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憂多加氏の華麗な日常   4) 職安の彼女

2019年07月24日 | 憂多加氏の華麗な日常(一話完結連載中)
 憂多加氏は諸般の事情で会社を辞める事になった。辞める事になった理由については敢えて語るまい。本人の名誉のために、大いなる誤解から生じた結果とだけ言っておこう。まだまだ働かなくてはならない世代である憂多加氏は、一日でも早く仕事を見つけなくてはならない。失業保険を貰いつつ、自分に適した仕事、納得できる仕事、生涯続けて行ける仕事などを捜すという、悠長な事は言っていられない。仕事に就いていないイコール怠け者と思っている憂多加氏は、退職した翌日に職業安定所へ足を運んだ。色々と手続きがあったが、一応それも済み、仕事の検索でもしてみようと、受付に願い出て、検索用端末機の番号札を貰い、同じ番号の端末機の前に座る。使用方法を見ながら黙々と検索する。自分が思う条件の会社は無いようだ。仕方がない、今日はこれくらいで勘弁してやろう、憂多加氏はそう思い立ち上がった。
「ずいぶん熱心ですね」不意に横から声をかけられた。その方に向くと、憂多加氏と同じ年齢くらいの女性が立っていた。美人で落ち着いた感じで清楚な印象の女性だった。彼女も仕事を探しているようだった。こんな素敵な女性を解雇するなんて、どう言う会社だ。憂多加氏は義憤を感じた。「え、ええまあ……」思いと裏腹に憂多加氏は言葉が出て来なかった。「わたしも早い内に仕事を決めなければならないんですよ」女性は微笑む。「そうなんですか」「あなたもそのようですわね」「はあ、そうですね」「お互いにがんばりましょう」女性はそう言うと立ち去った。
 憂多加氏は動けなかった。見知らぬ女性から声をかけられたのは、初めての事だった。どうしてボクに声をかけたのだろう。そう言えば、ボクの事を熱心だと言っていた。きっと彼女は、熱心で真面目なボクの姿に惹かれたのだ。と言う事は、当然、彼女もそんな性格に違いない。僕もちゃらちゃらした女性は苦手だ。今までいた会社の女性たちにも多かったな。何かと言うと仕事以外の話をしていた。そんな影響を男性たちも受けていた。それを考えると、ボクがあの会社を辞めるのは必然だったのだ。少々不名誉な結末で辞める事になったが、これは彼女と出会うために用意された神慮に違いない。定められた運命だったのだ。憂多加氏はそう確信し、慌てて彼女の後を追った。しかし、彼女の姿はすでになかった。
 翌日、憂多加氏は朝一番で職業安定所へ来ていた。仕事探しはもちろんだが、昨日の彼女に会えるかもしれないという思いが少し、いや、仕事探し以上に強くなっていた。朝一番で集まった人々の中に彼女は居なかった。憂多加氏は出入口の見える所に立ち、就職活動支援の内容の印刷されたパンフレットをスタンドから数枚抜き取って読んでいた。もちろん、意識は出入口に集中していた。「なになに? スキルアップ? 資格取得? 合同説明会? 色々とやっているんだな……」パンフレットを見やっている内に、その内容に意識が行ってしまっていた。
「あら、やっぱり熱心な方でしたのね」背後から声をかけられた。憂多加氏は、はっとなって振り返った。昨日の彼女だった。今日も落ち着いた色合いの服装だ。浮かべている微笑が憂多加氏をどきりとさせる。「え、ええまあ……」昨日と同じ答え方をしてしまう憂多加氏だった。違う、こうじゃない! もっと積極的に話をしなければ! 憂多加氏は、ありったけの勇気を振り絞って口を開いた。「……パンフレットを見てました……」ああ、何と情ない! もっと他の言い様があるだろうが! 「あなたも熱心ですね」「どのようなお仕事をお探しなんですか?」「ちょっと気分転換に散歩でもしませんか?」ほら、これ位さらさらと出て来るだろうが! 何が「パンフレット見てました」だ! これで彼女に呆れられちゃったな。やはり神慮や運命なんてのは、ボクには用意されてはいないのだ。憂多加氏は表情こそ平静だったが、心の中では敗北の白旗を千切れんばかりに振り回していた。
「どうですか? 気分転換に散歩でもしませんか?」そう言ったのは彼女だった。憂多加氏は驚いたと同時に大喜びし、壊れて止まらなくなった首振り人形のように、何度も何度もこくこくこくこくと首を縦に振り続けた。
 二人は並んで歩き、近くの公園のベンチに腰掛けた。その頃までには憂多加氏の緊張も解け、気軽に話せるようになっていた。彼女は広瀬亜季子と言った。某商事会社に勤めていたが、上司からの様々なハラスメントを告発し、社内体質は改善されたものの、「怖い女」「気の強い女」と陰口を叩かれるようになり、うんざりして辞めたそうだ。憂多加氏は同情した。亜季子は感謝を述べた。しかし、憂多加氏はそこに感謝以上のものを感じ取っていた。この女性(ひと)を大切にしなければ! ボクが守らなければ! やはりこれは神慮、運命なんだ! そう強く思う憂多加氏だった。彼女が近づいて来たのはその証しだ。ボクの新しい就職先が決まれば、ボクと付き合うようになって、やがては結ばれ、二人でこれからの人生を歩んで行く事になるんだ!
 それから憂多加氏はより一層、就職活動に精力を注いだ。就活のためのセミナーにも通い、何社も面接し、希望するような仕事が見つからない辛い時でも妥協せず、自分が彼女を支えるのだとの強い意志を持って突き進んだ。彼女も頑張っている憂多加氏を優しく見守った。その甲斐があって、憂多加氏は無事、新たな、しかも良い条件の仕事に就く事が出来た。
 憂多加氏は初めて会話をしたベンチで彼女に報告した。「ボク、仕事が決まったんだよ」「まあ、よかったわ!」これからはボクに任せてくれと言おうとした憂多加氏だったが、その前に彼女が言った。「わたしも決まったのよ! 別の商社なんだけど、わたしフランス語ができるから、フランス支社に勤務と言う条件で採用になったのよ!」「……そう……」「ええ! これもあなたの熱心な姿と妥協しない強い意志とが、刺激になったおかげよ! 心から感謝するわ!」「……それで、いつフランスに……」「今週末よ。パスポート持ってるって言うと、会社が早急にって言い出したものだから。でも、これから準備すれば間に合うわ。じゃ、これからお互い頑張りましょうね!」笑顔で手を振りながら彼女は去って行った。自信と希望に満ちた後ろ姿を残しながら。「……よかった、よかった……」憂多加氏はそう呟くと、彼女と反対の方へ去って行った。
 二人の居なくなったベンチに、ひゅうと風が吹き抜けた。


*職業安定所は現在はハローワークと呼ばれていますが、憂多加氏の雰囲気には職業安定所の言い方が似合うかなと思い、敢えてそのように致しました。

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