民間機のパイロットになるはずが、
時代の流れの中で戦闘機乗りになった北島さん。
主な任務は、日本軍が占領したジャワ島などを拠点に、
原油を本土まで運ぶ輸送船を空から護衛することだった。
敵の潜水艦を見つければ爆弾を落とす。
台湾沖で撃墜され、
4時間以上海を漂い、
通りがかった船に救助され、九死に一生を得たこともあった。
1945年8月初め、首都防衛作戦に備え、
戦闘機を本土に運ぶため、ジャワ島に飛んだ。
ジャワ島から本土への出発予定は15日だったが、
重大放送があった。
その放送で、終戦を知った。
ホッとした。
負けたとは思わなかった。
ただ、「終わった」と。
このような経験をした北島さんは、
人前で話す事も立場上多く、
自分の話し方に癖はないか、
意外に自分では気が付かず、
かと言ってこの年になり誰も指摘をしてくれない。
そんな想いが教室へ通うきっかけになったのです。
そのような中、
褒め方・叱り方など家庭教育や社会教育に欠かすことは出来ない
と、
社会福祉協議会の講演にお招きを頂きました。
だからこそ、
この教室の灯は消してはいけない!
とOB会の集まりに強く訴えて下さいました。
なぜ、俺は生きているのか。
なぜ神様は俺を生かしたのか。
カネも名誉も地位もない自分が人に役立てるのは福祉しかない。
そう思ったんです。
自分が生き残ったという負い目もあったかもしれません。
使命に生きる
正に天から与えられた使命と感じています。
そう語ってくださった98歳の北島さんでした。
コロナになんか負けてません。
だからみなさんも、
今日の日もコロナに負けない一日でありますよう。
湘南話し方センター
所長 松永洋忠