もしかしたら、私は心の奥では自らの不幸を望んでいるのかもしれない、と今日ふと思った。
平均的な他人より不幸であるという思いは間違いなく私の中にあるのだが、それは私自身が幸せを願っているのに、願いが叶わず不幸になってしまう、という性質のものだと思っていた。
多分それは体の良い思い込みであり、自分へのごまかしであった。
実のところ、私はなぜか不幸であることに安心し、自らの不幸を願って悲劇のヒーローを気取っているだけなのだ。
何の取り柄も無い、不幸で哀れな自分という虚像にすがりついているだけだ。その幼く甘い幻想が、私を傷つける現実から守ってくれると信じているのである。
こうして現状把握できたことが、今日の収穫だった。
平均的な他人より不幸であるという思いは間違いなく私の中にあるのだが、それは私自身が幸せを願っているのに、願いが叶わず不幸になってしまう、という性質のものだと思っていた。
多分それは体の良い思い込みであり、自分へのごまかしであった。
実のところ、私はなぜか不幸であることに安心し、自らの不幸を願って悲劇のヒーローを気取っているだけなのだ。
何の取り柄も無い、不幸で哀れな自分という虚像にすがりついているだけだ。その幼く甘い幻想が、私を傷つける現実から守ってくれると信じているのである。
こうして現状把握できたことが、今日の収穫だった。