洗濯が終わった
洗濯物に猫の毛が付いている
コロコロで除去しなきゃ
静かな午後
まるで深夜のよう
カワラヒワの声
ひまわりの種を食べに来たのだろう
南無阿弥陀仏
そう唱えれば誰でも阿弥陀様が極楽浄土に連れて行ってくれる
そんな都合の良い宗教があるだろうか?
過去の出来事に深く傷つき
それを思い出す度に心が苛まれる
そんな経験は誰にもあるだろう
心を苛んでいるとき
それはきっと贖罪の想いで自分を責めるのだろう
でもそれに捕らわれ、今の自分を見失うことになったら
今必要とされている自分をも見失いがちになることでは無いだろうか?
南無阿弥陀仏
それは単なる免罪符では無く
過去の出来事に後悔する人への救い
「あなたはもう充分に苦しんだ」
出来事は消えることも無く、今後も心を苛むこともあろうが
それを悔いても何も変わらない。
その出来事をいつものことと受け止め
受け流す力を後押しするのが南無阿弥陀仏では無いだろうか?
私は悲しい出来事も絵にして気持ちを吐き出そうとしている
それは執着を無くすことでは無く
私の想いを全て描ききった自分の分身として
それができる歳になったので今それを行いたい
阿弥陀様に問うとしたら
「それで良いんですよね?」という事だけ
カワラヒワよりずっと小さい南国の鳥
それを死なせてしまった心の傷も
この歳になって受け流す事が出来るようになった。
もっともっと苛むたくさんのこと
その全てを受け流し、今の自分を活かす道に繋げる
それが人生の集大成として与えられた
この時期に成すべき事だろうと思う
カワラヒワの鳴き声に導かれて