松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

【第98代長慶天皇】は大正15年に歴代天皇に加えられた!

2018-02-08 11:59:48 | 日記

2016年の10月1日のブログに登場していますが・・・

京都の天皇陵巡りを歴代天皇順に掲載してきたので今再びの登場です

 

長慶天皇の【嵯峨東陵】については、何度も同じことを言ってきているが

私が天皇陵巡りを思い立った歴史的な出会いが・・・この御陵である

2016年の4月22日の事でした、何度も何度も通ってきた道、

嵐電の終点「嵐山駅」の一つ手前の、「嵐電嵯峨駅」の南向かいに

あったのです何十年もこの前を通っているのに気が付かなかったとは

  

黙って入ってよいのかも分からないまま、奥へと入って行きました京都で御陵に入るの初めてですから

あまり綺麗に整備してあると、余計に入りにくいもの・制札が〈この時は制札の言葉も知らなかった〉

長慶天皇【嵯峨東陵】と長慶天皇の皇子「承朝王」の墓とありました

取り合えず拝所の中へ恐る恐る入って行きました、私以外誰もいないのですから

入って行くと左側にまず、長慶天皇の【嵯峨東陵】の気品高くて美しい姿に接して思わず深々と拝しました

望遠で見ると、石に【長慶天皇嵯峨東陵】〈ちょうけいてんのうさがひがしのみささぎ〉と刻んであります

さらに左へと移動すると、制札にあった長慶天皇皇子の墓がありました

奥へと墓所への参道が続くのですが・・・入れないのです、望遠でしか写せない

頑張って・・・望遠を目いっぱい利かして写したのがこの一枚

長慶天皇皇子承朝王墓の文字が何とか読めるまで絞りました

当然ですが・・・長慶天皇の拝所とは規模が違いました

後に調べて分かったのが、長慶天皇は南朝の三代目の天皇である事

南北統一の時の南朝最後の天皇【後亀山天皇】は知っていたのですが

そのお兄さんに当たるのが、この【長慶天皇】であったことです

この御陵があまりにも新しく美しいので、「御陵」はもっと古いのでは

すると、分かったことがナント・・・

大正年間までは歴代天皇に含まれていなかった

その理由は、何といっても南北朝時代56年間にあるのでしょう

前回登場の97代後村上天皇でも分かったように、戦国武将でも例を見ないほど

各地で戦いに明け暮れた、そのような中で父・後村上天皇の崩御

それに伴う、第98代天皇として【長慶天皇】が即位している

この後、弟の後亀山天皇が南北統一と共に京都へ帰還される

しかしながら、長慶上皇は京都への帰還へしなかった・・・

南朝時代の資料があまりにも少なく、大正末期まで長慶天皇の

在位説と非在位説とで議論を呼んできたようで大正末期になり

研究が進んだ結果、在位説が認められて、大正15年10月21日に在位が認められる

この【嵯峨東陵」が新しく感じるのは???新しいからでしょう

在位が認められると、今度の議論が長慶天皇御陵の場所

候補地として全国に20か所以上あったという

これも結局、京都右京区の現在地に決まったのが、昭和19年の2月11日

しかしここまでで、建立された年月日が出てこないのです、20年後ぐらい???

嵯峨東陵を見た感じでは、昭和40年から50年ぐらいの完成では

いよいよ次の後亀山天皇で南朝とはお別れです・・北朝の天皇さまも

 

 

 

 


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