東北地方は寒さが厳しいので、春になってから徒歩の旅を再開した。
4回目は白河の女石追分から須賀川駅まで26キロ程度歩いた。
歩いた宿場は根田宿、小田川宿、太田川宿、踏瀬宿、大和久宿、新田宿、矢吹宿、久来石宿、笠石宿、須賀川宿。
福島では春の到来が東京より遅いので4月下旬にも関わらず八重桜やしだれ桜が咲いていた。
昼間は春らしい陽気だったが、東北とあって夜はダウンジャケットを着込むぐらいに冷え込んだ。
この日は風が大変強く歩くのに難儀した。
奥州街道は東海道と違って案内表示が皆無に近いので地図なしでは歩けない。
道中、「除染作業中」「地震で壊れた道路を直しています」といった看板を見かけた。
東日本大震災の爪痕は消えない・・・。
一日で10か所の宿場を通過したが宿場の面影が感じられる場所はなし。
五本松の松並木、矢吹の常夜灯、須賀川の一里塚が街道の名残を残していた。
かつて芭蕉が逗留した須賀川宿では、芭蕉や奥の細道に関する説明板や芭蕉や曾良等の句が書かれた雪洞等があった。
■写真一覧
http://blog.goo.ne.jp/photo/305194/tn
■スライドショー
http://blog.goo.ne.jp/photo/305194/sl
4回目は白河の女石追分から須賀川駅まで26キロ程度歩いた。
歩いた宿場は根田宿、小田川宿、太田川宿、踏瀬宿、大和久宿、新田宿、矢吹宿、久来石宿、笠石宿、須賀川宿。
福島では春の到来が東京より遅いので4月下旬にも関わらず八重桜やしだれ桜が咲いていた。
昼間は春らしい陽気だったが、東北とあって夜はダウンジャケットを着込むぐらいに冷え込んだ。
この日は風が大変強く歩くのに難儀した。
奥州街道は東海道と違って案内表示が皆無に近いので地図なしでは歩けない。
道中、「除染作業中」「地震で壊れた道路を直しています」といった看板を見かけた。
東日本大震災の爪痕は消えない・・・。
一日で10か所の宿場を通過したが宿場の面影が感じられる場所はなし。
五本松の松並木、矢吹の常夜灯、須賀川の一里塚が街道の名残を残していた。
かつて芭蕉が逗留した須賀川宿では、芭蕉や奥の細道に関する説明板や芭蕉や曾良等の句が書かれた雪洞等があった。
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