※「原子力資料情報室通信」596号 ↑
能登半島地震について失言をした自民党議員が話題になったが、かつて能登の珠洲すず市には原発を作ろうという計画が電力3社によってもち上がった。断層だらけの半島先端部に、ほぼ同時に2箇所に(高屋と 寺家じけの二つの地区)であった。
1970年代の計画発覚直後から現地には反対運動が立ち上がった。1993年の市長選では投票数が有権者数より多いという珍事が発生、当選した推進派市長は失職。電力会社は「原発は岩盤に直接建てられるから安全」と宣伝していたのだったが、2003年「経営環境の厳しさ」を理由に電力3社は計画の凍結を珠洲市に伝えた。*1
昨年の能登半島地震では高島・寺家両地区も1~2メートル以上隆起し、「もしここに原発があったら……」と背筋を冷たくさせた。
大きく隆起した海岸の少し南の海岸近くに位置する志賀しか原発(羽咋はくい郡 志賀町;2011年以降稼働停止)も大きく揺すられ*2 、敷地地盤の一部地盤が移動したのではないか疑われた*3 。冷却ポンプが止まり、変圧器から絶縁用の油が大量に漏れた。放射能計測のモニタリングポストの2割近くからデータが得られなくなった。
政府の情報把握にもミスが相次ぎ、大事故に繋がらなかったからよかったが、原発の存在に改めて不安を掻き立てられる惨事となった。
「(志賀原発の)物揚げ場は4cm沈下、敷地内も数cm沈下した」と北陸電力は言い、事実アチコチに段差が発生*4 、すぐ近くの海岸は60~70cm隆起したから、今回は幸い「命取り」までには至らなかったが、実に危ういところだった。稼働していなかったのが幸いした*5 と言えよう。
日本の原発対応の怪しさを改めて示すことになった能登半島地震であった。半島周辺の地盤と同時に国の方針のソレも大きく揺らいだのであった。
比較として持ち出すとすれば、議員失言とはレベルの違う、あの「赤木ファイル」の示した財務省における不実・裏切りではなかろうか?
実は、その両者の根っこには、私たち自身の抱える深刻な問題があったように思うのだ。——それがいま露見した。
3・11の後、人々はどう判断していたか?
「東日本壊滅の恐れ」が実感されたのは、燃料プールに保存されていた使用済み核燃料の冷却ができずメルトダウンを起こして大量の放射性物質が放出されるという恐ろしいシナリオによってであった。内閣府原子力委員会委員長の近藤駿介によるまとめ。そこには、半径250km(北は盛岡、南は横浜)から3000万人の退避が求められる事態が描かれていた。*6
詳細は今も不明(!)だが、いくつかの幸運が重なって、その深刻な危機は避けられたのだった。偶然に助けられて……。
しかし、原発自体の危険性が少なくなったたわけではない。むしろ逆である。
人間がコントロールできない部分があることが改めて明らかになったのだ。10年以上経っても分からないことがいくらもあるのだ。私たちはまだ分からないことだらけなのだ。(デブリの取り出し法の「謎」が解けていないのもその一部)
核のコントロールはカクも難しい!
——そう感取してであったか、3・11直後「原発はやめるべきだ」という意見は7割を占めた。*7
ところが、政府はそういう選択をできないままズルズル使い続けてきてしまった。(そして今や「揺り戻し」で、老朽原発再稼働への流れが急となっている……)
その後、国政選挙の度に原発政策は争点とされてきたが、今回の参院選は物価高・米価高騰、それに「デマ紛い」の幻の争点の煽あおりを受けて、原発問題は前面から退いてしまっているようだ。
今次(2025/ 7)参院選、能登半島のある石川県選挙区(定数1)には、「届出順」で、日本共産党・自由民主党・国民民主党・NHK党・参政党の5党派から計5人が立候補しているが、選挙区の選挙公報中で、原発について言及している候補者は一人もいない。
一つが稼働中(島根原発;松江)でさらにもう一つ新設されようとしている島根・鳥取選挙区でも、「公報」で原発問題に言及している候補者は一人もいない。3・11以後停止中だが、「世界最大」と言われる柏崎刈羽原発(新潟)の設置者・東京電力の本社のある東京選挙区でも一人もいない……。*8
トランプ大統領の科学研究予算の削減、留学生への冷遇で、「学問の自由が危ない」との声が上がっているとNHKは報道している(2025/7/16「トランプ政権vs.ハーバード大学」等)が、日本はどうなのか?
彼の、自分を偉大に見せるための道具立てに過ぎない大風呂敷に皆呆れてみせるが、そういう政治家は実は日本にもいたように思う。それに取り巻きが「忖度そんたく」を重ね、それが「雪だるま」式に膨れ上がって出来上がった「忖度だるま」が国を間違った道へと迷い込ませてしまったのではなかったか。取り巻きたちは忖度風に乗って上へ上へと滑走していったが、下の弱き者たちは逆に、貶おとしめられ孤立させられ、社会への恨みを溜め込まざるをえなくなる新自由主義の隘路にハマり込んでしまう……。
今日明日の損得、小さな私的自由には敏感でも、自国や世界の数年後数十年後を見据えて、どういう「舵取り」が必要かについて、私たちはあまりに「自己チュウ」「近視眼」だったのではないか? 「こうあるべき」という理念に向かって歩んでいくことに無関心で、目先の快感・利益に川辺の葦のように一斉に靡なびいていった結果が、「いま」なのではないか。
原発についての人々の、3・11後の判断は間違っていなかったと思う。
私たちは、あのとき、次世代(子たち・孫たち世代)のことを考えていた。どんな世界を子孫に遺して行くべきか、と……。
私たちは、未来を長い射程で考えようとしていた。それも真剣に。
しかし、21世紀になった頃から際立って来た、目先の利益に振り回された政治家や官僚たちの「短慮」による挙動が、決断を先延ばしにして、真実から目を逸らし続けてきてしまった。そして人々も少しずつそれに慣らされていった。
私たちは徐々に学ばされた。
「風に逆らって、本当のことを言ったりすると冷や飯食いになりかねない」と。
「そういうことをする奴は愚かなのだ」と。
しかし、思い出してみてほしい。(忘れた、或いは知らなかった、という方もいるか?)
あの「東日本壊滅の危機」のとき、原子炉建屋の上部の核燃料プールの冷却が成功するかどうか、私たちは固唾かたずを呑んで見守っていた。
被曝の危険を冒して真上を飛んだ自衛隊のヘリからは、巨大バケツの水を狙って撒いたのだが、ソレはなかなか命中しなかった。消防ポンプ車からの放水も十分とは言えそうもなく頼りなく感じた……。
私たちはTVでそれを見て「あーあ」と嘆息した。
建屋の真上から正確に大量の水を注ぎ続けることのできる仕掛けが欲しかった。*9
目が付けられたのは、高層建物の建設の際、生コンクリートの圧送をする、象の鼻のように長い腕(「ブーム」と呼ばれる)をもつタイプのポンプ車であった。
原発建屋の上部から水を注ぐため、2~4号機の原子炉建屋の上部(地上高約50m*10 )に水を届けられるあの装置が欲しい!
爆発で壁には欠けた部分もあったが、ブームには最低でも60mほどの長さが求められた。日本にあったドイツ製の4台が集められた。ブーム長58m。さらにアメリカから70m級を緊急輸入することになった。
そのとき、中国企業・三一重工が(在日中国人の伝えた)福島からの叫びを聞き付けて、ドイツへの輸出直前で上海の港にあったソレを無償で急遽日本に振り向けてくれることになった。ブーム長62m。
アメリカのが福島に届いたのは4月だったが、中国のは3月中には現場に届き活躍した。
三一重工の梁隠根社長はそのとき「無償で提供しなければならない」と即断、「中国と日本は一衣帯水、今、日本は私たちの助けを必要としている。人の困難につけ込むような商売は決してしない」と語ったという。
三一重工の提供したユニークな外観のポンプ車に、時の経産大臣・海江田万里は「大キリン」という名を与えた。*11
一衣帯水の中国からのその恩義に、12年後、日本は「処理水」(完全には処理されてはいないが…)の海洋放出で応じた形になってしまった。
国内でも十分納得されてはいない手法を他国に頷いてもらおうというのは虫の良すぎる「短慮」であった。日本はしかし、その隣国に「分からず屋」という風評を広めて応えてしまった。残念なことだった。
私たちがこのところ罹ってしまっている病い、
それは「タンリョ(短慮)」であろう。
そして、いま私たちに求められているのは、「シンリョ(深慮)」に「タンリョク(胆力)」なのではないか。
目先の損得にこだわって「右顧左眄うこさべん」する狡ずる賢こさではなく、長い目で見て最良と思える道を勇気をもって選んでいく度胸。
「大キリン」は今も非常時に備え、福島第一原発にあり、中国企業が今も定期的に部品の交換やメンテナンス作業を無償で続けているという。*12
2025参院選における政党別原発政策比較(by Foe Japan)
https://foejapan.org/issue/staffblog/2025/07/02/staffblog-24594/
*1 2024/1/25 付中日新聞記事~「珠洲原発、止めて良かった」 反対運動率いた僧侶も被災、避難も屋内退避もできず;2024.03.01付『週刊金曜日』記事〜山秋真「原発建設反対運動に救われた能登と西日本」;2024/3/6付東京新聞記事~「原発ブローカーの暗躍と反対運動」等参照。
*2 地表で震度5弱、1号炉の原子炉建屋最下階の床面で最大加速度399.3ガルと北陸電力は当初発表したが、今回の地震による地震動は、北陸電力が想定していた「能登半島北部沿岸域断層帯」による地震動を大きく超えていたことが後に分かった。しかも多くの機器・設備が能登半島地震の振動で限界近くまで揺すられたこともわかってきた。(2025/04/30「原子力資料情報室通信」上澤千尋氏記事「志賀原発の耐震性はまったく不十分」参照)
*3 隆起は、寺家地区では1~2m、高島地区では2m以上と言われている。北陸電力は3月25日、敷地内を測量した結果「物揚げ場が約4センチ沈下していた」と公表。しかし「発電所に影響はない」としていた。北陸電力は「地盤の揺らぎはない」としているようだ。
*4 社民党の福島瑞穂の報告による。
*5 志賀原子力発電所は2基の原子炉があり、1号機が1993年、2号機が2006年の運転開始。どちらも東京電力福島第一原発と同じ沸騰水型で、2011年に運転を停止し、その後、新規制基準への対応が求められ現在も停止したままだが、2号機は2014年に再稼働をめざし安全審査を申請、敷地内の断層の評価に時間がかかったことなどから審査は長期化していたが、昨年1月に能登半島地震が起き、断層評価はさらに長期化の様相、避難経路問題も絡んで、再稼働の見通しは立っていない。
*6 第一原発の吉田所長も2号機の冷却失敗によって同様の危険があると考えていた。
*7 安倍政権が原発利用再開へと舵を切った2013年の時点でさえ、世論調査では、「すぐに or 2030年代に 原発はやめる」が6〜8割に達していた。(本ブログ 2016/9/22記事「3・11後の社会通念(2)〜再稼働」参照)
*8 比例代表の方の公報では政党別の比例代表候補者名と各政党の主要な政策が示されるが、そこには一部の政党で、エネルギー&原発への方針が書かれている。公報以外のところで示されている「マニュフェスト」「質問への回答」等を参考に、各政党が打ち出す政策、公約の違いを表にしてまとめているサイト「JAPAN CHOICE」では、例えば「環境・エネルギー」についての各党の政策(例えば「原発再稼働」)の違いについてまとめていて、参考になる。(https://japanchoice.jp/policy-comparison)
また、環境問題に取り組んでいるNPO「FoE Japan」のまとめによれば、今次参院選における各政党の原発方針の違いは本文末の下の図のようになっている。
*9 3月17日から、放射線を浴びる危険を冒しての、自衛隊ヘリによる上空からの大バケツ作戦は決行されたが、プールにピンポイントに流し込むことはできなかった。東京消防庁による放水でなんとか辛うじて状況の悪化を食い止めているようだったが、効果的な注水はできていない状況だった。「このままではとんでもないことになる」そういう不気味な不安が足元から徐々に上がって来ていた。祈るような気持ちだった。
*10 建屋の高さは設計上62mだが、下部約10mは地下化されている。建屋最上部にある燃料プール上端は地上高約50mだった。ブームはどうしても斜めになるので、約60mのブームが必要だった。
*11 当時現場の作業員たちは、何台ものそれぞれ特徴あるコンクリートポンプ車をあだ名で呼んだ。キリン、ゾウ(マンモス)、シマウマ、と。ポンプ車はそのまま現場に運ばれたわけでは無い。操作員の被曝を防ぐため、遮蔽が必要だった。ポンプ車が一旦運び込まれた前進基地には、東芝・日立・三菱等日本の原発関連企業の技術者等が集められた「オールジャパン」のチームが、直ちに対策を練り実行する構えをとっていたという。そこにおいて、チェルノブイリ原発事故の際に使われた車両の装甲の写真を分析し、必要な鉛装甲の厚さを計算し、取り付け法を検討し、材料を調達し、直ぐに遮蔽板を取り付け、超重量になったソレを現地に運んで放水するに至ったのであった。(東京新聞2020/10/7付記事〜〈ふくしまの10年・イチエフあの時 事故発生当初編〉(12)愛称で呼ばれた特殊車両;
東京新聞2021/2/10付記事〜キリン、マンモス、シマウマ 福島第一原発に残る「あの日」活躍した車両 他参照)
*12 日テレNews (福島中央テレビ) HP (2024/3/7記事)より。
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2024年能登半島地震と志賀原発 -マグニチュード7.6の活断層地震と原発- | 原子力資料情報室(CNIC)
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