クラっちょからの連絡で、ショックな事実を知る。
パワースラムでの、かつての仲間…二丁目ゴールドが去年、亡くなっていたそうだ。
不慮の事故というか、アクシデントというのか…。
もしかすると、そのニュースをテレビやネットで見ていたのかもしれない。
でもそれが、ゴールドだったとは夢にも思わなかったんだろうな。
バンドって不思議なもんで、必ずリハがあるワケだから、プライベートでのどんな友達よりも頻繁に顔を合わせ、同じモノを作っていく作業を繰り返すんだけど、わかれてしまうとそれっきりになってしまったり…。
ゴールドとも、最後はなんか、言い合いというか…ライヴに出ろだの、最初から出られないって言ってあっただの、間に入っていた「B」という男の煮え切らない伝達でモメゴトになったまま、去っていってしまったんだよね。
と言うか、「B」という男を間に入れなければいけないぐらい、その頃の関係は冷えていてねぇ。
活動の最後の方は、アイツはきっと、オレの事を好きではなかっただろう。
オレもずいぶん大人げなかったというか、心が狭かったというか…。
日本テレビの「それって日テレ」っていうキャンペーンの時に、パワースラムでCMに出たんだけど、その時もねぇ…。
アイツが突然、素顔で映りたいって言い出して、それをかたくなに阻止したんだよね。
プロレスラーのパロディキャラで、プロレステーマを演奏するのがパワースラムなのに、テレビに出られるからって急に自身の顔を見せるんじゃ意味ないだろ、パワースラムの面白さでCMに出してもらってるんだぜって、リーダーの権限で許さなかったのだ。
今思えば、たった15秒のCMでさぁ、メンバー4人並んでる中のアイツ一人が素顔だろうがどうでもいいじゃんって気がするんだけど、まだまだあの頃のオレは頭が固かったのかなぁ。
パワースラムの動員が一番伸びてた頃、ライヴの時にアイツが「デットン」っていう、自分のバンドのチラシを配ってたのを見ても「何やってるんだよ!」って怒ったような気が…。
当時、週プロ等の雑誌の告知や、チケットぴあとの交渉などなど、一人でやってたオレとしては、パワースラムのチケットを売らず、お客さんだけ取ろうとした行動に見えて許せなかったんだろうけど、亡くなった事を知ってから初めてアイツのブログを読んだら、アイツが初めて作ったチラシだったんだねぇ。単に、嬉しくてみんなに配りたかったのかなぁ。
今のオレだったら、稚気あふれる可愛いヤツめ、とか思ったんだろうな。
そんな悔いも多いけど、ひとつだけアイツの力になれたのかもしれないなってのは、オカマの「二丁目ゴールド」というキャラクターを考え出した事だな。(考え出したというか、彼の中に見つけたというか…)
パワースラム以降も、そのままの名前で音楽活動を続けてたって事は、ウケが良かったとかもあるだろうけど、自分でも気に入って、キャラを発展させ、育てていったんだと思う。
実はオレねぇ…色々な事があったけど、パワースラムの名前で何か…たとえば一晩だけの復活とかをやるにしても、二丁目ゴールドと「B」という男、それにプアーさん。みんな揃えなきゃダメだなって…
何年か前のテリスラ忘年会で、一夜復活企画をやってイマイチだった時に痛感してたんだよね。
これから前に向かって進んでいくバンドなら何をやってもいいと思うし、コケてもリベンジすればいいけど、過去に、それなりに一生懸命やった楽しい思い出を、自分の手で、最後の姿をしょっぱいセッションみたいなカタチにしちゃいけなかったなって思っててね。
もし次があるなら、その一瞬は本気で全力を賭けよう、最高に面白くて盛りあがってた頃のパワースラムを復活させようって思ってたんだ。
それには絶対に、二丁目ゴールドの存在が必要だった。
でももう、できなくなったんだねぇ。
ターニングで、晴海ドームで、エッグマンで、次郎吉で…オレの横で、元気にクネクネ動いてたのが目に焼き付いてるだけに、この世にいないなんて不思議でしょうがないよ。
ゴールドのご冥福を、心よりお祈りするぜ。
天国でも歌っててくれよな!
パワースラムでの、かつての仲間…二丁目ゴールドが去年、亡くなっていたそうだ。
不慮の事故というか、アクシデントというのか…。
もしかすると、そのニュースをテレビやネットで見ていたのかもしれない。
でもそれが、ゴールドだったとは夢にも思わなかったんだろうな。
バンドって不思議なもんで、必ずリハがあるワケだから、プライベートでのどんな友達よりも頻繁に顔を合わせ、同じモノを作っていく作業を繰り返すんだけど、わかれてしまうとそれっきりになってしまったり…。
ゴールドとも、最後はなんか、言い合いというか…ライヴに出ろだの、最初から出られないって言ってあっただの、間に入っていた「B」という男の煮え切らない伝達でモメゴトになったまま、去っていってしまったんだよね。
と言うか、「B」という男を間に入れなければいけないぐらい、その頃の関係は冷えていてねぇ。
活動の最後の方は、アイツはきっと、オレの事を好きではなかっただろう。
オレもずいぶん大人げなかったというか、心が狭かったというか…。
日本テレビの「それって日テレ」っていうキャンペーンの時に、パワースラムでCMに出たんだけど、その時もねぇ…。
アイツが突然、素顔で映りたいって言い出して、それをかたくなに阻止したんだよね。
プロレスラーのパロディキャラで、プロレステーマを演奏するのがパワースラムなのに、テレビに出られるからって急に自身の顔を見せるんじゃ意味ないだろ、パワースラムの面白さでCMに出してもらってるんだぜって、リーダーの権限で許さなかったのだ。
今思えば、たった15秒のCMでさぁ、メンバー4人並んでる中のアイツ一人が素顔だろうがどうでもいいじゃんって気がするんだけど、まだまだあの頃のオレは頭が固かったのかなぁ。
パワースラムの動員が一番伸びてた頃、ライヴの時にアイツが「デットン」っていう、自分のバンドのチラシを配ってたのを見ても「何やってるんだよ!」って怒ったような気が…。
当時、週プロ等の雑誌の告知や、チケットぴあとの交渉などなど、一人でやってたオレとしては、パワースラムのチケットを売らず、お客さんだけ取ろうとした行動に見えて許せなかったんだろうけど、亡くなった事を知ってから初めてアイツのブログを読んだら、アイツが初めて作ったチラシだったんだねぇ。単に、嬉しくてみんなに配りたかったのかなぁ。
今のオレだったら、稚気あふれる可愛いヤツめ、とか思ったんだろうな。
そんな悔いも多いけど、ひとつだけアイツの力になれたのかもしれないなってのは、オカマの「二丁目ゴールド」というキャラクターを考え出した事だな。(考え出したというか、彼の中に見つけたというか…)
パワースラム以降も、そのままの名前で音楽活動を続けてたって事は、ウケが良かったとかもあるだろうけど、自分でも気に入って、キャラを発展させ、育てていったんだと思う。
実はオレねぇ…色々な事があったけど、パワースラムの名前で何か…たとえば一晩だけの復活とかをやるにしても、二丁目ゴールドと「B」という男、それにプアーさん。みんな揃えなきゃダメだなって…
何年か前のテリスラ忘年会で、一夜復活企画をやってイマイチだった時に痛感してたんだよね。
これから前に向かって進んでいくバンドなら何をやってもいいと思うし、コケてもリベンジすればいいけど、過去に、それなりに一生懸命やった楽しい思い出を、自分の手で、最後の姿をしょっぱいセッションみたいなカタチにしちゃいけなかったなって思っててね。
もし次があるなら、その一瞬は本気で全力を賭けよう、最高に面白くて盛りあがってた頃のパワースラムを復活させようって思ってたんだ。
それには絶対に、二丁目ゴールドの存在が必要だった。
でももう、できなくなったんだねぇ。
ターニングで、晴海ドームで、エッグマンで、次郎吉で…オレの横で、元気にクネクネ動いてたのが目に焼き付いてるだけに、この世にいないなんて不思議でしょうがないよ。
ゴールドのご冥福を、心よりお祈りするぜ。
天国でも歌っててくれよな!
昔のままのパワースラムはもう再現できませんが…
オレ自身は必ず浮上しますので、こんなバカ大将ですが見守ってやっていて下さい。
じっくり、話したいなぁ。