後醍醐天皇の第七皇子、12歳で即位します
そこには兄たちが各地の激戦で命を落としていったからでしょう
父・後醍醐天皇も鎌倉幕府が崩壊すると院政を実行します世に云う【建武の中興】です
しかしこの建武の親政も僅か3年で、足利尊氏の離反によって崩壊します
と同時に、危機を悟った後醍醐天皇は芳野へと逃れます
しかし、これもまた僅か3年、芳野の地で崩御
その前日の1339年8月15日に第七皇子に譲位し【第97代後村上天皇】が誕生
この後村上天皇12歳で即位した後、戦国武将でもあまり例のないほど・・
各地で、足利尊氏ら北朝方との戦いに明け暮れ、
劣勢となりながらも南朝を支えた天皇でした。
御陵の【檜尾陵】〈ひのおのみささぎ〉は大阪は、河内長野にあります
御陵の場所は少し交通の不便な場所らしく、案内だけでは躊躇してしまいそう
理由としては、住吉大社で崩御されたので、以前に行在所としていた
南方の河内長野の陵墓に葬られたらしいです。
河内長野にあって、「金堂」で知られている【観心寺】内にあるのです
観心寺は後醍醐天皇ともゆかりが深く、金堂を築いたのは楠木正成とされている
観心寺も「楠木正成の寺」という方が有名なようです。
南朝の遺跡を訪ねるのには、格好の場所らしく、
暖かくなれば、是非訪ねたいと思っています‥最後に【檜尾陵】の写真をネットから
後村上天皇様・・・2月28日まで閉鎖になっているので
3月に入ったらきっと参拝に伺いますので、お待ちくださいませ
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