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Sioigawaの馬房

馬についてもっと知りたいと思いませんか?あんがい普段は覗かない馬房の中にすごい秘密があるかも・・(笑)

セントサイモンの悲劇・・・その1

2007-10-11 06:20:11 | 血統論雑談
セントサイモン(St. Simon 1881)は馬主のバチアーニ公が2000年ギニー前日の晝食会々場への階段で倒れ他界した。当時のルールで馬主が死亡した場合はクラシックへの出走枠を失う。そのためクラシックは不出走となった。9戦全勝の成績でリタイアした。
 2年間の休養の後に種牡馬共用された。(当時は競争による神経的な疲れを癒すためという習慣があった。)英国の首位種牡馬9回の名種牡馬。残り先祖2/64と遺伝的にも優秀性を裏付ける数値であった。
 英国のホースマンを魅了する種牡馬となった彼の種は、高嶺の花となり枠利を得ることは至難の技であった。種付け頭数30であったから無理もない。ホースマンとしては(年30)いつになったら枠利が廻ってくるか。
 そこで牡と生まれた仔馬は全て種牡馬共用してしまった。孫・祖孫までもであった。やがて20世紀の初頭になるとSt. Simonの血は増えに増え、牡馬は闘争本能を失った。

 以上が英国のサラブレッドを襲ったSt. Simonの悲劇(St. Simon hazard)である。


 英国ジョッキークラブは全てのSt. Simon系の種牡馬、父のGalopinからの分岐祖孫、その父Vedetteからの分岐祖孫までも全ての種牡馬は淘汰、国外放出した。根絶である。
 当時の英国は残ったほか父系種牡馬の産駒、輸入馬の導入により競馬は続けられた。当時、空胎後の産駒、初仔で名馬を送り出したダービー郷の時代でもあった。英国のジョッキークラブの様に日本もJRAや軽種馬協会などのオーガニゼーションが動く時期にさしかかっている。尚、St. Smon系は仏のPrince Rose、Wild Risk、Bois Roussel、伊のRibotにより復活している。

配合の鬼才中島国治HPから引用


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