素晴らしき日々

一切の生命が幸せでありますように。

わたしを離さないで / Never Let Me Go

2023年12月23日 | カズオ・イシグロ Kazuo Ishiguro

残念なことに、私はこの原作を読む前に映画版の『わたしを離さないで』の予告編を偶然みたり、どこかであらすじを読んでしまい、どういう設定なのかをわかった上での読書だった。全然知らない状態で読んだでいたならもっと感動しただろうと思うとやりきれないので、まだこの書籍読んでいない人にはこのブログ記事を読まないことをお勧めする。

簡単なあらすじはこうだ。イギリスにヘールシャムという施設がある。内部の生徒からは寄宿学校に見えるが、実際は「臓器移植用クローン人間の施設」である。そういった施設の中でもこのヘールシャムは特別で、設立意図の一つは「クローン人間にも魂や感情があるか」を調べること。そのため、生徒達には美術や詩の創作が推奨され、研究者はそれらの作品から、クローン人間にも感性などがあるのかを計る。もちろん、生徒たちにはそんな隠れた意図は知らされていない。いずれ自分たちが、人間たちを病気から救うために、臓器を提供す代わりに死んでいくことは、後々まで知らされない。

そんな中、新人教師ルーシー先生がやって来た。ルーシー先生には、生徒達に「あなた達にはしらされていなことがある」等、真実を伝えようする行動がみられるが、決定的な真実は伝えられないまま退職していってしまう。

生徒達のクローン人間模様と生命倫理が描かれている作品だが、私にはこのクローン人間と私たちの差が全く感じられなかった。例えば、「真実」が知らされないままで青春期を過ごし、死んでいくこと。これは、私たちと同じではないか?私が知っている唯一の真実は、人は皆死ぬということ。でも、死はいつ訪れるのか誰も知らない。どこがクローン人間と違うというのだろうか。

ヘールシャムはクローン人間に真実を伝えない派、ルーシー先生は真実を伝える派。この意見の食い違いでルーシー先生は施設を去ったのであるが、後にクローン人間の一人トミーが、ルーシー先生の意見に賛成だと言う。私も賛成である。正確な寿命は分からなくても、必ず終わりのやって来るこの人生に、何をしたいか、何をすべきかを考える時間と自由を奪ってはならない。

同書の感想が書かれた他のブログをいくつか読むと「どうして施設から逃げないのか」という疑問をよく拝見する。理解できる疑問である。が、私は逃げないのではなくて、逃げようと決断するほどの情報が与えられていなかったこと、また教師たちの上手な刷り込み(自分=生徒たちは特別な存在である)が理由で、逃げるという結論にたどり着かなったのではないかと思う。生徒達の芸術作品をみれば、彼らにも意志があることは分かるから、逃げようと意図すればもちろん逃げられただろう。

これは、現代社会をみればよく分かることだと思う。例えば、この資本主義社会が当たり前の世の中では、神がお金になってしまった。そして、お金を稼ぐために人間という資本(資産)を使い、さらに資本家はお金を生んでいく。でも、私たちはこの資本主義社会から逃げるだろうか?逃げるならどこへ?どうやって施設(=構造)と立ち向かう?

この本は名著だ。カズオ・イシグロ氏が国境を越えて問題提起をし、考える機会を与えてくれた。一人でも多くの人がこの作品を読み、良き触媒として広がっていくといいなと思う。

また、わたしはイシグロ氏が長崎県生まれであることに何らかの人類の平和への希望とのつながりを感じずにはいられない。原爆被爆地の一つ、長崎。欲望の為に他者の生命を奪うことためらわない人間の欲深さ。クローンの生命を軽んじることに重なる。


一切の生命が幸せでありますように。


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