クロロホルムの祈り

創作活動をとおして春秋を綴ります。

ようこそ、「クロロホルムの祈り」へ

その香りが甘く感じるのは錯覚でしょう、きみの笑顔がとろけそうなくらい優しく見える。             綺麗な瓶に入れて可愛らしいリボンで結わえても、毒は所詮、毒のまま。                                     もし愛されたいと願うのならば、 わたしと一緒にすべて知らないふりをしませんか。                                                             いつかあなたが甘い夢から醒めても、ずっとずっと。                                                             たとえ、あなたがそれを望んでいなくても。                                                                                                                                     ――クロロホルムの祈り               (紅瀬奏子)                                                                                     

お別れの合図をしよう

2010年08月17日 14時44分24秒 | ショート・ログ
 片手を額の高さまで上げて、相手の同じ動作を待つ。二人揃ったらピースサイン。
 それがお決まりの合図。
 
 卒業式は涙声にまぎれた告白と云うのがつきもの。うちの学校も例外ではなく、在学中伝えきれなかった思いはこの日に告げることが定番とされてた。
 所謂白馬の王子様と云う訳ではなかったものの、多少勉強ができて運動ができて何事にも一生懸命で真っすぐなユウイチにほれ込む子は何人もいたみたい。流れる季節の中、ユウイチは呼び出されたらひょいひょいと現れる癖に、思いを伝えられたらにこにこしながらありがとう、という癖に、予定を訊かれては部活、といって逃げ、付き合いを申し込まれては言葉を濁し、幾人の女の子に対していつまでも煮え切らない態度をとってきた。
 でも最後の日はそれがうまくいかなかった。さすがに、ラストチャンスだってことは皆よく理解してたんだよね。ユウイチをあきらめきれなかった子たちがわたしにユウイチを引きとめていくよう願い出てきたんだ。常套手段、恋する乙女は強いね。
 わたしは特に逆らう理由もなかったし、女性の味方でいたかったし――なんてね――協力することにした。
 式後、早々にユウイチを体育館裏へ連れ出した。
 どうしたんだよ、とか何とかぶつくさ言いつつもユウイチは素直についてきてくれて、二人で依頼主を待った。
 
 お待たせ、と言ってやってきた四人。よくある誰か一人に数人がついてくるのではなくて、全員がユウイチに対して思いを寄せている子ばかりだそうで、そのうち三人は頬を赤らめていた。それは走ってきたことなのか、それとも青春のしがらみ?
「わたし、いくね」
 邪魔になりたくなかったから、何か言われる前にその場を離れた。案の定、誰にも咎められることなく写真を取るのに夢中なクラスメイトの元へ戻れた。
 
 数分後、女の子たちが帰ってきた。彼女らはどちらかというと晴れ晴れしい顔をしてて、仲間内で二言三言交わしてからそれぞれ各クラスへ散っていった。足取りに未練も何も見られない。
 ユウイチはちょっと遅れて戻ってきた。
「どうだったの」
 仲良しグループのちょっとした集合写真で横に並んだ彼を肘で小突き、訊いてみると彼はいつになく緊張した面持ちで、うん、とだけ答えた。
「そうやっていつまでも曖昧なことばっかしてないでさ」
と、わざと鬱陶しく思わせようとしても、うん。
「たまには恋人の一人でもつくらなきゃだめじゃないの」
と、からかってみても、うん。
 入学した時はちょっとしか変わらなかったのに、今は頭一つ分くらい違う背丈。下から見上げた横顔はシャッター押す時だけ、無理に笑顔をつくっているように見えた。
 
 解散は意外にもあっさりとしたものだった。式の余韻に浸るうちは別れを惜しむ自分たちに酔っていたけど、その名残さえ消えた今は清々しく感じられるほど。
 さよなら、バイバイ、といった普段のあいさつから、また明日ね、という言葉が消えただけなんだ。他の何でもない。再会を約束できないことだけが昨日までとの違い。
「サヤ、いこう」
 ユウイチに腕を取られた。
「うん」
 多少強引な彼に驚いたものの、素直につれられて門へ向かってずんずん歩く。明日からは気軽にあそこをくぐれないのかと思うとちょっと寂しい。
 自分で選んで勉強して入って、三年間通ってきた思い出の地。でもユウイチがそんなこと感じているようには見えなかった。
 さっきもこんなようなことあったっけ、と思い返してみれば、逆の立場であることに気付いて、これから起こることに僅かな恐怖を覚えた。
 
 ユウイチは体育館裏まで来ると、ぴたりと足を止めて振り向いた。門から出ていく級友が見える。
「どうしたの、いきなり」
 気まずくて目が合わせられない。目のやり場に困って体育館の壁の端をぼんやりと眺めた。
「サヤ」
 名前を呼ばれて体中がビクッと反応する。無意識のうちに力が入って拳をつくっていた。
「――俺さ」
 少しの沈黙の後に、視界が暗くなった。影の形から、ユウイチが近づいてきたのだとわかる。
「いろんな子にいろいろ言われてきたけど」
 ユウイチのことは好きだけど。いい人だと思っているけど。
 彼はわたしの、ともだち。
「ほんとはずっとサヤが」
 心臓の鼓動が速くなって、わたしを急かす。
 うぬぼれならそれまでだけど、次の言葉が予想できる。

「ごめん」
 声が重なった。ユウイチの口からも、謝りが漏れた。
 
 先に何か言わないといけないのはよくわかってるのに、だめ、言葉が続かない。
 ユウイチの瞳をしっかり見据えると、開いた瞳孔に吸い込まれそうで目が回った。
「もうここに一緒に通えないのは残念だよ、ね」
 同意を求めて、返ってきたのはやっぱり、うん。でもそれはさっきみたいに鼻をちょっと鳴らすだけの音じゃなくて、意志を伝えようとする返事だったと思う。むしろ、そうであってほしいよ。
「でも、ずっとともだちでいてね」
 今日のうちで使い古した言葉は、わたしの心の底からそう思える、いちばん正直なものだった。
 
 片手を額の高さまで上げて、ユウイチの同じ動作を待つ。
 ユウイチはためらいの色を隠さなかった。でも、ちゃんと数秒後にはピースサインをそろえられた。
 わたしも、好きだけどね、ユウイチ。いつだったか、好きにもいろいろあるって言ったのはユウイチでしょ。
 ――門まで走ろっか。



(title by ささご様)


とりかえしのつかない歌

2010年08月17日 14時42分27秒 | ショート・ログ
  午前二時十二分。
 ただでさえ閑静な住宅街に夜が黒いカーテンを落とすと、あけっぱなしの窓からは向かいに住む幼い男の子が飾った黄色の風車が夜風に吹かれ、音も立てずにまわっているのが見えるだけだった。
 草木も眠る丑三つ時とはよくいったものだ、とナツメは声にもならないただの息をもらした。
 もう何時間もすれば、高音で小鳥のさえずりが耳をつんざき、微かに香ばしい匂いが漂い、爽やかな、そして上等の朝を迎えることになる。ナツメは差し込む陽光を体中で浴びる、あの大きな窓を開ける瞬間が好きだ。
 でも、それに至るまでの何時間がどうしても好きになれなかった。むしろ大嫌いだった。
 胸をしめつけるような孤独感、体の心髄から虫に食われていくような焦燥感、そして多少の空腹感がそのいら立ちを何倍にもさせる。言葉にできないような負のイメージが次々と浮かんでくる。
 どうして、自分はこんなことに時間を費やしているのだろうか。
 なにゆえ、人は夜、暗いことばかり考えてしまうのだろうか。
 何が為に、朝は昼になり、昼は夜になり、夜は朝になるのだろうか。
 誰も答えてはくれないということを知っているだけに、ナツメの薄い唇からもれる息はいつしかフーッという寒々しい音を伴うようになった。ナツメは静寂が過ぎるのをただ傍観し、気付けば眠りに落ちていた。
 それが毎晩のように続く。
 このループがとめられないことは他の誰でもなく、ナツメ自身が一番良くわかっていた。
 別に宿題が終わらないだとか趣味を充実させたいとか、何かそれらしい目的がないことも自覚していた。ただ、ぼーっとして窓の外を眺めて息を吐くだけなのだ。
 ナツメの息は皮肉にも音程さえ持つようになった。しかし息は言葉を持たない。
 もれる息はリズム、メロディを兼ね備えた。音楽の三要素のうち、二つを獲得したのだ。
 そう思うと、ナツメは笑えてきた。
 一人孤独にさらされて、寂しく思う自分が、音楽をつくろうとしている。
 幾日も幾カ月も幾年も孤独を味わっていたその証となる息が、リズム、メロディを与えられた自分が、ハーモニーを求めている。音の重なりを強く強く求めている。
 ナツメはまた笑った。
 今度は可笑しいから笑うのでも幸福であるが故に笑うのでもなく、自分への嘲りと憐みの笑いだった。冷たくて背筋の凍るような、誰にも見せられないどす黒い笑みだ。
 心が人を求めている。リズムとメロディがハーモニーを求めている。
 ナツメは仲間を求めて、夜が来るたびにため息をついていたのに、今はその息がハーモニーを欲する。
 そして、またハーモニーはそれを奏でる仲間を欲しているにきまっている。
 そのループに陥り、ナツメは今日も微かな音をもらして、いつのまにか眠りについていた。
 浅い眠りに体が不満を覚えた。その分他のことも集中できない。明るい朝や昼さえも苦痛になっていく。ナツメの周囲から、ぽつり、ぽつりと人が離れていく。消えていく。
 しかし、この考え方をやめるわけにはいかなかった。
 誰かと夜を共にしたい。紅茶一杯とビスケット一袋で何時間も語り合いたい。
 愛されたい。
 そう願うことにより、ナツメは自分に、夜に、存在意義を求め始めた。
 人は何かを求めるために生を受け、何かを手に入れながら死を受け入れる。
 どこかの偽善者が語った言葉が、ナツメの脳の片隅でその小さな存在を主張しはじめる。
 ナツメは明日登校したら、ガールズトークの開催を提案しよう、と心に決め、記憶が続くうちに眠っ た。そして意識があるのかないのか、寝言なのか戯言なのか、正気か狂気か、わからないまま呟く。
「――永遠に明日は来ない」
 思いに迷いはなく、進路に横道はなく、リプレイボタンはゲーム機にしかついていないことを悟っていた。明日になったら、それは今日になる。明後日になったら、それは今日になる。昨日は来ない。
 しかしナツメはかの有名な少女がジャム・トゥモローの罠にかかったように、それがとりかえしのつかないということまでは気付けなかった。
 ナツメの息が音楽になるまで、あといくらの時間が必要で、あといくらの孤独を味わうのだろう。
 人は、暗くもどかしい。
 
 
 
(御題は、魚住氷魚さんより,企画「アバンチュール」より)

ところどころの違和感

2009年07月29日 21時08分00秒 | ショート・ログ

 ユカリちゃんの言動の中には、首をかしげざるを得ない点がいくつかある。
「あいちゃんの髪、いいにおいするねえ」
 昼休み、お弁当を食べ終わったところに歩み寄り、あたしのポニーテールをばっとくずして、ブラシをかけはじめたのだ。
 私立の女子高ということもあってか外見については甘いところが多いし、教室でブラシをかけてもメイクをしても、誰も文句は言わない。
 個人的には食事中はやめてほしいんだけど、という子もいるが、幸い、ここにはいないようだ。
「あいちゃんみたいなウネウネのロングヘア、ユカリも好きだよう」
 いちいち語尾をのばして、ウネウネ、のところで体をくねらせる姿は実に滑稽だった。
 遠くから見ているクラスメートもくすくすと口を隠して上品且つ馬鹿にしたように笑っている。
「やだ、ミッコ笑わないでよー」
と茶化すと、だっておかしいんだもん、との返事が返ってきた。うん、確かにおかしい。
 その嘲笑いがあたしに向けられたものでないことはわかっている。ミッコはそういう人間だ。
「ユカリちゃんさ、そんなにロングヘアがよけりゃ、自分だって伸ばしたらいいのに」
「それはいいよう」
 ユカリちゃんは即座に答える。確かにあたしはユカリちゃんのロングヘアを見たことがない。
 ユカリちゃんの小学生の頃も知っているけれど、十数年、このショートボブで外にはねている。
 癖っ毛なんだが、ブラシをかけるのは好きだけど、自分の髪をブラッシングするのは嫌いらしい。
 しかも小柄でうさぎがはねるように歩き、階段は一段ずついちいち両足をそろえながら上がるので人の倍、時間がかかる。
「ユカリちゃん、かわいいんだけどねえ」
 二つ結びの髪を揺らしてミッコがいう。ユカリちゃんはどこか不満げなまま、手を動かしてブラッシングを続ける。解放してくれる気配はない。
「あとさ、どうしてマナちゃんのことを、あいちゃん、って呼ぶの?」
「知らないけど、それがいいんだってさ」
「漢字が読めないわけじゃないもんねえ」
「うん。だってあたし真名だし」
 ユカリちゃんは、よし、と言ってあたしの髪から手を離した。
 いつのまにか立派なポニーテールが完成している。ミッコが手渡してくれた鏡で見せてもらうと、赤いリボンがついていてなかなかかわいい。
「あいちゃんは、愛があるから、あいちゃんなの」
 ユカリちゃんはそういって教室から出て行った。ミッコが首を傾げたので、あたしは肩をすくめて、
「縁ちゃん、らしいんじゃない?」
といった。縁も所縁もない人よりはましってね、とミッコがそれっぽくいうと、チャイムが鳴った。
 その場にはいなかったけど、あたしには聞こえた。
「ミッコ、寒ーい」