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まぁ&のんといっしょに

とうちゃんの日記へようこそ!
仕事漬けとうちゃん故に気まぐれ更新となっております

音楽万歳

2012年11月18日 23時14分05秒 | 日記
小学校高学年あたりから音楽を聴くようになっていった。

ラジオのベストテンとかを欠かさず聞くようになり
贔屓の歌い手が決まっていく。
ラジオとカセットデッキは当時、一体ではなかったので
ラジオにカセットデッキをくっつけて声を押し殺して録音した。
それを何度も何度も聴きなおして大好きなあの子を思い浮かべては
ニヤニヤしたり落ち込んだりして。

井上陽水、岸田智史、甲斐バンドとかを聴いていた。
周りはキャンディーズやピンクレディーに夢中だったから。
小学生にしては珍しいチョイスだったと思う。

中学生になってオフコース、アリス、浜田省吾なんかを聴きながら
ちょっと洋楽なんかも混じってくる。
エアロスミスやブルース・スプリングスティーン。王道ビートルズ等々。

音楽で高揚したり泣いたり笑ったり単純に一喜一憂出来た思春期。
音楽で学んだ事は数知れず。
今でも胸が焦げる思いを不意に耳にする音楽でする時はある。
だけど思春期に出会い心打たれた歌達はちょっと特別だ。

まぁちゃんが小学6年生でやっと歌としての音楽に興味を持ち出してきた。
とうちゃんとしては全面的にバックアップするべくウォークマンとアイポッドを
比較検索して調査している。(よくわからんもので・・)

とうちゃんのへそくりでまぁの青春のお手伝いをするのである。

紅葉狩り

2012年11月12日 01時16分15秒 | 日記
小雨降る日曜日。

春はひな祭りに。夏は花火に。
我が家がいつもお世話になっている足助の香嵐渓に紅葉狩りに行ってきた。
いつも渋滞するので紅葉の時期は行くのをためらっていたが
今日のような雨の日ならば人も少なく渋滞もしていないのでは・・と思い立って
行ってみたが思ったとおりの状況だった。

久々の香嵐渓の紅葉は格別に美しく見入ってしまった。
露店の立ち並ぶ様もテンションを揚げてくれる。
鮎の塩焼き。
五平餅。
みたらし。
じゃがバタ。
もみじ饅頭。
・・なんかを食しながらの紅葉はまたまた良し!

かあちゃんが「こんなとこで暮らしてみたいねぇ」と言っていたが
仕事の事を考えなくていいならリタイア後はこんな暮らしもいいなと思う。

ライトアップの様子も見る事が出来て満足した後
香嵐渓にある温泉に浸かって帰ろうと思ったが
そこがまさかの廃業。
長久手の「ござらっせ」まで足を伸ばして入湯&夕食。

あぁ、日本人でよかったと思った一日となった。
秋の長雨、万歳!

創造の秋

2012年10月15日 00時22分32秒 | 日記
瀬戸のイベントに行ってきた。

今日のテーマはいろいろ体験なのだ。
まずまぁとのんが絵付けを体験した。
まぁが貯金箱、のんがお皿に絵付けして
焼きを入れて一月後に送られてくる。

その次は家族皆でお箸つくりの体験。
皆、好みの木材でかんな掛けてやすり掛けて名前入れて。
世界に一つだけのお箸の完成だ。

次はまぁのんのオーブン焼き物の作成。
簡単に言うと粘土遊び。
まぁは箸置き。のんは猫の顔の焼き物。

最後はタイルアートをまぁのんが作ってフィニッシュ。

まぁはこのような工作と言うか創作事はとても好きだ。
けどのんはどうやら短気で根気が無い様子。
途中、プンプン機嫌が悪くなってかあちゃんに叱られて拗ねていた。
とは言っても二人とも大事そうに自身の作品を見つめていたのだった。

隣人トラブル

2012年10月13日 00時33分44秒 | 日記
隣人トラブルでの事件をニュースでみていくつか思い出す。

引越し6回経験のとうちゃんだが
隣人で困った事は3回ほどか。
大阪で住んでいた7階建てワンルームのマンション。
左には悪友のロバート。右には若い女の子。
男を連れ込んでの大きな大きなアンアン声。
最初は若かったとうちゃん。
「うおぉぉぉー!マジですかー!」と、興奮したのだが
連日連夜の声にもううるさくって怒り頂点。
壁をぶん殴って抵抗していました。

川名に住んでいた時は上からの漏水。
いろんなものがびしょ濡れになった記憶があるが
上の住人の女性はへらへら笑って謝って終わりだった。
なにかと面倒くさがりとうちゃんは弁償してもらう事さへも億劫で
濡れたものはあっさり捨ててしまい終了となった。
今思えば・・俺って頭悪い。。。

結婚したて当時に住んでいたところにはちょっと有名な
変子ちゃんがいてなにかと仲介業者に苦情を言う女性だった。
下着泥棒の現場をとうちゃんが目撃して追いかけた事件があったのだが
警察官に状況説明していたらその女性がしゃしゃり出てきて
「私も下着盗まれた事がある!」と言い出し
「どこどこのなになにが怪しい」
「あの家の人はなにかを企んでいる」とかの関係ない話をしだして
警察官を困らせていた。

あぁ、今のマンションでもポスティングされた広告を持っていかずにそこらに捨てていく
モラルもくそも無い輩がたくさんいます。
挨拶しても無視する御仁。
ペット禁止を破っている御仁。
補修積立金を払わない御仁。
お客様用駐車場を我が物顔で使っている御仁。
ほんとに腹立たしいけど文句を言うとこっちがきちがい扱いされかねない。

気遣う思いを。人は一人で生きているんじゃないってことを。
子どもの頃に戻って学習しなおしてきて欲しい。

遠き日の景色

2012年10月10日 01時35分58秒 | 日記
小さな部屋だった。

一人暮らしを始めた18歳の春。
4畳半の風呂無しの部屋。
小さな印刷工場で働きながら疲れきって帰る。
銭湯に行って外食する日々。
たまに恋人がやってきて食事を作ってくれた。
裸で抱き合ってきつい現実から逃避した。
カーテンも無い小さな部屋の窓に
街のネオンライトが赤や青や緑の色を暗い部屋に映し出す。
彼女の柔らかな白い背中がその電飾の色に染まる。

赤。青。緑。
赤。青。緑。

汗ばんだ身体のまま、その背中に映る色を見ていた。
このまま夢から覚めないようにと。
祈るように彼女の背中に映る色を指でなぞり数えていた。
 
赤。青。緑。
赤。青。緑。

今でもはっきりとその色は覚えている。
至福ではない。
高揚でもない。
その時はそうだったかも知れないが。

気が遠くなる感じ。
挫折とか喪失とかに近い。
大人にならざるを得ない狭間のときだ。
夢から覚めて逃げ場を無くしたときだ。

この部屋の屋上である歌を歌っている20歳の俺の映像が残っている。

『去ってゆく若者は痛みと叫びを鞄につめて
 夢破れても終わりに出来ない人生に気づいて立ち尽くす・・』

ギターを抱えて、この部屋で生まれた歌だった。
一番思い入れの強い歌だ。

小さな部屋だった。
カーテンも無い部屋だった。