しがらみから逃避するように結果、大阪に逃げ出してしまったあの日。
バイトを探す為、情報誌を片手に心斎橋をうろついていた22歳の俺。
ハンカチを作っている会社の配達や入・出荷作業の募集に飛び込んだ。
その会社の人事部長は名古屋からなんのつても当ても無く音楽やって生きていきたいと
漠然と思っているだけの世間知らずなうすっぺらな若造の話を聞いてくれた。
会社の応接室で一通り話をしてすぐにホテルのレストランに連れて行かれて
「好きなものを食べなさい」と無口な部長は言った。
カレーライスを頼み食べ終えた俺に
「明日から来なさい」と一言、言ってくれた。
その部長にはよく飯を、特に焼肉をご馳走になった。
ちょっと自分では行けない様な店に連れて行ってくれた。
鶴橋の焼肉。京橋の焼肉。ミナミの焼肉。
ちょうど大阪花博の頃で部長と一緒に花博に納品する度にうまい焼肉にありつけた。
ただ、無口な部長はそうは語らない。笑う事もあまり無い。
なんでこんなに俺によくしてくれるんだろうと正直、不思議だった。
古株の社員に聞く話では部長は昔、劇団をやっていて役者を目指していたとのこと。
だから夢話に夢中になって話す君の事をほっておけんかったのでは・・と言われた。
名古屋に帰ることになって退社する時
この会社の人たちは社長から営業部長、課長、パートのみんなに盛大に送別会を
していただきいつでも戻ってきて正社員になってくれればいいとまで言われた。
無口な人事部長は
「きみは何をやっても何処へ行っても大丈夫」と言って握手をしてくれた。
礼を言うだけでいっぱいいっぱいだった若造の俺。
その10年後。
仕事で大阪南港のフェリー乗り場で九州行きの船を待っていた時。
仲の良かった大阪の仲間に暇つぶしの電話をしてみた。
その時、人事部長が数年前に病で無くなった事を知った。
・・もっとしっかり感謝の意を告げればよかった。
その後、どんな事を考えてどんなふうになったかを報告するべきだった。
今の自分があることは今まで出会ってくれた人がいてこそなのだ。
感謝!!
バイトを探す為、情報誌を片手に心斎橋をうろついていた22歳の俺。
ハンカチを作っている会社の配達や入・出荷作業の募集に飛び込んだ。
その会社の人事部長は名古屋からなんのつても当ても無く音楽やって生きていきたいと
漠然と思っているだけの世間知らずなうすっぺらな若造の話を聞いてくれた。
会社の応接室で一通り話をしてすぐにホテルのレストランに連れて行かれて
「好きなものを食べなさい」と無口な部長は言った。
カレーライスを頼み食べ終えた俺に
「明日から来なさい」と一言、言ってくれた。
その部長にはよく飯を、特に焼肉をご馳走になった。
ちょっと自分では行けない様な店に連れて行ってくれた。
鶴橋の焼肉。京橋の焼肉。ミナミの焼肉。
ちょうど大阪花博の頃で部長と一緒に花博に納品する度にうまい焼肉にありつけた。
ただ、無口な部長はそうは語らない。笑う事もあまり無い。
なんでこんなに俺によくしてくれるんだろうと正直、不思議だった。
古株の社員に聞く話では部長は昔、劇団をやっていて役者を目指していたとのこと。
だから夢話に夢中になって話す君の事をほっておけんかったのでは・・と言われた。
名古屋に帰ることになって退社する時
この会社の人たちは社長から営業部長、課長、パートのみんなに盛大に送別会を
していただきいつでも戻ってきて正社員になってくれればいいとまで言われた。
無口な人事部長は
「きみは何をやっても何処へ行っても大丈夫」と言って握手をしてくれた。
礼を言うだけでいっぱいいっぱいだった若造の俺。
その10年後。
仕事で大阪南港のフェリー乗り場で九州行きの船を待っていた時。
仲の良かった大阪の仲間に暇つぶしの電話をしてみた。
その時、人事部長が数年前に病で無くなった事を知った。
・・もっとしっかり感謝の意を告げればよかった。
その後、どんな事を考えてどんなふうになったかを報告するべきだった。
今の自分があることは今まで出会ってくれた人がいてこそなのだ。
感謝!!