歴史学界では、第10代崇神天皇が最初の実在が信じられる天皇とされている
「古事記」には〖所知初国〗天皇〈はつくにしらしし・すめらみこと〉とあり
「日本書紀」には〖御肇国天皇〗〈はつくにしらすすめらみこと〉とあります
この事によって、崇神天皇をもって事実上初代の天皇とみなす諸説がある
〖始駆天下之天皇〗〈はつくにしらすすめらみこと〉とされる神武天皇は造作であって
皇室の起源をより古く設定しようとする意図を読みとる見解があるとか
「天皇陵謎解き完全ガイド」の~中国での空白期に巨大古墳が出現?~の欄には
~邪馬台国が日本古代史で注目されるのは、卑弥呼が中国に使いを送ったことが
中国の史書に記録されていて、年代が確定できるからです。
それは3世紀半ば頃のことでした。しかし、それ以後仁徳天皇と思われる
倭王讃が中国に使いを出す、5世紀初頭まで、中国の史書に倭〈日本〉は登場しません。
その空白の時期に、崇神天皇陵をはじめ巨大な前方後円墳が大和盆地に出現します。
日本史の古代史にはまだまだ大きな謎が残されています。~
ここで登場する第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命〈やまとととびももそひめのみこと〉
倭迹迹日百襲姫命がにわかに神懸かりとなった。もともとたぐい稀なる霊力の持ち主で
色んな難に遭遇するたび、崇神天皇に注意をするのであった。
「魏志倭人伝」に登場する有名な【卑弥呼】を倭迹迹日百襲姫命と擬定して
まさに鬼道に使えたのが倭迹迹日百襲姫命であって、実際に政治を行った、
男王こそが崇神天皇ではなかったかとの見解もあるくらいだ・・・
又「日本書紀」は、倭迹迹日百襲姫命の陵墓の築造がきわめて大がかりだった
と指摘しているが、これも「魏志倭人伝」に出てくる【卑弥呼】の墓の造営に・・
匹敵するものとして、類似性が指摘されているのだ。
尚、崇神天皇は「日本書紀」によれば、同天皇68年に120歳、
「古事記」によれば168歳に崩御し、現在の奈良県天理市柳本町、
山辺道勾岡上陵 〈やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ〉に葬られたとある
前方を見て頂いたら分かるように、拝所は高台になっていて周りに堀が廻らされている
上の「崇神天皇陵周辺地図」をご覧いただきながら・・・崇神天皇陵と景行天皇陵の記事を・・・
ここに、検証・天皇陵:著者・外池昇・・があります、この中から
~江戸時代の尊王論者の蒲生君平は「山陵志」において、渋谷向山古墳が崇神天皇陵、
行燈山古墳が景行天皇陵であるとした。さらに「文化山陵図」は、
この両陵について「二帝決し難し」とし、混乱の様子を隠さない。
幕末から明治の国学者、谷森善臣は「山陵考」において、
蒲生君平とは逆の説を唱えたが、文久の修陵では谷森の説が用いられた。
これが、今日における崇神・景行天皇陵の治定の原型となっている。~
この様に・・天皇陵には分からない謎だらけ、そこに男のロマンが・・・
上の・・周辺地図にあるように、崇神天皇陵と景行天皇陵は隣り合わせ
しかも、形や大きさが同じときている・・そら分かりまへんで~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます