将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

市原市3(千葉県)

2007年01月09日 | 縁地探訪(千葉県)
引き続き、市原市の将門伝説として、今回は市原市南部の平蔵地区を訪ねてみました。

【西願寺】市原市平蔵
小湊鉄道上総牛久駅前から大多喜行きのバスはあるものの、利用不便なので駅前からタクシーで西願寺まで入る。この寺の西願寺阿弥陀堂は光堂とも呼ばれ、承平元年(931)、将門の臣である平蔵城主・土橋平蔵(平将経)によって建てられたといわれています。
http://hideki55.web.infoseek.co.jp/hundred39.htm

【平蔵城址】市原市平蔵
西願寺から南方200mの平蔵橋の先が城址入口になります。城址の山頂近くにある民家まで登り、犬に鳴かれながら家人に断って頂下にある祠に着く。伝承によると、この城の城主である土橋平蔵政常は将門の臣で、将門が反乱を起こした承平年間に紀州からこの地へ来たという。ただ、城主は代々土橋平蔵を名乗ってこの城を居城としたことだけは確かで、何代かのちの土橋平蔵将経は、城の守護のため鬼門に当たる城の東北の平坦部に西願寺を建立したといいます。その後、土橋平蔵は将門の乱に敗れて、蔵持(長南町)へと逃れて自刃したといわれています。将門の勢力も、この地方まで及んでいたということです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/itiharasi.htm

「郷土史物語 第三章 第二平将門 →平蔵城址」
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/siryou/kyoudosi/kyoudosi.htm#dai3_2

帰りのバスは本数が少ないので、時刻まで他のところを回って時間調整して、上総牛久駅行きのバスを拾いました。

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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