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ブラックメルヒェン その24 「峠茶屋の娘」

2019年07月25日 | ブラック・メルヒェン(一話完結連載中)
(作者註:お食事中には、お読みになりませんように)


 立ち尽くした髭の侍は、肩で荒々しく息をしています。右手には抜き身の刀を持っています。切っ先から垂れているのは、血でした。
 地に伏せている若い侍は、目と口を開き、信じられないと言った表情をしています。血だまりが侍の身体の下の乾いた地面に拡がります。
 午にはまだ早いですが、すでに地面から陽炎が立ち昇っています。止んでいた蝉の声が繁くなります。どこで察知したのか、銀蝿共が不快な羽音を立てながら飛び回っています。
 この光景を峠茶屋の娘は、腰掛の並ぶ、板葺き屋根の下の薄暗い土間から見ていました。日差しは避けられますが、暑気は避けられるものではありません。大粒の汗が止まりません。時折吹く熱い風が、嫌な臭いを運んできます。
「無駄に死におって……」
 髭の侍は呟くと、伏している若い侍の脇にしゃがみ込み、その袴で幾度か刀を拭いました。刀の血を袴に移し終えると侍は立ち上がり、刀を自身の腰の鞘に納めました。額を流れる汗をぐいと腕で拭います。それから茶屋へと入ってきました。飲みかけの冷や水の入った茶碗が二つ、まだ手の付けられていない二つの饅頭の乗った小皿が二枚。ついさっきまで、二人の侍が腰を下ろしていたことを物語っています。
 髭の侍は、それらに視線を落とし、しばらくそのままでいました。不意に顔を上げ、身じろぎもせず立っている娘に近付きます。
「娘、これは双方合意の上でのことだ。場合によってはわしが斬り伏せられていたやも知れぬ」
 髭の侍は低い声で言いました。娘は幾度も首を縦に振って見せました。娘のその仕草がおかしかったか、侍は笑顔になりました。
「心配するな。お前を斬ろうとは思わんよ。だが、侍とはつまらぬ意地を張るものと、呆れたであろうな」
 二人が斬り合う切っ掛けとなったのは、今日は昨日より暑い、暑くないとの言い争いからでした。娘はその言い争いを聞きながら勝手で仕事をしていて、さて片付けでもと思って土間に戻ったら、若い侍が地に伏し、髭の侍が刀を持って立っていたのでした。
「店先を汚してしまって悪かったな。その詫びついでで悪いのだが……」侍は懐から銭入れを取り出すと、数枚の銭を取り出しました。「わしら二人分の休憩代と、その者の弔い分だ。わしは先を急ぐ身でな」
 髭の侍は娘の手を取って銭を重ねました。娘には今まで見たことも無い金額でした。娘はじっと侍の顔を見ます。
「近隣の村の者と和尚でも頼んでやってくれ。……この者の名は知らぬが、良しなにな」
 侍は言うと通りに出、伏している若い侍に片手を立てて拝むと、そのまま行ってしまいました。
 茶屋の娘は、手の平の銭と外の侍とを交互に見ています。
 娘はここいらの在の者ではありませんでした。この茶屋を営んでいる老婆の知り合いの伝手で、週に二日ほど手伝いに来ているだけでした。日に数人が来る程度のこの茶屋は、老婆の道楽のようなものでした。その老婆は用が出来たとかで、陽の昇る前から出掛けていました。午までには戻ると言う、下手な字の書き置きがありました。
 まだ午には時があります。この峠を通る旅人も、いつものようにまだ見えません。娘は手の平の銭を袂に放り込むと、勝手に行って転がっている棒を掴み、通りに出ました。強い日差しに一瞬目がくらみました。どっと汗が全身に噴き出しました。
 地に伏している若い侍に近寄ります。銀蝿が集り始めています。木の枝には烏が数羽、留まっています。噎せ返る嫌な臭いが強くなっています。
 娘は侍の骸を棒で押しました。通りのすぐ脇の斜面に転がそうとしていたのです。娘は侍のからだの下に棒を入れて押し上げます。幾度か試しているうちに骸は仰向けになりました。その時、去って行った侍が懐から銭入れを取り出したのを思い出しました。娘は恐る恐る骸に手を伸ばします。蠅が一斉に飛び立ちます。娘は骸の懐に手を入れました。指先に感触がありました。銭入れの袋です。それを握りしめると引き抜きました。
ずしりとした重さがあり、じゃらりと銭同士がぶつかり合う音がしています。娘はそれを袂に入れました。それから、再び棒で骸を押し続けました。
 やがて、若い侍の骸は峠の斜面を転がって行きました。娘は棒を斜面に向かって放り投げました。それから、路面に残った血溜まりに土を蹴り上げて覆い尽くしました。通りの左右を見ます。いつものように旅人は見えません。娘は一仕事を終えた百姓のように汗まみれになっていました。ほうっと深いため息をつきます。
 こんな暑い日に厄介事はご免だ、娘はそう思いました。
 娘は店に戻り、薄汚れた手拭いで汗を拭きつつ、老婆と客とを待ちました。
 帰りに少し遠出をして何か美味しい物でも食べようか、娘は袂の重みを感じながらそうも思いました。
 蝉が一際うるさく鳴いていました。


 皆様、夏本番です。暑い中で色々と面倒事も多いでしょうが、この娘を不快に思われましたなら、誠実に参りましょう。共感できるとおっしゃる方は、まあ、それなりに……


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