トーマス・ブレーク・グラバー、幕末に長崎を中心に活躍し
龍馬の黒幕とも
グラバーと云えば、あの長崎の代表的名所【グラバー園】の名があがるだろう
現在のグラバー園
グラバー園の地図である
こちらが【旧グラバー邸】
スコットランド生まれのグラバーは8人兄弟・姉妹の5番目として1838年に誕生
21歳の時に上海に渡り「ジャーディン・マセソン商会」に入社します
同じ年の1859年〈安政6年8月23日〉開港後まもない長崎に移って来ます
そして二年後には「マセソン商会」に長崎代理店【グラバー商会】を設立し貿易業を営む
最初は「生糸」や「茶」の輸出を中心として扱っていましたが転機が訪れます
【グラバー商会】を設立した2年後、1863年〈文久3年8月18日〉に政変が起こったのです
会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が、長州藩を主とする尊王攘夷派と急進派公卿を
京都から追放した事件「文久の政変」・・・世に云う【八月十八日の政変】である
この政変後の政治的混乱に着目したグラバーは、勤皇や佐幕を問わず武器・弾薬を販売する
この時に坂本龍馬率いる「亀山社中」にも取引を行い、龍馬のよき理解者〈黒幕?〉となる
元治2年3月17日〈1865〉には、ナント大浦海岸に蒸気機関車を走らせている
明治維新後も明治新政府との関係を深めて行くのだが、武器が売れなくなった事や
諸藩からの資金回収が滞った事などで明治三年〈1870〉グラバー商会は倒産します
明治18年〈1885〉以後は三菱財閥の相談役として活躍し、
岩崎弥太郎とトーマス・ブレーク・グラバー
経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎弥太郎に勧めて
後の麒麟麦酒〈現・キリンホールディングス〉の基礎を作った
この麒麟麦酒についてのエピソードがあります
グラバーは大宰府天満宮の麒麟像を気に入っていて、何度も譲ってほしいと打診していた
キリンビールの麒麟は、この麒麟像と坂本龍馬を指しているとの説がある
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