味の染み渡った煮卵がなんともいえず美味しかった。


忙しいと、いいこともある。

健康一番

2006年10月18日 00時08分29秒 | 雑感帳

去年に引き続き、会社の福利ポイントが余って使い道が無いので人間ドックに行ってきた。

身長は全く変わらず、体重は800g増えた。まぁ、誤差の範囲内だろう。体脂肪率も12%台で変わらず。血圧も10程あがったけれども、まだ基準値を20ほど下回るので問題なかろう。

この一年間で、急激にγ-GPTがあがった。まぁ、酒を随分飲んだ一年だったから、仕方ないか。あがったとは言え余裕で基準値内だし。

善玉とは言え、血中コレステロール値が上がった。自炊に手抜きが出始めて、あまりいろんな食材を使う余裕が無いので、栄養を手っ取り早く摂ろうと鶏卵や魚卵を増やしたのがよくないのだろうか。医者には鶏卵を控えろといわれた。

内視鏡は去年よりは苦しくなかった。上手な先生にあたったのだろう。食道炎とやらがあったそうだが、気にするなといわれた。

体力は、筋力が「大変劣っている」といわれてしまった。何かせねばと思いながらもなかなか手をつけられないまま時間が過ぎてゆく。今年は何か始められるかなぁ。

総じて、成人病にはまだなりそうも無いけれど、体力の低下を指摘された健康診断だった。まだ体力が落ちたといって嘆く年齢でもないし、頑張ってみるかな。


34回目

2006年10月16日 23時54分23秒 | 雑感帳

最近はいつもの業務と労働組合の業務が半々か、後者の方が多いくらいになってきた。役員になって二ヶ月強経って、いろんなことを知ったような気もするし、どうでもいいことばかり知ったような気もする。いや、多分どうでも良くはないのだろう。

大学を出る頃からバイクに乗って、楽しい時間を過ごしてきた。でも、社会的には誤解されやすい趣味で、差別的とまでは言えなくても、何かにつけて優先順位が低い存在なんだろうな、という印象を受けた。

この数ヶ月で、そんな印象などどうでもいいくらいに不利な立場になっている人たちがいるんだな、という事に意識が向くようになった。今の職場は、社会的に言えば安定して有利な職場だといえると思う。上司の理解もあって、とても恵まれた職場だと思う。そこにいるだけでは、普通に働く人たちが社会的に冷遇されてきた歴史や仕組みに気づくことは、なかなかできない。

その仕組みを変えるために、助け合いという理念に基づいて作られた労働組合という仕組みが、いまのこの世の中でも有効なんだろうか。多くの人の共感を得られるものなんだろうか。いろんな意見はあると思うけれども、客観的に現状を見れば、否定的な印象を持ってしまう。でも、表層的な印象はイマイチだし、理解されにくい(きわめて日本的な)問題解決プロセスが多いし。何より「労働」なんて名前がよくない。印象の悪さが災いして、意義や理念が十分理解されないまま敬遠されている側面が感じられる。

今日の夜は少し時間に余裕があったので、労働基準法労働組合法などに眼を通してみた。ざっっくりと読んだだけだけれども、法律が制定された大まかな理念を感じたような気がする。自分に強く関わると思いながら読むと、無味乾燥に見える法律の条文からも、その条文にこめられた人の思いが感じられる気がする。

一年前、いや、数ヶ月前の僕だったら、こんな感情は持たなかっただろう。

去年の僕に比べれば、少しだけ、物事を見る視野が広がった様な気がする。

 

一年前の今日は、KSRでサーキットを走っていた。

来年の今、僕は何をしているだろうか。

 

34歳の一年間、無理せず、少しづつ視野を広げてゆこう。


帰宅

2006年08月26日 23時55分53秒 | 雑感帳
23時45分ごろ、無事に帰宅。
1850キロくらい走った。一週間北海道に滞在したにしては大して走らなかったけれど、イベントが多く楽しめる旅行だった。

とりあえず、ビールをあけてゆったり。