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怪談 幽ヶ浜 15

2020年08月06日 | 怪談 幽ヶ浜(全29話完結)
「……坊様、何を始めるんだい?」
 太吉は不審そうに尋ねる。しかし、坊様はそれに答えず、数珠を首に掛けると、念仏を唱え出した。低い声が砂浜の上を這うように流れる。太吉は我知らずにその声に聞き入る。日頃の疲れがすっと抜けて行くような気分だった。太吉は目を閉じてじっと聞いていた。
 不意に念仏が止んだ。太吉は我に返った。眠りから覚めたような気分だった。いつもの夜の浜辺の風景が少し違ったもののように感じた。
「あっちの方に居るようじゃ……」
 坊様は言うと錫杖を抜き取り、鐶の先で一方向を指し示した。示された先は闇で、何も見えない。太吉は松明をかざしてみるが、やはり何も分からなかった。
「……本当に居るんですかい?」
「居るはずだ。……多分な……」
「好い加減な話じゃねぇでしょうね?」
「まあ、騙されたと思って行ってみなさい」
 坊様はにやりと笑う。太吉は疑いながらも示された方へ向かった。
 確かに坊様の唱えた念仏を聞いていると心が穏やかになった。ひょっとしたら霊験あらたかな坊様なのかもしれない、太吉は思った。しかし、それにしては見た目が良くない、そうも思った。太吉の中では、坊様とは立派な身形をして仏様の意向を反映するものとなっていたからだ。この坊様はなんか違う、何となく胡散臭いと思った。
 太吉は走りこそしなかったが急ぎ足だった。背後でふうふうと息が上がりながらも付いてくる坊様の気配が感じられる。
 松明を掲げて目を凝らす。小高く積もった砂の向こう側から声が聞こえた。太吉は足を止めた。松明の明るさと爆ぜる音に気が付いたのか、声が静まった。太吉は走って、砂の向こう側に回り込んだ。
「……権二さん……」
 松明の明かりに浮かんだのは権二だった。褌一枚になっていて、口の端から涎を垂らしている。そして、何と言えない、いやらしい感じの笑顔を顔に張り付けている。
「これは、いかん!」太吉の横から坊様が言った。「これは、魂が抜けたなどと言うものではないぞ!」
「じゃあ、何なんで?」
「取り憑かれておるようじゃ……」
「取り憑かれている……?」
「そうじゃ……」
 言いながら坊様は周囲を見回す。星明りの無い浜辺は闇に包まれていて、何も見分けられない。
 坊様は権二の前の砂に錫杖を突き立てた。首に掛けた大きな数珠を手に持つと、先程とは違う念仏を唱えながら数珠を鐶に打ち付け始めた。しばらくして、その手が止まった。
「……ダメじゃな、気配が無い」
「気配って?」
「この権二とやらに憑いた輩さ。……お前さんは、村の衆をここへ呼んできておくれ」
 太吉は薄気味悪そうに坊様を見ていたが、すぐに走り出した。……取り憑かれているってなんだ? あの坊様は何者だ? 
 太吉は思いを巡らせながら走ったが、一向に分からなかった。しばらくすると長たちと合流した。
「太吉か。どうした?」長が、息を切らしている太吉に言う。「見つかったのか?」
「……ああ、見つかった!」太吉は息を整えながら言う。皆の歓声が上がる。「……権二さんは、今、変な坊様と一緒だ」
「変な坊様?」長が訝しむ。歓声を上げた連中もふと黙り込んだ。「それで、その坊様は何をしておる?」
「良くは分かんねぇけど、これは魂が抜かれたんじゃねぇ、取り憑かれているんだ、とか言って、権二さんに向かって念仏を唱えていた。でも、取り憑いた輩はいなくなったようだ」
「そうかい……」長は言うと、周りの連中に言う。「とりあえず、権二の所に行ってみるべえ」
 周りの男衆は「おう!」と応じ、太吉を先頭に歩き出した。


つづく

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