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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 30



 明日への答えは見つからないまま、私は家に帰ろうと、屋上の出入り口の自動ドアへと向かい歩きだした。
 歩きながら、ふと思い出して、さっきの男の子と母親の様子にもう一度目を向けた。

 親子もちょうど今まさに帰ろうとしているところだった。
 お母さんは「ほら、もう帰るよ」といい、こどもは「やだ、もうちょっとここで駆けっこする!」といってまた駆け出そうとしていた。
 
 その時、あきらかな異変が起こった。

 風が止み、全ての音がかき消された。

 走り出した子供は、両足が床から離れた空中で、止まっていた。
 
 その子のお母さんも、口を開いて何か言葉を出そうとしたその状態で固まっていた。

 「・・・え!?」

 突然のことに驚き、私は思わずその親子の方に向かって駆け出した。

 少しして、直ぐに風と周囲の音が戻った。
 時間にしたら、5秒もなかっただろう。
 でもその間に駆け寄りいつのまにか近づいた私の方を見て、子供が驚いて駆けっこを止めた。
 そして、目を見開いて、私の方を指さして言った。

 「ママ!この人、今しゅんかんいどうしたよ!」 

 「何言ってるの、もう。変なこと言って人のコトそうやって指ささないの!・・・ほんとうにすみません、ほら帰るよ!」
 
 お母さんは何も気がつかなかったようで、自分の子供をたしなめ、再びの苦笑いで私にぺこりと頭を下げる仕草をし、子供を抱きかかえて屋上の出入り口の方へとさっさと行ってしまった。「ほんとだもん!」と言う男の子の声を残して自動扉が閉じた。

 「・・・い、いいえ・・・」

 独り言のように言って、私はその場に呆然と立ち尽くしていた。

 自分がただ疲れているだけなのか?それとも、これは夢なのか?・・・いや、そんなはずはない。
 こんなにもはっきりとした意識や感覚が在るではないか。
 これが夢だとしたら、本当によくできている。
 
 そんなことを考えていると、親子と入れ違うように、出入り口の自動ドアが開いて、ひとりの男が屋上にやってきた。
 こちらの様子には目もくれずにベンチへと座った。

 入ってきた男は、最近、この屋上でよく見かける30代前半男だった。時間的にはまだ仕事中のはずだろう。シャツにネクタイ姿でカバンを持っていた。
 
 私も、もう少しだけ、混乱した自分の頭を冷やそうと別の離れたベンチに座ることにした。
 
 男は出入り口の近くにある自動販売機で買ったであろう、缶コーヒーを手に、しばしうつむいて固まっていた。
 何か知らないが、男はいつも疲れているように見える。いかにも、疲れたサラリーマンです、といった感じで。

 自分はこの屋上によく来る常連だと自分では思っているが、この人の最近の来場率ははそれ以上かもしれない。
 私は今月、これで3度目くらいここに来たが、毎回ここで目にしている。

 男がしばらくうつむいたまま、同じ姿勢で固まっていたので、また時間が止まったのかと私は一瞬不安になり、周りの風や音をあわてて確かめる。
 その時、プシュッ、という音を立てて音の手で缶コーヒーが空けられた。
 男が缶コーヒーを飲む仕草を見ながら、時間が流れていることに思わずほっとする。

 私が、あまりにも凝視したからか、その男が私の視線に気がついて、顔を上げ、こちらを見た。

 「・・・あ」

 私はあまりにその男を見過ぎていたことに自分で気がつき、思わず間抜けな声を出した。
 
 自分で発したその言葉のやり場に困るような、取り繕うような気持ちで、私は思いきって男に声を掛けてみた。

 「・・・あ、あの、よくお見かけしますね」

 男は一瞬、戸惑うような雰囲気もあったが、わりと直ぐにこちらに向かって、座りながら言葉を返してくれた。

 「あ、う、うん・・・君もよく見かけるよね。・・・僕は今月3回くらいきてるけど、君、毎回いるね」
 
 意外な言葉が返ってきた。私は今月ここに来た3日ほど、たまたま全部同じく見かけているので、この人は相当、毎日のように来ているのかと思っていた。

 「え?あ、僕も今月3回くらいすよ。ってことは、・・・たまたま、いつも同じ日に来てるってことですね」

 「え?そうなの?なんだか、奇遇だな。ははは」

 あ、この人、笑えるんだ。よかった、怖い人ではなさそうだ。
 
・・・つづく





 
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