片手を額の高さまで上げて、相手の同じ動作を待つ。二人揃ったらピースサイン。
それがお決まりの合図。
卒業式は涙声にまぎれた告白と云うのがつきもの。うちの学校も例外ではなく、在学中伝えきれなかった思いはこの日に告げることが定番とされてた。
所謂白馬の王子様と云う訳ではなかったものの、多少勉強ができて運動ができて何事にも一生懸命で真っすぐなユウイチにほれ込む子は何人もいたみたい。流れる季節の中、ユウイチは呼び出されたらひょいひょいと現れる癖に、思いを伝えられたらにこにこしながらありがとう、という癖に、予定を訊かれては部活、といって逃げ、付き合いを申し込まれては言葉を濁し、幾人の女の子に対していつまでも煮え切らない態度をとってきた。
でも最後の日はそれがうまくいかなかった。さすがに、ラストチャンスだってことは皆よく理解してたんだよね。ユウイチをあきらめきれなかった子たちがわたしにユウイチを引きとめていくよう願い出てきたんだ。常套手段、恋する乙女は強いね。
わたしは特に逆らう理由もなかったし、女性の味方でいたかったし――なんてね――協力することにした。
式後、早々にユウイチを体育館裏へ連れ出した。
どうしたんだよ、とか何とかぶつくさ言いつつもユウイチは素直についてきてくれて、二人で依頼主を待った。
お待たせ、と言ってやってきた四人。よくある誰か一人に数人がついてくるのではなくて、全員がユウイチに対して思いを寄せている子ばかりだそうで、そのうち三人は頬を赤らめていた。それは走ってきたことなのか、それとも青春のしがらみ?
「わたし、いくね」
邪魔になりたくなかったから、何か言われる前にその場を離れた。案の定、誰にも咎められることなく写真を取るのに夢中なクラスメイトの元へ戻れた。
数分後、女の子たちが帰ってきた。彼女らはどちらかというと晴れ晴れしい顔をしてて、仲間内で二言三言交わしてからそれぞれ各クラスへ散っていった。足取りに未練も何も見られない。
ユウイチはちょっと遅れて戻ってきた。
「どうだったの」
仲良しグループのちょっとした集合写真で横に並んだ彼を肘で小突き、訊いてみると彼はいつになく緊張した面持ちで、うん、とだけ答えた。
「そうやっていつまでも曖昧なことばっかしてないでさ」
と、わざと鬱陶しく思わせようとしても、うん。
「たまには恋人の一人でもつくらなきゃだめじゃないの」
と、からかってみても、うん。
入学した時はちょっとしか変わらなかったのに、今は頭一つ分くらい違う背丈。下から見上げた横顔はシャッター押す時だけ、無理に笑顔をつくっているように見えた。
解散は意外にもあっさりとしたものだった。式の余韻に浸るうちは別れを惜しむ自分たちに酔っていたけど、その名残さえ消えた今は清々しく感じられるほど。
さよなら、バイバイ、といった普段のあいさつから、また明日ね、という言葉が消えただけなんだ。他の何でもない。再会を約束できないことだけが昨日までとの違い。
「サヤ、いこう」
ユウイチに腕を取られた。
「うん」
多少強引な彼に驚いたものの、素直につれられて門へ向かってずんずん歩く。明日からは気軽にあそこをくぐれないのかと思うとちょっと寂しい。
自分で選んで勉強して入って、三年間通ってきた思い出の地。でもユウイチがそんなこと感じているようには見えなかった。
さっきもこんなようなことあったっけ、と思い返してみれば、逆の立場であることに気付いて、これから起こることに僅かな恐怖を覚えた。
ユウイチは体育館裏まで来ると、ぴたりと足を止めて振り向いた。門から出ていく級友が見える。
「どうしたの、いきなり」
気まずくて目が合わせられない。目のやり場に困って体育館の壁の端をぼんやりと眺めた。
「サヤ」
名前を呼ばれて体中がビクッと反応する。無意識のうちに力が入って拳をつくっていた。
「――俺さ」
少しの沈黙の後に、視界が暗くなった。影の形から、ユウイチが近づいてきたのだとわかる。
「いろんな子にいろいろ言われてきたけど」
ユウイチのことは好きだけど。いい人だと思っているけど。
彼はわたしの、ともだち。
「ほんとはずっとサヤが」
心臓の鼓動が速くなって、わたしを急かす。
うぬぼれならそれまでだけど、次の言葉が予想できる。
「ごめん」
声が重なった。ユウイチの口からも、謝りが漏れた。
先に何か言わないといけないのはよくわかってるのに、だめ、言葉が続かない。
ユウイチの瞳をしっかり見据えると、開いた瞳孔に吸い込まれそうで目が回った。
「もうここに一緒に通えないのは残念だよ、ね」
同意を求めて、返ってきたのはやっぱり、うん。でもそれはさっきみたいに鼻をちょっと鳴らすだけの音じゃなくて、意志を伝えようとする返事だったと思う。むしろ、そうであってほしいよ。
「でも、ずっとともだちでいてね」
今日のうちで使い古した言葉は、わたしの心の底からそう思える、いちばん正直なものだった。
片手を額の高さまで上げて、ユウイチの同じ動作を待つ。
ユウイチはためらいの色を隠さなかった。でも、ちゃんと数秒後にはピースサインをそろえられた。
わたしも、好きだけどね、ユウイチ。いつだったか、好きにもいろいろあるって言ったのはユウイチでしょ。
――門まで走ろっか。
(title by ささご様)