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腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

後輩医師の訪問を受けて。海外留学の是非

2012年05月15日 01時44分50秒 | 日記

 最近は、日本からのお客さんが多く、一人暮らしの寂しさを少しはまぎらわせてくれありがたいものです。

 先週末も、高校かつ大学の先輩である他科の先生と、大学のクラブの後輩(大学時代のアパートも二室どなり)の新婚さん夫妻の訪問を受けました。

 先輩の方は、今回が3回目のNY訪問で、いつもハッパをかけていただき、いくつかある進路先についても建設的なご意見をいただくことができて、本当にありがたい存在です。将来間違いなくご自身の教室を主宰されることになる器と業績をお持ちのこの先生からは本当に学ぶことが多いです。母校に常に世界を意識して頑張って先生がおられることはやはり嬉しいものです。

 後輩の方は、最近結婚されたばかりで、まさにアツアツでした。(笑) 海外留学をすすめられているとのことでしたので、奥様も交えて、なるべく具体的に留学生活について話をさせていただきました。今時、珍しく奥様には全く海外生活に対するアレルギーがないようです。肝心の本人は留学にまだ慎重のようでした。答えることができないのを承知の上で、わざと「どのような展望を持って留学するつもりなの。」と尋ねてみると、予想通り(すいません、意地悪で!笑)はっきりとしない返事でした。個人的には、留学してから外の世界を見て見識を広げていくなかで将来の目標が定まっていくということで一向に構わないと思います。母校の医局にいると最初の10年ぐらいまでは、とくに何も考えなくても周囲に合わせていくだけで、大学院に入り学位をとり、専門医をとり、自然にそれなりにキャリアアップしたような気分にさせてくれます。しかし、一通り学んでしまうと、逆にいかに現在の医学をもってしても解決できない問題が多いか思い知らされます。すなわち、いかに自分がたいしたことをしていないかに、、、。

 学生のころは、学校の成績等まわりの同級生との相対的評価に固執しがちですが、今思うと、自分がなんて小さなことにプライドを見出していたのかと、かつての自分が恥ずかしくなってしまいます。しかし、社会に出て年をとるにつれて、自分自身が何ができるのかがますます問われてきます。学生時代にもう少し本質的なことを教えてくれる先輩がいたら、もっと他に勉強することがあったと、今更ではありますが、いくつもの「すべきであった」ことが浮かんできます。(これを世間では言い訳といいます、スイマセン!) 当たり前のことですが、教えられた通りのことをいかに正確に再現できるかどうか問われるのが学生時代なら、その人にいったい何ができるのか、創造性、オリジナリティがより問われるのが実社会ではないでしょうか。

 個人的意見ではありますが、海外留学は異なる文化圏での生活を経験でき公私共に一生の思い出になることでしょう。また、一生懸命頑張れば、世界における自分の立ち位置を客観視することができるようになり、自分がいかにちっぽけな存在であるのか、言い換えれば、自分にはまだまだたくさんなすべきことがあることを具体例をもって気づかせてくれる可能性があり、とくに職業人としての目標を失いかけた医師にとって、依然として選択肢の一つになると思います。

 我が半生を「反面教師」とした後輩への回答ということでご容赦願います。

 


ニューヨークの洗礼 その?

2012年05月13日 01時19分37秒 | 日記

 前回は、一番上の上司の素晴らしさについて書きましたが、部下の争いには醜いこともたくさんあります(苦笑)。フェイスブックにはふさわしくない内容はこちらに書く事にしています。

 いわゆるお客さんでない留学をした場合、相手から競争相手とみなされると、このような陰湿な人間くさい嫌がらせも受けることを知っていただきたいと思います。しかし、外交でも、他分野のビジネスでも、さてはスポーツでもこのような狡猾かつ醜い足の引っ張りは必ずあることでしょう。年頃の子供(とくに女の子?)ですら、いろいろあることでしょうが。

 本ブログでも、何度かこちらの人間の研究における「狡猾さ」「他人のアイデアの盗用」について書いたことがあります。以前、机の引き出しの鍵を閉め忘れたら、実験ノートが荒らされ、机の上に無造作に放り出されていたことがありました。

 今の職場では、生き残りが厳しく、実力があろうがなかろうが、影で「ずるい」ことを平気でやる人間が相当数います。こればっかりは、三つ子の魂百までも、でその人の育ってきた環境によるものでしょう。日本であろうが、海外であろうが人間なんてあまり変わりません(苦笑)。

 先日も実に不快なできことがありました。

上司に論文を提出したところ、最後のツメとして上司が患者さんの腫瘍組織を免疫染色にてあるマーカーで染まるかどうか確認しようといいましたので、直属の小ボスに相談の上、指示通りにあるテクニシャンに免疫染色を依頼しました。ほぼ一週間に一回づつ進捗状況の確認を入れていたのですが、一ヶ月以上たっても、まだだといいます。おかしいと思った直属の小ボスがそのテクニシャンに問いただしたところ、もう一方の小ボスが私の依頼を後回しにしろと影で指示していたというわけです。

 要は、私の論文がでることは、世話役の自分の直属の小ボスの手柄となり、邪魔をしていた方の小ボスは面白くないという、どこかの穴が小さい男の(オッと、失礼しました)話です。

  直属の小ボスはトラブルを避けたいとのことで直接抗議してくれず(あとで、これもセコい理由だったと分かります)、上司とその小ボスには何も言わず直接依頼したテクニシャンだけを急かすようにと指示しましたので、そのテクニシャンに状況を確認しに行きました。そのテクニシャンは、「私はいくらでもあなたに依頼された仕事をしますが、この仕事(免疫染色)は彼(邪魔をしていた小ボス)の管轄下にあるというルールになっているので直接彼に頼んで欲しい。」というのです。これでピンときました。縄張りとして、免疫染色は邪魔をしていた小ボスが管理者であり、彼に依頼すると彼の名前を論文に入れないといけないので、自分の直属の小ボスがこっそりとそのテクニシャンに仕事を依頼していたという構図でした。どっちもどっちなわけです。私にしてみれば、自分の論文の中に誰の名前が入ろうとなにも困ることはないので、とんだとばっちりです。

 直属の小ボスに言っても埒があかないと悟り、足を引っ張っていたもう一方の小ボスに直接抗議に行きました。わざと思いっきり血走った眼で握りこぶしを握りながら、「なぜ自分の仕事を後回しするようにテクニシャンに指示したんだ。俺は英語は流暢ではないかもしれないが、状況はちゃんと見えているんだ。」と凄んだときに、最初はいろいろ適当な言い訳をつけてすっとぼけていましたが、「これは上司のリクエストであり、これが自分の(論文の)ジグゾーパズルの最終ピースだ。」(すなわち、論文投稿真近でお前の名前も載せるからということです(苦笑))といい、「あんたがすぐにしてくれないなら、詳細を上司に全部話して自分の仕事を優先してもらうように指示を出してもらう。」と言いました。さらに、畳み掛け、「まだ他に私がやらないといけないことがあるなら言ってくれ。」と言い放ちましたところ、「君は何もしなくても’大丈夫’だから。」と答えます。これで勝負ありです。こ奴は、すぐさま態度を変えて頼んでいたテクニシャンのもとへ行き、「すぐに(私からの依頼の)染色をやるように」と指示を出しました。私は何も揉め事がなかったことにしてあげると暗に含める意味で、「あなたのヘルプに感謝します。」(実際は、こ奴でなくテクニシャンがするのですが)といったところ、ニコリとして「いつでも君の仕事をサポートするから、これからは’直接’私に頼んで来てね。」というわけです。やりとりを何も知らないテクニシャンも狐につままれたような表情でしたが、この小ボスが立ち去ったあと、「実際に仕事をするのはあいつでなくて私なんだからね。」とボヤくので、大笑いしながら「ありがとう。ちゃんと分かっているからね。」(あなたの名前も載せるからねという意味)となだめました。

 この結果は、直属の小ボスには、もう一方の上司を論文の共著者に入れたくなかったので不本意でしょうが、どっちもどっちでしょう。相手方の小ボスにしてみれば、自分の作戦通りに自分の名前が私の論文に載る確約を得たわけで内心はしてやったりでしょう。しかし、今は自分の仕事を仕上げるためにも本当に悪代官を成敗するわけにはいきません。(苦笑) 留学先が大人数のグループの場合(自分の所属するグループはテクニシャンまで含めると50人以上)には、このようなセコい利権屋さんともうまくネゴシエーションしないと仕事が進まない場合もあるかもしれません。

日米問わず、このように手配師のようなマネをして、自分が実質何も知らないし何もしていないのに論文の数をちゃっかり稼ぐ連中が一定の割合でいますが、それが人間の世界の一面というものでしょう。若い時にこんな上司が威張っていたり、こそこそ裏で立ち回っていたりするのを見てしまうと、厳しく成果の保証のない研究の世界に幻滅してしまう人も多いと思います。

 最高とも言える上司の下で、実は小ボス同士は何年にもわたって、このような低次元の派閥争いをつづけてきたとわかったのはこちらに来て二年を過ぎた半年ほど前のことでした。最近も派閥争いに嫌気がさし、二十年以上勤めてきたラボマネージャーが突然去りました。

 ニューヨークに差別がないのは、表向きだけです。職場のポジション争いに絡む場面では陰口等であきらさまな人種差別が垣間見れます。中国やインド系の移民の人々(とくに中国系の人々はなんとしてでもアメリカに残ろうと独自のネットワークを作りあげていることに驚かされます。)と、それを煙たいと思うアメリカ人、ユダヤ系の人等が複雑に絡み合っているのが実情です。いろいろと見えるようになってきたのも、ただのお客さんから、多少は利害関係にからむ関係に入り込めるようになった証?として自分を慰めています。

 それを差し引いても、ニューヨークには魅力が溢れ、きっと私にとっては第二の故郷になると思います。


とにかく良い人間になりたいものです。

2012年05月07日 23時18分54秒 | 日記

 今朝、上司にあることで頼み事をしました。その対応の素晴らしさにまたもや感激させられました。

 近年、非常に有名になってますます忙しくなってきている上司ですが、偉くなってもこちらで言うところのniceであることは全く変わりません。一日数百通のメールを受け取るにもかかわらず、どんなに忙しくても数分以内にファーストレスポンスをしてくれ、そのときは忙しくてすぐに対応が無理であっても決して忘れずにあとできちんと対応してくれる上司はやはりできる人だとつくづく思います。身分等を問わず、誰に対しても紳士的で丁寧に接し、いつもsupportiveな今の上司に出会うことができて、とても幸せだと感じます。

 4年前の米国での学会会場で初めて上司にインタビューを受けたときに、私はたどたどしい英語ながらも、「残念ながら日本ではまだあなたのような医師はいません。私はあなたがこの領域で一番になる人だと確信しています。だから、あなたのもとでしばらく学ばせていただけないでしょうか。」と言いました。そのとき彼が何ら嫌みも感じさせず、「現時点で私はトップではありませんが、そうあるべきだといつも思っています。」とさらりと答えてくれて、いたく感激した事が昨日のように思い出されます。やっかみからか外部の人で上司の事を運が良かっただけという人もいますが、その後の上司の成功と出世ぶりを近くで見ていると、やはり彼はただ単にナイスな人というわけでは決してなく、すべてをある意味したたか周到に準備していたのだとわかりました。

 新時代の真のエリートとはこういう人なのかもしれません。

 出世し世の中で成功する事も大事かもしれませんが、同時に人々を幸せにできるかどうかが今後ますます問われるべきだと思えてなりません。最近、スティーブ ジョブスの伝記を読んでいるので尚更、上司の紳士ぶりが際立つのかもしれません。ジョブスはもちろん愛すべき憎めない所がある人でしょうが、同僚や部下になるのは本当に大変だと感じます。

 周りの人間から、nice, supportive, always happyなどと言われている上司は私の誇りですし、少しでも見習いたいものです。勿論、いつも我慢が足りず、短気で飽きっぽい性格から矯正する必要がある自分には果てしなく遠い道のりですが、私は凡下の輩なりに、これからも自分の道を一歩ずつ歩んでいきたいと思います。