『月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり』
元禄2年・芭蕉47歳、曾良41歳で千住深川を3月27日に出発し
日光街道を北へ向かった。
『草の戸も住み替わる代ぞ雛の家』
最初の句『行く春や鳥啼き魚の目に泪』草加を過ぎて春日部泊り
小淵山観音院には、同じ年に円空が足跡を残している。
室の八島とは?栃木市の大神神社の境内に八島がつくられた。
二日目には間々田の宿泊まり、下野国の総社・大神神社に参詣
『糸遊に結びつきたる煙かな』
壬生を経て、楡木に向かい『金売吉次』
本名は三条吉次信高の墓を詣で鹿沼泊り。
日光山『二荒山』に詣でた、空海大師開基『補陀落山』
東照宮・・『あらたふと青葉若葉の日の光』
曾良(河合惣五郎)・『剃り捨てて黒髪山に衣更』
裏見の滝で『しばらくは滝に籠もるや夏の初め』
那須へ向かって大渡りから船生へ、玉生の名主宿泊
那須の黒羽へ棚倉街道の農家に泊まり道に迷う
『かさねとは八重撫子の名なるべし』
黒羽には13日も滞在 修験道の光明寺・行者堂
『夏山に足駄を拝む首途かな』
黒羽の雲厳寺十景 『啄木鳥も庵は破らず夏木立』
茶臼岳をみながら、殺生石へ 西行が詠んだ柳を葦野の里で
『田一枚植えて立ち去る柳かな』・・遊行柳(ゆぎょうやなぎ)
那須湯本から陸奥へ!能因法師の吟詠
『都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関』
境の明神で門前茶屋があり、芭蕉は白河の関を探したが12世紀に廃止された。
『卯の花をかざしに関の晴れ着かな』曾良・・・これより陸奥!!
元禄2年・芭蕉47歳、曾良41歳で千住深川を3月27日に出発し
日光街道を北へ向かった。
『草の戸も住み替わる代ぞ雛の家』
最初の句『行く春や鳥啼き魚の目に泪』草加を過ぎて春日部泊り
小淵山観音院には、同じ年に円空が足跡を残している。
室の八島とは?栃木市の大神神社の境内に八島がつくられた。
二日目には間々田の宿泊まり、下野国の総社・大神神社に参詣
『糸遊に結びつきたる煙かな』
壬生を経て、楡木に向かい『金売吉次』
本名は三条吉次信高の墓を詣で鹿沼泊り。
日光山『二荒山』に詣でた、空海大師開基『補陀落山』
東照宮・・『あらたふと青葉若葉の日の光』
曾良(河合惣五郎)・『剃り捨てて黒髪山に衣更』
裏見の滝で『しばらくは滝に籠もるや夏の初め』
那須へ向かって大渡りから船生へ、玉生の名主宿泊
那須の黒羽へ棚倉街道の農家に泊まり道に迷う
『かさねとは八重撫子の名なるべし』
黒羽には13日も滞在 修験道の光明寺・行者堂
『夏山に足駄を拝む首途かな』
黒羽の雲厳寺十景 『啄木鳥も庵は破らず夏木立』
茶臼岳をみながら、殺生石へ 西行が詠んだ柳を葦野の里で
『田一枚植えて立ち去る柳かな』・・遊行柳(ゆぎょうやなぎ)
那須湯本から陸奥へ!能因法師の吟詠
『都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関』
境の明神で門前茶屋があり、芭蕉は白河の関を探したが12世紀に廃止された。
『卯の花をかざしに関の晴れ着かな』曾良・・・これより陸奥!!