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北海道大学・新一年生のテキトー日記。
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本音の価値は

2010年11月11日 00時21分42秒 | 人間関係
 今日、こんな記事を読んだ。

恋愛は色々なことを教えてくれます。新しい自分を発見することも度々あるでしょう。 それだけ普段は使わないような強い感情が働いているのです。 そんな中で、大きな壁(別れ・浮気・不倫・失恋・離婚など)にぶつかることもあります。 そこで全てを受け止め我慢することが出来る人はどのくらいいるのでしょう。
人は、そんなに強くありません。むしろ弱いものです。 人は、理想や綺麗ごとを言いたがります。ですが、理想はあくまで理想です。
もっとあなたの本心を相手にぶつけ、わかりやすいコミュニケーションをとることも重要なのではないでしょうか。そんな中から、もっと深い絆は生まれてくるのではないでしょうか。
奥ゆかしさよりも、分かりやすさ。今の世の中にはそんなほうが似合っていると思えます。


 ソース→本心が知りたい|コミュニケーションのとり方

 そうなんだよね。分かりやすさって大事、大事なんだよ。人に嫌われることを恐れて、本音で喋ることをしなくなったのはいつからだろうか。
 俺は自分がなかなか本音を言わない、分かりづらい人柄であると思っていて、しかも事実として継続的に本音で語り合えるような仲間・友達を、未だ持てていない。ここには負の因果関係が存在すると思う。
 今年度の入試(現代文)で以下のような内容の文章を読んだ。現代はよくも悪くも情報に溢れた時代なので、自分を取り巻く世界を単純化して捉える必要がある。そのため、人々は他人の性格を固定して認識し、キャラ化することで人格の単純化を図るのだ、と。
 このような文章を読みながら、当時の俺はひどく筆者に同意した記憶がある。経験上、他人は俺のパーソナリティをそこまで深く知りたがったりはしなくて、俺にある一定の役割を求めてくるものだと思っていたからだ。
 今もその意見はあまり変わらない。人間、いつまでたっても建前ばっかりで会話する人と仲良くなりたいとはなかなか思わないだろう。全然その人の本来の性格が見えてこないから、得体の知れないままになってしまうからだ。

 わかりやすさを手に入れた時、また一枚、人間としての殻を破ることが出来るのかもしれない。
 

一次的接触について妄想する

2010年10月16日 01時44分20秒 | 思ったこと
今日一番ドキッとした出来事…


今日の授業は三限の必修だけだったので、二限後の昼休みに登校して指定の教室に向かった。

生協で買った昼飯のパンを食べ終わり、そのゴミを捨てに廊下へ出た所、一人で歩いている他学部の女友達に遭遇した。

私「どこいくの?」
女友達「○○教室。…元気?」

彼女はそんなことを言いながら、並んで歩いている私の隣に数秒間ピタリとくっつき(実際に接触したのは腕の側面だけだが…)、何事も無かったかのように別の授業を受けに○○教室に向かった。


今までも肝試しで女子と手をつないだり、自転車の二ケツで女子のぬくもりを感じたりすることはあった(これらは完全にサークル活動のおかげであり、私の甲斐性ではないのだが((( T_T))。

しかし、女子の方からこんなにドキドキする…ドキッとさせる形で一次的接触を試みてくるとは前代未聞である(サークルの女子がおごってほしさに一瞬だけ…っていうのはあった)。

彼女はまったくそういう…恋愛的な意味でこのような行為に及んではいないだろう。友達同士のスキンシップのレベルであると考えているに違いない。


女子同士の一次的接触は、男子のそれと比べれば、遥かにありふれた事象である(これは女子が、男子ほど強く「異性の体を触りたい」と感じないことの大きな理由であると、私は推測する)。

女子の方が他人の体に触れたり、自分の体に触れられることに慣れていて、ゆえに男子にも(私のような女性経験ナシの野郎にも)気軽にスキンシップを行おうとするのだ。

だが、スキンシップが日常的でない私にしてみればこれは一大事である。教室に戻ってからも延々とそのことについて考え続け、授業内容が頭に入らないというゆゆしき事態が発生する。


リアル脳内メーカー?があったら、私の脳の6割くらいは「女の子の体を触りたい、おっぱいを揉みたい…他、もっと過激なこと」で占められるだろう。それほど関心を寄せている「女性」が手を回せば抱きしめられる位置にいて、話し掛けてくれるのである。平静を保て、というほうが無理な話だ。

一度でいいから好きな女の子を抱きしめて、愛(笑)をささやきたいというのが私の密かな願いである。…すっげぇ幸せなんだろうな~




いつもの鬱記事

2010年09月30日 23時39分53秒 | 泣き言
明日から大学の講義がまた始まる。長かった夏休みも終了。

夏休み前は、サークルの合宿やスカスカの予定のことを考えて不安になっていた。
夏休みが終わりつつある今は、様々な自分のやるべきことが停滞している今の状況にうんざりしている。

人が持っていて、自分の持たざるものに対する執着。やったほうがいいと分かっているのに、頑としてやらない無気力怠惰。上手くいかないことを許容できない度量の狭さ

そして、このような汚い部分を他人にさらすまいとするつまらない見栄

見栄ゆえに他人に相談することもできず、ただ一人悶々としている八方塞がり。

本当に、くだらないことで悩んでいるものだ。






9月19日

2010年09月20日 20時57分19秒 | サークル
ここ数ヶ月、サークル全体の目標であったイベントが終了した。

結論から言うと、イベントの準備や本番、その後の飲み会も含めて充実したものに出来たと思う。

準備では辛いこと気まずいことも、理不尽に思うこともあった。

しかしクサい言葉ではあるが、本番当日のお客さんの笑顔や、自分がした全力のパフォーマンスによってそれらは清算され、イベント終了時には爽快感達成感が押し寄せた。

もしかしたらこのサークルで長くやっていけるかもしれない、やっていきたいと、そう思った。

この先サークルで辛いことがあったら、この記事を読んであの快感を思い出して頑張ろう。
来年もあのイベントに参加できると思えば、多少の困難も乗り越えられる気がする。

司会童貞卒業祝いヾ( ̄◇ ̄)ノ

2010年09月11日 22時03分26秒 | サークル
今日、人生で初めて一般のイベントで司会を担当した。ノーギャラ&コンビでだけど。

昨日急に決まった仕事だったので入念な準備は望むべくも無かったのだが、事前準備にベストを尽くしたかと訊かれると答えはNOだ。
全力で準備をした方が後悔しないことは分かりきっていたが、ついついゲームに手が伸びた。

本番では相方と担当分けを行い、イベントの前半を担当した。
台本も無いので常に資料を見て自分でセリフを考える作業が入り、観客の方をマメに見る余裕も無く、噛んだり言うべきことが言えなかったりした。
具体的には「ちょっと進行が遅れている」という伝言や、団体名に「さん」をつけることなどができなかった
途中サポートで喋ってくれた大人や、相方の仕切りの上手さ・機転の利き方に劣等感

でも、自分の責任で仕事を引き受けて一応こなせたという意味では胸を張ってもいいんじゃないかと思う。
これでどこかでまたMCを頼まれたときに、今回の経験を活かせれば申し分無い。

ああ、疲れた…





シアワセナンダッケっていう競走馬いたな笑

2010年08月17日 22時09分34秒 | 思ったこと
もしかしたら、私は心の奥では自らの不幸を望んでいるのかもしれない、と今日ふと思った。

平均的な他人より不幸であるという思いは間違いなく私の中にあるのだが、それは私自身が幸せを願っているのに、願いが叶わず不幸になってしまう、という性質のものだと思っていた。

多分それは体の良い思い込みであり、自分へのごまかしであった。
実のところ、私はなぜか不幸であることに安心し、自らの不幸を願って悲劇のヒーローを気取っているだけなのだ。

何の取り柄も無い、不幸で哀れな自分という虚像にすがりついているだけだ。その幼く甘い幻想が、私を傷つける現実から守ってくれると信じているのである。


こうして現状把握できたことが、今日の収穫だった。

食事って、楽しいですか?ーエヴァ破 綾波レイの台詞より 

2010年07月18日 00時50分35秒 | 人間関係
今日最大のイベントは、まぎれもなくあの子との食事だった。デートだった。

水曜日の夜、推敲・修正を繰り返したメールで彼女を誘い、木曜日の夜、OKの返事が来た。今まであれほど改心のガッツポーズを繰り出した覚えは無い。断られたり、返信に困って無視されるのが怖かっただけに、すごく嬉しかった。今日の7時に待ち合わせをした。

結論から言うと、訊きたかった好きなタイプとかは訊けたんだが、いかんせん間が持たなかった。
お互いそんなに饒舌に話すタイプではないし、仕方ないと言えばそうなのだが、なんとも落ち着かなかったし、彼女も少なからずそう感じたかもしれない。

結局、他人と仲良くなるにはコミュ力がモノを言うんだよな~と改めて感じた。そこを鍛えないとモテないんだろうな。

そのためにはどうやら、女の子に話し掛けまくるしかなさそうだ。


私は一緒に居たいけど、彼女はそんなこと思わない。

2010年07月10日 21時29分22秒 | 泣き言
片思い、それは私の人生において何度も何度も立ちはだかってきた壁の一つである。


保育園~小学校3年生頃までは好きな女の子に対する態度は常に高圧的で、よくいる「好きな子をいじめ男子」のひとりだった。小3のとき、何のはずみか好きな子の腹部を蹴ってしまい、その子の家まで親と一緒に謝りにいった。彼女はその後まもなく転校した。子供心にもショックだっただろうと思う。

小学校を卒業し、中学高校と奥手中の奥手、超草食系男子であった私は好きな子が出来ても話し掛けることすらままならず、鬱屈として欲求不満の日々をやり過ごしてきた。あまりのくやしさとやりきれなさ、悲しみと羨望で毎日のように泣きながら眠った。

浪人時代は友達の紹介で知り合った女の子と意気投合し、初めて女子と二人きりでご飯を食べにいった。
しかし、結局私のコミュ力不足から彼女の友達とは仲良くなれず、次第に私の方から距離を置くようになり、あれほど楽しかった彼女との会話も弾まなくなっていった。


そして今、私はあるクラスの女子に片思いしているわけだが、彼女のつれなさや鈍感さにぶつかって、心を折られつつある。やっぱり私はこのどうしようもない寂しさを誰かで埋めたくて、彼女を求めているのかもしれない。泣きながら耐えてばかりだった思春期の記憶はあまりにも重くて、私を恋愛に対して臆病にさせるが、それでもやはり誰かを好きになってしまう。

結局片思いで終わるのなら、好きになんてならなければ良いのにと、そんなことを何百回思っただろうか。こんなに苦しくて悲しくて切なくて厄介で面倒くさいのに、なんで恋なんかするんだろう。私にとってはほとんどつらいだけじゃないか。20年間そうだったじゃないか。

今日は昼寝の時に彼女と手をつなぐ夢を見てしまって、見ている間は至福の時だったのに、夢から覚めてしまえばどうしようもないやりきれなさが残っただけだった。ベッドに一人でいると分かって、ものすごく泣きたくなった。

どうして私だけがこんな目に遭うんだろう。何か悪いことでもしたのだろうか。なんだかもう、考えるのも嫌だ。




毎日がエブリデイだったらな~

2010年06月22日 21時44分03秒 | 思ったこと
今日は最近では稀に見るほど楽しい一日だった。

午前中に情報の課題をやり、授業でプレゼンを発表し、最近気になっている女の子と一緒にまた課題をやり、その子&共通の友達と一緒に留学生に会いにいく約束をした。

さらに、同じクラスの別の男女2人とともにおやつを買ってだらだらお喋りした。

やっぱり女の子は、いるだけで素晴らしい!!目の保養目の保養。

かわいい女の子の目を見ながら楽しく長時間話してたら好きになっちゃうよ、そりゃあ。

サークルを辞めて、クラスメイトと多く関わった方が幸せなのかもしれないな。






碇シンジの座右の銘を疑ってみる

2010年06月22日 01時19分00秒 | 泣き言
辛くて辛くてどうしようもなかったら、逃げてもいいと思う。

しかし、逃げたという事実には向き合わなければならない。現実を、次の道を見据えて行動することだ。


あ~今日は特に悩みすぎて疲れた…周りが楽しんでるのにアホみたいだな…