悲しい時にただ悲しい顔をしていても事態の改善はないことを彼らは子供の頃から骨身に染みて学んできたのだ。 ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫)
何一つ変わってはいない、誰もが胸を切り開き新しい風受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている、渋滞する高速道路をフルスロットルですり抜け疾走するバイクライダーのように生きたいのだ、俺は飛び続ける、ハシは歌い続けるだろう、夏の柔らかな箱で眠る赤ん坊、俺たちはすべてあの音を聞いた、空気に触れるまで聞き続けたのは母親の心臓の鼓動だ、一瞬も休みなく送られてきたその信号を忘れてはならない、信号の意味はただ一つだ。コインロッカー・ベイビーズ (上)
名前も意味も衣服も運動も剥ぎ取られて怯えているその顔を辿っていこうと決めた。これからどんなことがあってもその顔を離すまいと思った。人間の顔をした蝿を呑み込んでも、もう僕は決して忘れないぞ、怯えて泣き出す自分を嫌うことはない、その他には、どこを捜しても自分は見つからないんだから。コインロッカー・ベイビーズ (上)
死ぬんだな、とキクは思った。まったく苦しくなかった。苦しさを感じない自分に少し腹が立った。最後まで抵抗せずに諦めて降参したのだ、と気付いた。なぜ死ぬことに簡単に同意してしまったのだろうと後悔した。コインロッカー・ベイビーズ (上)
僕はその人達に好かれようとずっと努力してきたのだ、その他の人達にまで、救って貰おうとして、気に入られようとしてきた、しかし、自分一人きりで戦わなくてはいけない時が必ず来る、僕はそれにぼんやりと気付いた、そして、今まで僕を守ってくれていた人間を一人ずつ遠ざけていった。コインロッカー・ベイビーズ (上)
僕はきっと笑われたくなかったのだ、そんなことやっても駄目なんだ、怯えて逃げれば逃げるほど、敵の思うつぼになる、敵って誰だ?僕を閉じ込める奴らだ、僕に嘘をつかせ、偽の生き方をさせる奴らだコインロッカー・ベイビーズ (上)
素直に従う子供もいる。だがそいつらは大人が正しいのだと自分で判断して従うわけではない。従うのを拒否すると罰が与えられるのを知っていて、それから逃れているだけだ。大事なのは、今のヒノやタケグチみたいに、やらなければ成らない何かを見つけることだ。何もすることがなければ腐ったものを見続け、腐った大人たちの言うことを聞き続ける事になり、そしていつの日か大人に従い指示通りに生きたところで何の興奮もなく、楽しくもなかったということに気づき、ネットで仲間を募集して自殺するか、ホームレスになるか、あるいはあきらめて大人の奴隷になってこき使われて、それで、一生を終わることになる。半島を出よ (上)
圧倒的な暴力性をもつ征服者と相対すると、すり寄って行きたくなる誘惑を感じる。ずっと不安に向かい合うのは苦しいから、希望的観測と事実とを混同してしまう。高麗遠征軍も案外いい人たちじゃないか、というバイアスが働くのだ。半島を出よ (上)
「あたしがあなたの悪口を言ったらね、『そんなこと言うもんじゃないよ』って、言ってくれるの、『あいつは君のことが本当に好きなんだからさ』って、そういうのって男の人どうしの陰謀だってわかってるんだけど『わかってやれよ、苦しんでいるのはあいつも同じなんだからさ』って言われると、うれしくなってしまうのよね」女の口からやわらかく細い声で『そんなこと言うもんじゃないよ』『あいつは君のことが本当に好きなんだからさ』と語られると優しい気分になる。Dから優しさを感じて無意識の内に演技をしているからだろう。常に演技なのだろうか、とスコッチを舌に乗せながら考える。厳密に言えば、他人の目があるところでは全て演技なのだ。恋はいつも未知なもの
やりたいことがわかっているのにどうすれば実現できるのか見当もつかないと言う状況で家族と一緒にすごすのは拷問のようなものだと、反町は思った。自分は一体何者なのかわかっていない状態で、妻や娘と何を話せばいいのかわからない。自分が自分であることについて宙ブラリンの状態なのだ。妻や娘の前では「夫」であり、「父親」でいなければなら内。自分が何者なのかわからないまま、「夫」や「父親」になれるわけがない。それは「夫」や「父親」という立場に依存することになる。ストレンジ・デイズ
ピンポイントで襲ってくる自己嫌悪に対抗できるのは、自分が最も大切にしてきたものだけだ。人間によっては、それが反社会的なものである可能性もある。だからある種の犯罪は常に強い興味の対象になるわけで、それによって勇気を得る場合だってある。反町は、ジュンコを使って映画を撮りたいのだ。と自分の中の最優先事項をはっきりと自覚した。自覚したとたんに、順子に対しても、会社の人間に対しても、それまであった妙な自意識が消えた。ストレンジ・デイズ