書道教室のとき、友人来訪。
腕のしびれと痛みが気にかかり、病院で検査されたという。
ある項目の検査データ一つが飛びぬけて高い数値が出たために、心配になられた様子。
そこで、お話を伺ったところ、
難病とか重篤な病状ではないようなので、むしろ検査データに振り回されて心配してしまうことの方が悪影響をもたらすように思われました。検査データー依存症と言えばいいかしら。それって、実に怖いことになります。
先日もここのブログに書いたように、
検査の結果、ある一つの項目の数値がどんなに高くとも、
それだけで病気は決定付けられるものではありません。
もっといえば、検査の結果がどうであろうとも、
どこも痛くもなく支障がないならば、それでよし。
逆に、数値がどんなに通常値で良好でも、どこかが痛むとか、
その痛みのために生活に支障が生じているというときは、検査の意義は了解できても、結果はむなしいものです。そういうものでは?
だから、 気持ちをしっかりもってデータに向き合われるいいですね。
検査をしても分からないような症状のときは特に、何度も検査をしてもらいに病院に出かけたり、心配だからといって早起きして病院で半日過ごすよりも、自宅で、あるいは好きな場所で、好きなことをしてゆったりと心身を休めることの方がよほど体にはやさしいことのように思えるのですが、いかがでしょう。
病院での検査データー依存所には、くれげれも要注意です!
それに、体が弱っているようなときに病院に行けば、
どんな菌に感染するか分かったものじゃないと
わたくしなどは思ってしまいます。
病は「気」からといいます。
「気」から生じた病気じゃなくとも、「気」持ちの持ちようで悪化することはよくあること。
そうなると、自分で病を作り出したことになります。
お友達には、そういったことにならないように、
「気」を「ゆっくり休めることをお勧めしました。
わたくしも、このところ立ち歩く時間が休憩なしで長かったせいか、
ここ数日痛んでいる右足が、特に痛みます。
でも、紫陽花とレッドシルクというミニバラが届けられ、ご機嫌です♪
花は、やはりいいですね---
その届いたアジサイをテラスの鉢に植え替えました。
明日は、わたくしもテラスでゆっくり休むことにします。