今日は、母の命日です。18年になります。
大好きな母が急に眠ったまま逝ってしまって、当時26歳だった私は、家に帰ると押し入れを開けては母を探すような、正気でなさに苦しみ、その後数年は悲しみが続きました。
でも、私より悲しかったのは、父だったと思います。自ら選んだ人を、若くして、しかも愛し合う時の中で喪うのは、身も心も引き裂かれたようだったと思います。
父と母は、仲良しで、最期まで一緒に眠り、時にはお風呂も一緒でした。
私は父に、「何かあったら、お父さんは、お母さんを守るから、お前は自分で何とかしなさい。」と言われて育ちました。
人工的に冷やされた母の亡骸を、父は何度も何度も抱きしめていました。
母が死んで、どのくらい経ってからか、父は「お母さんは幸せだった。」と言いました。
母は、愛された人だったと思います。
そういう思い出を胸に、今は心安らかに過ごせています。
今夜は、母がよく作ってくれた私の好物「粕汁」を作って食べました。
母は、風邪で死にました。風邪は引かないようにしてください。
大好きな母が急に眠ったまま逝ってしまって、当時26歳だった私は、家に帰ると押し入れを開けては母を探すような、正気でなさに苦しみ、その後数年は悲しみが続きました。
でも、私より悲しかったのは、父だったと思います。自ら選んだ人を、若くして、しかも愛し合う時の中で喪うのは、身も心も引き裂かれたようだったと思います。
父と母は、仲良しで、最期まで一緒に眠り、時にはお風呂も一緒でした。
私は父に、「何かあったら、お父さんは、お母さんを守るから、お前は自分で何とかしなさい。」と言われて育ちました。
人工的に冷やされた母の亡骸を、父は何度も何度も抱きしめていました。
母が死んで、どのくらい経ってからか、父は「お母さんは幸せだった。」と言いました。
母は、愛された人だったと思います。
そういう思い出を胸に、今は心安らかに過ごせています。
今夜は、母がよく作ってくれた私の好物「粕汁」を作って食べました。
母は、風邪で死にました。風邪は引かないようにしてください。