歎異抄を読んでいます。阿弥陀様の本願か…阿弥陀様は地獄にいる人をも慈悲の目で見つめるだろう。それで救われたという人もいれば、なんじゃ、という人もいるだろう。阿弥陀様はすべてを救おうとはするが、すべての人が救われたと思うよとは限らない、と思います。
さっきのツイート訂正です。
救われたと思うよとは限らない→救われたと思うとは限らない
阿弥陀様にすべてをすがった親鸞聖人は浄土に行けただろう。しかし阿弥陀様に全託できる人は少ない。
ある人が99%の信仰は信仰ではないと言っていました。1%でも我があるといけないと。100%神を信じて信仰であると言っていました。
100%神を信じて神が何か利益を得るとかではないよ。人間の信仰心が本気かどうかを神は見ているのだよ。
歎異抄は奥が深いですね。僕は罪の意識というものを感じたことがないし、僕自身神だから、人間が神に対してどう思っているかもわからないし、人間というものが、どれくらい救われたいと思っているかもわからないし…ただ僕は人間に対して愛情を注いでいかなければならないという事はわかっていますが。
自分の利害とは全く関係なくとも人の幸せのために生きれた人間が偉大なる宗教家でした。人を救うことに喜びを感じることができる人を神といいます。
程よいお洒落は人にいい気分にさせますが、ブランド物に身を包む事はただ自分をよく見せようとしているだけではないですか?
人が人を救うことはできないとしても、他人のことを思いやり、神の愛にすがり
、この世の中を少しでも良くして行こうとする人間を私は高く評価します。
多くの人は金持ちになろうと、また成功しようとしていますが、私が尊敬するのは、人目につかないような場所でも懸命に生きるおよそ成功とは対極にあるような人々です。
ひとつだけ言いたいことがあります。欲望を満たす事を追求しても幸せにはなれないよ。
@yaiko_official こんばんは!!
今日、薩摩っ子ラーメン食べたよ!!
おいしかったよ!!