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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

羽黒山

■ 2025年01月30日 羽黒山

栃木県宇都宮市にある羽黒山を訪れました。数日前の新聞にあったロウバイが見頃を迎えたとの記事、羽黒山神社一の鳥居横の駐車場に車を置き、羽黒山を往復してきました。期待のロウバイはほぼ満開でした。今回で4回目の羽黒山ですが、山頂付近から富士山を見ることができました!

▼ ルートマップ・・・参考:下野新聞社 栃木百名山ガイドブック、随想舎 栃木の山150

羽黒山神社一の鳥居横駐車場~羽黒山神社~羽黒山~羽黒山神社~一の鳥居横駐車場に至る3.5Km

▼ 羽黒神社一の鳥居

▼ 羽黒山梵天歩道・・・羽黒山神社の参道を基道としてゆずの里コースと七曲がりコースがあるが、今回は参道を歩いて羽黒山神社~羽黒山を往復することに

▼ 一丁

▼ 二丁

▼ 二の鳥居と三丁

▼ 四丁・・・この辺りから昔の参道らしさが現れる

▼ 五丁

▼ 六丁

▼ 朝水舎・・・寛文11年(1671)今里村・宮山田村境界才裁許絵図の中にも明記されているこの朝水舎は、神仏混淆の修験道場としての羽黒山大権現(羽黒山神社)に至る登拝道沿いに位置することから、修験者あるいは参拝者が登拝一番に口にする、または身を清めるために使用したもの(説明板より抜粋)。

▼ 水は出ていない模様!?

▼七丁

▼ 八丁・・・だいだら坊の岩分岐、今回は立ち寄らず

▼ 夫婦杉

▼ 九丁

▼ 十丁

▼ カラッソ坂・・・本社の登拝道が本道口から神社まで約1600mある中で、終盤に位置した最も険しい坂。このカラッソ坂に登ってくるころには、身も心も煩悩から離れ清らかな状態になる(カラッポになる)という意味から、修行過程の中に取り入れ命名されたといわれる(説明板より抜粋)。林道手前に十一丁があったはずだが、見逃してしまった!

▼ 十二丁

▼ ロウバイはほぼ満開

▼ ロウバイ越しに見える筑波山

▼ 十三丁

▼ 羽黒山の石段

▼ 羽黒山と羽黒山神社・・・羽黒山は今から約7,500万年前に起こった大規模な火山活動の時期に姿を現し、その後の海底火山活動や厳しい氷河期を経て現在の形となってきた。この山は初め河内山と呼ばれていたが神社の建立に合わせて羽黒山と称されるようになった。羽黒山の頂上に建つ羽黒山神社は、今から930余年前に宇都宮城の築城に際して藤原宗円(宇都宮宗円(が祈祷修法中に出羽三山との関連を意識し創建されたものであるといわれている(康平年間に出羽の羽黒山から勧請された)(説明板より抜粋)。

▼ 石段途中にある夫婦杉・・・樹齢450年といわれるこの杉は、羽黒山神社の変遷に関係し、慶安年間(1648~1652)に宇都宮城主奥平公が出羽の羽黒山の分霊を祀った史実がある。この折、神殿(本殿)が修復されており、この際に参道の改修と併せ杉の植栽がされたものと推測される(説明板より抜粋)。

▼ 手水舎にもロウバイが飾られていた

▼ 本殿・・・稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀る羽黒山神社は、近郷十八郷の総鎮守として、また、神仏混淆の修験道場として多くのものから長年にわたって崇敬されいた。創建については、諸説あるが康平年中(1058から1065)に、藤原宗円(宇都宮宗円)が宇都宮状の築城に際し、祈祷修法中に出羽三山との関連を意識し勧請されたものとされている。現在の本殿の造営は、文政13年(1830)に大工棟梁山本飛騨(高根沢住)力持ちその他の精巧な社の彫刻は、神山政五郎(鹿沼住)の作である(説明板より抜粋)。

▼ 本殿脇に立つ梵天

▼ 羽黒山山頂手前から見た富士山・・写真ではちょっと見えにくい

▼ 羽黒山の山名板と三角点(舗装の中にある)


【参考】

1、羽黒山神社@宇都宮観光ナビ

 

羽黒山神社|観光スポット|【公式】宇都宮観光ナビ - 栃木県宇都宮のおでかけ・旅行情報

宇都宮観光ナビ -宇都宮市観光公式サイト-

 

2、羽黒山神社@宇都宮公式Webサイト

 

羽黒山神社

宇都宮市公式Webサイト

宇都宮市公式Webサイト

 

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