人間って、何時どうなるかわからない。
事の発端は、毎年受けている春の人間ドックである。
検査後の医師との面談で、尿に潜血がある事を告げられた。
医師に精密検査を勧められるが、自覚症状も無いため無視していた。
月日は経ち、9月の初め、どうも尿の色が最近濃いな?と気になったので、
近くの総合病院で念のために精密検査を受ける。
結果は、「アウト!!」である。
腎盂と呼ばれる、腎臓から出る尿を集めるラッパ状の部分に
腫瘍らしきものが有るとのことで、あっさりとガンの宣告を受ける。
最善の処置は、腎臓と、尿管及び膀胱の一部を取るしかないと言う。
しかし、検査を受けた病院では、このような大掛かりな手術は医療体制が
整っていないために出来ないと、他の病院を紹介された。
紹介された病院は、手術待ちの人達が多く、今申し込んでも早くて
11月末とことで、断念する。
ここから、更に新たな病院を紹介してもらう。
結局は、通院の利便性を考え、隣の区の総合病院に入院を決めた。
手術も10月30日に決定。
・前日の29日に入院
入院診療日程表が渡され、スケジュール、手術の内容、リスク等説明を受ける。
一連の説明が終わって、部屋で寛いでいると、「剃毛の時間です。処置室まで」と
お呼びが掛かる。
剃毛って若い看護師がやるのかと楽しみにしていたら、
この病院には『下刈りのお菊』がいて、バリカン片手に手荒い。
セガレをつまんだかと思うと、いきなりガリガリ。。
「おい、もうちょっと優しく扱えよ!」って言いたくなる
挙げ句の果ては、保険が効かないとの事で、退院時にしっかり¥1,000請求された。
・手術当日
朝7時には「浣腸の時間です。処置室まで」と、呼び出される。
今度は、若い看護師が浣腸の道具を持って待ち構えている。
「横になって、楽にして下さ~い。」『ブスッ』
手術は予定通り、朝10時にスタートし終わったのは夕方4時である。
『○○さん、終わりましたよ』の声で、6時間の手術から無事生還。
術後は痛みとの戦いである。それにしても、痛い!激痛である。
特に脇から腹筋を切断した傷口の痛みは痛み止めの麻薬が全く効かない。
その痛みは、ウサギ飛びで400mのグラウンドを2~3周した翌日の筋肉痛が
常時襲って来るようなものである。
医者曰く、「通常は脊髄麻酔を行うのだが、あなたは過去に椎間板ヘルニアの手術歴が
あるので、神経がずれている可能性があるために、この麻酔が出来ない。
したがって、一般の人に比べ痛みが激しいのかも。。」と冷たく言う。
『痛~い!!何とかしてくれ~っ』
・術後4日目
点滴終了。
体内に漏れた血液等を抜くためにお腹に刺したドレーンパイプ2本抜去。
・術後6日目
抜糸。
あっそうそう、傷口って最近は糸で縫わないで、ホッチキス止めなんですねぇ。
工務店が板壁を止めるようにパチパチと。。したがって、抜く時は事務用品に
あるようなホッチキスの針外し器を使って、ポンポン抜いていく(笑)
・術後7日目
いよいよ最後まで残っていた、ポコチンのカテーテル(つまり排尿の管)の取り外し。
「やった~。やっと自由だぁ~」しかも、明後日退院できるとの事。
また、今日は病理検査に回してあった摘出した部分の検査結果の説明があった。
「手術して正解でしたね。。。大人しいタイプの初期型です。」
「95%転移はないと思いますが、しかし、多発の危険性はありますので
残った片方の臓器を3ヶ月位の単位で監視して行く必要がありますね。。」
つまり一生恐怖と付き合って行くものらしい。
・とんだハプニング
「さぁて、明日は退院だぁ~」と浮かれていると、朝7時頃突然震えが来たかと思ったら
透かさず高熱が襲って来た。一気に40度近くまで体温が上昇する。
座薬、抗生物質の点滴等処置を受けるが、一時的に下がるものの、あまり効果なし。
これが2日程続く。どうもカテーテルを抜いた時にポコチンから感染したようで。。
医者も真剣に細菌のタイプを調べ、点滴の抗生物質を変更する。
この処置で、やっと熱も下がり、2日後の血液検査結果も正常値に戻った。
予定より5日遅れで、退院OKが出る。
しかし、腹筋の傷口の痛みはまだまだ取れない。寝起き、歩くのも容易では無く、お腹に
力が入らないし、笑ったり、くしゃみや咳きをするのも傷に響いて大変である。
医者は冷たく言う「治まるのは来年2月とか3月位でしょうかね。。」
来週あたりから仕事も復帰しようと考えているが。。。大丈夫かしらん。
もう仕事はどうでも良い。問題は痛みが取れるまで竿が振れないことである。
事の発端は、毎年受けている春の人間ドックである。
検査後の医師との面談で、尿に潜血がある事を告げられた。
医師に精密検査を勧められるが、自覚症状も無いため無視していた。
月日は経ち、9月の初め、どうも尿の色が最近濃いな?と気になったので、
近くの総合病院で念のために精密検査を受ける。
結果は、「アウト!!」である。
腎盂と呼ばれる、腎臓から出る尿を集めるラッパ状の部分に
腫瘍らしきものが有るとのことで、あっさりとガンの宣告を受ける。
最善の処置は、腎臓と、尿管及び膀胱の一部を取るしかないと言う。
しかし、検査を受けた病院では、このような大掛かりな手術は医療体制が
整っていないために出来ないと、他の病院を紹介された。
紹介された病院は、手術待ちの人達が多く、今申し込んでも早くて
11月末とことで、断念する。
ここから、更に新たな病院を紹介してもらう。
結局は、通院の利便性を考え、隣の区の総合病院に入院を決めた。
手術も10月30日に決定。
・前日の29日に入院
入院診療日程表が渡され、スケジュール、手術の内容、リスク等説明を受ける。
一連の説明が終わって、部屋で寛いでいると、「剃毛の時間です。処置室まで」と
お呼びが掛かる。
剃毛って若い看護師がやるのかと楽しみにしていたら、
この病院には『下刈りのお菊』がいて、バリカン片手に手荒い。
セガレをつまんだかと思うと、いきなりガリガリ。。
「おい、もうちょっと優しく扱えよ!」って言いたくなる
挙げ句の果ては、保険が効かないとの事で、退院時にしっかり¥1,000請求された。
・手術当日
朝7時には「浣腸の時間です。処置室まで」と、呼び出される。
今度は、若い看護師が浣腸の道具を持って待ち構えている。
「横になって、楽にして下さ~い。」『ブスッ』
手術は予定通り、朝10時にスタートし終わったのは夕方4時である。
『○○さん、終わりましたよ』の声で、6時間の手術から無事生還。
術後は痛みとの戦いである。それにしても、痛い!激痛である。
特に脇から腹筋を切断した傷口の痛みは痛み止めの麻薬が全く効かない。
その痛みは、ウサギ飛びで400mのグラウンドを2~3周した翌日の筋肉痛が
常時襲って来るようなものである。
医者曰く、「通常は脊髄麻酔を行うのだが、あなたは過去に椎間板ヘルニアの手術歴が
あるので、神経がずれている可能性があるために、この麻酔が出来ない。
したがって、一般の人に比べ痛みが激しいのかも。。」と冷たく言う。
『痛~い!!何とかしてくれ~っ』
・術後4日目
点滴終了。
体内に漏れた血液等を抜くためにお腹に刺したドレーンパイプ2本抜去。
・術後6日目
抜糸。
あっそうそう、傷口って最近は糸で縫わないで、ホッチキス止めなんですねぇ。
工務店が板壁を止めるようにパチパチと。。したがって、抜く時は事務用品に
あるようなホッチキスの針外し器を使って、ポンポン抜いていく(笑)
・術後7日目
いよいよ最後まで残っていた、ポコチンのカテーテル(つまり排尿の管)の取り外し。
「やった~。やっと自由だぁ~」しかも、明後日退院できるとの事。
また、今日は病理検査に回してあった摘出した部分の検査結果の説明があった。
「手術して正解でしたね。。。大人しいタイプの初期型です。」
「95%転移はないと思いますが、しかし、多発の危険性はありますので
残った片方の臓器を3ヶ月位の単位で監視して行く必要がありますね。。」
つまり一生恐怖と付き合って行くものらしい。
・とんだハプニング
「さぁて、明日は退院だぁ~」と浮かれていると、朝7時頃突然震えが来たかと思ったら
透かさず高熱が襲って来た。一気に40度近くまで体温が上昇する。
座薬、抗生物質の点滴等処置を受けるが、一時的に下がるものの、あまり効果なし。
これが2日程続く。どうもカテーテルを抜いた時にポコチンから感染したようで。。
医者も真剣に細菌のタイプを調べ、点滴の抗生物質を変更する。
この処置で、やっと熱も下がり、2日後の血液検査結果も正常値に戻った。
予定より5日遅れで、退院OKが出る。
しかし、腹筋の傷口の痛みはまだまだ取れない。寝起き、歩くのも容易では無く、お腹に
力が入らないし、笑ったり、くしゃみや咳きをするのも傷に響いて大変である。
医者は冷たく言う「治まるのは来年2月とか3月位でしょうかね。。」
来週あたりから仕事も復帰しようと考えているが。。。大丈夫かしらん。
もう仕事はどうでも良い。問題は痛みが取れるまで竿が振れないことである。