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シードン23

クモ、コウモリ、ネズミ……我が家の居候たち。こっちがお邪魔か? うるさい! いま本読んでるんだから静かに!

not タンリョ but タンリョク

2025-07-23 22:47:26 | 文化

※「原子力資料情報室通信」596号 ↑

 能登半島地震について失言をした自民党議員が話題になったが、かつて能登の珠洲すず市には原発を作ろうという計画が電力3社によってもち上がった。断層だらけの半島先端部に、ほぼ同時に2箇所に(高屋と 寺家じけの二つの地区)であった。
 1970年代の計画発覚直後から現地には反対運動が立ち上がった。1993年の市長選では投票数が有権者数より多いという珍事が発生、当選した推進派市長は失職。電力会社は「原発は岩盤に直接建てられるから安全」と宣伝していたのだったが、2003年「経営環境の厳しさ」を理由に電力3社は計画の凍結を珠洲市に伝えた。*1 

 昨年の能登半島地震では高島・寺家両地区も1~2メートル以上隆起し、「もしここに原発があったら……」と背筋を冷たくさせた。

 大きく隆起した海岸の少し南の海岸近くに位置する志賀しか原発(羽咋はくい郡 志賀町;2011年以降稼働停止)も大きく揺すられ*2 、敷地地盤の一部地盤が移動したのではないか疑われた*3 。冷却ポンプが止まり、変圧器から絶縁用の油が大量に漏れた。放射能計測のモニタリングポストの2割近くからデータが得られなくなった。
 政府の情報把握にもミスが相次ぎ、大事故に繋がらなかったからよかったが、原発の存在に改めて不安を掻き立てられる惨事となった。
 「(志賀原発の)物揚げ場は4cm沈下、敷地内も数cm沈下した」と北陸電力は言い、事実アチコチに段差が発生*4 、すぐ近くの海岸は60~70cm隆起したから、今回は幸い「命取り」までには至らなかったが、実に危ういところだった。稼働していなかったのが幸いした*5 と言えよう。

 日本の原発対応の怪しさを改めて示すことになった能登半島地震であった。半島周辺の地盤と同時に国の方針のソレも大きく揺らいだのであった。
 比較として持ち出すとすれば、議員失言とはレベルの違う、あの「赤木ファイル」の示した財務省における不実・裏切りではなかろうか?

 実は、その両者の根っこには、私たち自身の抱える深刻な問題があったように思うのだ。——それがいま露見した。
 
 3・11の後、人々はどう判断していたか?

 「東日本壊滅の恐れ」が実感されたのは、燃料プールに保存されていた使用済み核燃料の冷却ができずメルトダウンを起こして大量の放射性物質が放出されるという恐ろしいシナリオによってであった。内閣府原子力委員会委員長の近藤駿介によるまとめ。そこには、半径250km(北は盛岡、南は横浜)から3000万人の退避が求められる事態が描かれていた。*6

 詳細は今も不明(!)だが、いくつかの幸運が重なって、その深刻な危機は避けられたのだった。偶然に助けられて……。
 しかし、原発自体の危険性が少なくなったたわけではない。むしろ逆である。
 人間がコントロールできない部分があることが改めて明らかになったのだ。10年以上経っても分からないことがいくらもあるのだ。私たちはまだ分からないことだらけなのだ。(デブリの取り出し法の「謎」が解けていないのもその一部)

 核のコントロールはカクも難しい!

 ——そう感取してであったか、3・11直後「原発はやめるべきだ」という意見は7割を占めた。*7
 ところが、政府はそういう選択をできないままズルズル使い続けてきてしまった。(そして今や「揺り戻し」で、老朽原発再稼働への流れが急となっている……)

 その後、国政選挙の度に原発政策は争点とされてきたが、今回の参院選は物価高・米価高騰、それに「デマ紛い」の幻の争点の煽あおりを受けて、原発問題は前面から退いてしまっているようだ。

 今次(2025/ 7)参院選、能登半島のある石川県選挙区(定数1)には、「届出順」で、日本共産党・自由民主党・国民民主党・NHK党・参政党の5党派から計5人が立候補しているが、選挙区の選挙公報中で、原発について言及している候補者は一人もいない。
 一つが稼働中(島根原発;松江)でさらにもう一つ新設されようとしている島根・鳥取選挙区でも、「公報」で原発問題に言及している候補者は一人もいない。3・11以後停止中だが、「世界最大」と言われる柏崎刈羽原発(新潟)の設置者・東京電力の本社のある東京選挙区でも一人もいない……。*8 

 トランプ大統領の科学研究予算の削減、留学生への冷遇で、「学問の自由が危ない」との声が上がっているとNHKは報道している(2025/7/16「トランプ政権vs.ハーバード大学」等)が、日本はどうなのか?
 彼の、自分を偉大に見せるための道具立てに過ぎない大風呂敷に皆呆れてみせるが、そういう政治家は実は日本にもいたように思う。それに取り巻きが「忖度そんたく」を重ね、それが「雪だるま」式に膨れ上がって出来上がった「忖度だるま」が国を間違った道へと迷い込ませてしまったのではなかったか。取り巻きたちは忖度風に乗って上へ上へと滑走していったが、下の弱き者たちは逆に、貶おとしめられ孤立させられ、社会への恨みを溜め込まざるをえなくなる新自由主義の隘路にハマり込んでしまう……。
 今日明日の損得、小さな私的自由には敏感でも、自国や世界の数年後数十年後を見据えて、どういう「舵取り」が必要かについて、私たちはあまりに「自己チュウ」「近視眼」だったのではないか? 「こうあるべき」という理念に向かって歩んでいくことに無関心で、目先の快感・利益に川辺の葦のように一斉に靡なびいていった結果が、「いま」なのではないか。
 
 原発についての人々の、3・11後の判断は間違っていなかったと思う。

 私たちは、あのとき、次世代(子たち・孫たち世代)のことを考えていた。どんな世界を子孫に遺して行くべきか、と……。
 私たちは、未来を長い射程で考えようとしていた。それも真剣に。
 しかし、21世紀になった頃から際立って来た、目先の利益に振り回された政治家や官僚たちの「短慮」による挙動が、決断を先延ばしにして、真実から目を逸らし続けてきてしまった。そして人々も少しずつそれに慣らされていった。
 私たちは徐々に学ばされた。

「風に逆らって、本当のことを言ったりすると冷や飯食いになりかねない」と。

  「そういうことをする奴は愚かなのだ」と。
 しかし、思い出してみてほしい。(忘れた、或いは知らなかった、という方もいるか?)
 あの「東日本壊滅の危機」のとき、原子炉建屋の上部の核燃料プールの冷却が成功するかどうか、私たちは固唾かたずを呑んで見守っていた。

 被曝の危険を冒して真上を飛んだ自衛隊のヘリからは、巨大バケツの水を狙って撒いたのだが、ソレはなかなか命中しなかった。消防ポンプ車からの放水も十分とは言えそうもなく頼りなく感じた……。
 私たちはTVでそれを見て「あーあ」と嘆息した。

 建屋の真上から正確に大量の水を注ぎ続けることのできる仕掛けが欲しかった。*9 
 目が付けられたのは、高層建物の建設の際、生コンクリートの圧送をする、象の鼻のように長い腕(「ブーム」と呼ばれる)をもつタイプのポンプ車であった。
 原発建屋の上部から水を注ぐため、2~4号機の原子炉建屋の上部(地上高約50m*10 )に水を届けられるあの装置が欲しい!
 爆発で壁には欠けた部分もあったが、ブームには最低でも60mほどの長さが求められた。日本にあったドイツ製の4台が集められた。ブーム長58m。さらにアメリカから70m級を緊急輸入することになった。

 そのとき、中国企業・三一重工が(在日中国人の伝えた)福島からの叫びを聞き付けて、ドイツへの輸出直前で上海の港にあったソレを無償で急遽日本に振り向けてくれることになった。ブーム長62m。
 アメリカのが福島に届いたのは4月だったが、中国のは3月中には現場に届き活躍した。
 三一重工の梁隠根社長はそのとき「無償で提供しなければならない」と即断、「中国と日本は一衣帯水、今、日本は私たちの助けを必要としている。人の困難につけ込むような商売は決してしない」と語ったという。
 三一重工の提供したユニークな外観のポンプ車に、時の経産大臣・海江田万里は「大キリン」という名を与えた。*11

 一衣帯水の中国からのその恩義に、12年後、日本は「処理水」(完全には処理されてはいないが…)の海洋放出で応じた形になってしまった。
 国内でも十分納得されてはいない手法を他国に頷いてもらおうというのは虫の良すぎる「短慮」であった。日本はしかし、その隣国に「分からず屋」という風評を広めて応えてしまった。残念なことだった。
  
 私たちがこのところ罹ってしまっている病い、

 それは「タンリョ(短慮)」であろう。

 そして、いま私たちに求められているのは、「シンリョ(深慮)」に「タンリョク(胆力)」なのではないか。
 目先の損得にこだわって「右顧左眄うこさべん」する狡ずる賢こさではなく、長い目で見て最良と思える道を勇気をもって選んでいく度胸。

 「大キリン」は今も非常時に備え、福島第一原発にあり、中国企業が今も定期的に部品の交換やメンテナンス作業を無償で続けているという。*12 

 

     2025参院選における政党別原発政策比較(by Foe Japan)
     https://foejapan.org/issue/staffblog/2025/07/02/staffblog-24594/

*1 2024/1/25 付中日新聞記事~「珠洲原発、止めて良かった」 反対運動率いた僧侶も被災、避難も屋内退避もできず;2024.03.01付『週刊金曜日』記事〜山秋真「原発建設反対運動に救われた能登と西日本」;2024/3/6付東京新聞記事~「原発ブローカーの暗躍と反対運動」等参照。
*2 地表で震度5弱、1号炉の原子炉建屋最下階の床面で最大加速度399.3ガルと北陸電力は当初発表したが、今回の地震による地震動は、北陸電力が想定していた「能登半島北部沿岸域断層帯」による地震動を大きく超えていたことが後に分かった。しかも多くの機器・設備が能登半島地震の振動で限界近くまで揺すられたこともわかってきた。(2025/04/30「原子力資料情報室通信」上澤千尋氏記事「志賀原発の耐震性はまったく不十分」参照)
*3 隆起は、寺家地区では1~2m、高島地区では2m以上と言われている。北陸電力は3月25日、敷地内を測量した結果「物揚げ場が約4センチ沈下していた」と公表。しかし「発電所に影響はない」としていた。北陸電力は「地盤の揺らぎはない」としているようだ。
*4 社民党の福島瑞穂の報告による。
*5 志賀原子力発電所は2基の原子炉があり、1号機が1993年、2号機が2006年の運転開始。どちらも東京電力福島第一原発と同じ沸騰水型で、2011年に運転を停止し、その後、新規制基準への対応が求められ現在も停止したままだが、2号機は2014年に再稼働をめざし安全審査を申請、敷地内の断層の評価に時間がかかったことなどから審査は長期化していたが、昨年1月に能登半島地震が起き、断層評価はさらに長期化の様相、避難経路問題も絡んで、再稼働の見通しは立っていない。
*6 第一原発の吉田所長も2号機の冷却失敗によって同様の危険があると考えていた。
*7 安倍政権が原発利用再開へと舵を切った2013年の時点でさえ、世論調査では、「すぐに or 2030年代に 原発はやめる」が6〜8割に達していた。(本ブログ 2016/9/22記事「3・11後の社会通念(2)〜再稼働」参照)
*8 比例代表の方の公報では政党別の比例代表候補者名と各政党の主要な政策が示されるが、そこには一部の政党で、エネルギー&原発への方針が書かれている。公報以外のところで示されている「マニュフェスト」「質問への回答」等を参考に、各政党が打ち出す政策、公約の違いを表にしてまとめているサイト「JAPAN CHOICE」では、例えば「環境・エネルギー」についての各党の政策(例えば「原発再稼働」)の違いについてまとめていて、参考になる。(https://japanchoice.jp/policy-comparison) 
 また、環境問題に取り組んでいるNPO「FoE Japan」のまとめによれば、今次参院選における各政党の原発方針の違いは本文末の下の図のようになっている。
*9 3月17日から、放射線を浴びる危険を冒しての、自衛隊ヘリによる上空からの大バケツ作戦は決行されたが、プールにピンポイントに流し込むことはできなかった。東京消防庁による放水でなんとか辛うじて状況の悪化を食い止めているようだったが、効果的な注水はできていない状況だった。「このままではとんでもないことになる」そういう不気味な不安が足元から徐々に上がって来ていた。祈るような気持ちだった。
*10 建屋の高さは設計上62mだが、下部約10mは地下化されている。建屋最上部にある燃料プール上端は地上高約50mだった。ブームはどうしても斜めになるので、約60mのブームが必要だった。
*11 当時現場の作業員たちは、何台ものそれぞれ特徴あるコンクリートポンプ車をあだ名で呼んだ。キリン、ゾウ(マンモス)、シマウマ、と。ポンプ車はそのまま現場に運ばれたわけでは無い。操作員の被曝を防ぐため、遮蔽が必要だった。ポンプ車が一旦運び込まれた前進基地には、東芝・日立・三菱等日本の原発関連企業の技術者等が集められた「オールジャパン」のチームが、直ちに対策を練り実行する構えをとっていたという。そこにおいて、チェルノブイリ原発事故の際に使われた車両の装甲の写真を分析し、必要な鉛装甲の厚さを計算し、取り付け法を検討し、材料を調達し、直ぐに遮蔽板を取り付け、超重量になったソレを現地に運んで放水するに至ったのであった。(東京新聞2020/10/7付記事〜〈ふくしまの10年・イチエフあの時 事故発生当初編〉(12)愛称で呼ばれた特殊車両;
東京新聞2021/2/10付記事〜キリン、マンモス、シマウマ 福島第一原発に残る「あの日」活躍した車両 他参照)
*12 日テレNews (福島中央テレビ) HP (2024/3/7記事)より。
*13 この号の次の記事は下のリンク
2024年能登半島地震と志賀原発 -マグニチュード7.6の活断層地震と原発- | 原子力資料情報室(CNIC)
    NPO原子力資料情報室 連絡先TEL:03-6821-3211  Email:cnic@nifty.com


キャピタルの街にアートを掲げる

2025-04-29 16:21:21 | 文化

こんばんは

 新幹線で缶ビール飲みながら帰って、名古屋でゆっくりお休みになったことでしょうね。

 あの日は朝から上野(「ミロ展」です)まで出かけて歩きっぱなしだったので、早めに帰りたくなったのでした。(前にも言いましたが、新美術館は居心地が極めて良くないとうこともあります 笑)

 2階の絵画をちゃんと観ていないのが気になって、昨日改めて六本木に繰り出しました。2時間ほどかけて観てみました……しかし、やはりあの日ザッと眺めた以上の収穫はありませんでした。

 思うに、作家の皆さん、困っているのではないでしょうか。迷っているのかもしれません。
 世は、実のところ絵どころではなくなっているから。絵は、いま世界から置いてけぼりを食らっている……。作家もそういう世界にしっかり食らいついているとは言えず、自閉に陥っている……。

 東日本大震災が起こってしばらくしたころ、学生時代から水俣に関わり、患者らの支援、水俣病事件についての社会への問題提起に一生を賭ける覚悟でいたはずの方が、「震災以後、自分は今こんなことやっていていいのか自問せざるを得なくなった」と漏らしていました。私が「原子力資料情報室」にボランティアで通い始めた頃だったと思います。「あなたはそこを今もこれからもしっかり守って行ってほしい」と思ったのでした……

 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ侵略、カンボジアでの内戦、自国内や東アジアでの中国政権の横暴……多くの人間が虫ケラのように扱われている世界の現実、日本でも反民主反社会の宗教団体による政治侵略とそれに迎合する政治、「大樹」と思われてきた米国が立ち枯れ症状を呈してきた不安、高齢化の進行に伴う世代間対立、民主主義を創っていく気概が失われ強そうな者に靡(なび)くばかりの自治会……どれも絵描きの手に余る難問かもしれません。

 横浜市東部に残された自然林を拠点にアート活動を続けてきた*1 知人は、今年「アーティスト、根掘り葉掘り」という企画で、森でのアート活動に作家として関わってきたアーティストたち数名に「これまでずっと何考えてきたの?」の問いをぶつけて話を引き出すトーク・イベントをやりました。
 その中で特に興味を惹かれたのは、今年「欅乃散歩」という企画で参加した吉川陽一郎*2 という方の話でした。《アート》と《資本主義》とを対比的に捉え、両者が全く別の原理で回っていることを指摘していました。彼の書いた、「欅乃散歩」(ケヤキのさんぽ)へと誘う文を紹介します。(下の写真もそれです)

 ——「欅の散歩」を手にして街を歩くと、こんなにも道は変化に富んだものだったのかと思う程、細かな振動やいろいろな音が、手から、耳から私の脳に直接伝わってくる。/ 思い出す。子供の頃のお出かけを。小さかった頃は、家の外に出るだけで意味もなくワクワクした。足元の砂利の間に小さなガラスのかけらが光っていたり、他所の庭に咲いている名前も知らない花の色があまりに鮮やかだったり、蔦の絡まった家にはきっと怪しいものが居ると思い込んでずっと眺めていた。走ったり立ち止まったり落ち着きのない子供。あれはきっと、周りの世界を五感を通して感じていたから、驚きの連続で用事を忘れてしまっていたからに違いない。…(中略)…いつの間にか、歩行はただ目的地に行く為だけの手段になって、眼は安全運転の為の道具になったみたいだ。学校でいろいろな事を学んでいくごとに世界は言葉になっていく。眼はその言葉を読み取るだけで、道に落ちている小さな宝物を見つける力を忘れている。道に迷う事もない。/ 欅の散歩は、そんな自分の頃の感覚を少しだけど取り戻せるような感じがする。油断をすると、木の車輪は何かにすぐぶつかってしまう。眼はずっと回転する車輪を見つめている。すると道路の肌が、目から、手から、耳から、頭に伝わって来る。(中略)散歩するだけでそんな世界を感じられるようになったら、あ、あそこにも同じ感覚を持った人がいる!と気づくだろう。多くは子供だろうけど。もしこの世界が、だんだんと穏やかで豊かな世界になっていけば、そんな人がどんどん増えるのではないだろうか。/ そして私はこの感覚を芸術と呼んでみる。これこそが『未来の芸術』だろうと空想する。*3

           「欅乃散歩」は、彼が森で参加者と一緒に作った、棒の先に、森の欅を輪切りにした二つの車輪を付けた手押し車を押しながら、最寄り駅から森まで一緒に歩こう(小1時間?)という企画なのでした。
 彼はホンモノの《アーティスト》だと思いました。
 《資本主義》の論理は彼のそんな活動を黙殺しますから、収入には結びつきませんし、誰からもなかなか褒めてももらえません。(感心しているのは私くらいか?)

 3月にテレビで放映されたドキュメンタリー「夢と運命の境界で」*4 の、エジプト南部地方の少女たちが街角で上演していたオリジナル劇もそれと似ているように思います。一部の人々(特に少女たち)からは共感支持されていても、昔ながらの家父長制や女性蔑視を批判的に捉えて描いてみせるその劇は信仰深い(そこは「原始キリスト教の名残を留める」というコプト教徒が多い)大半の大人たちからは白い目で見られていたようです。太鼓を打ち鳴らし歌いながら練り歩いて、ステージへと誘い、客の住民たちとの対話も織り込んだスタイルの路上劇は、かつての日本の田舎芝居を思い起こさせもするし、チャレンジングな前衛劇をも連想させます。——彼女たちもホンモノのアーティストでした。婚約や結婚によって阻まれる彼女たちの夢の進撃でしたが、下の世代の少女たちによって、「新しき伝統」として受け継がれている様子は希望そのものでした。

 やはり溜めたビデオの中にあった、もうひとつのTV番組にもアーティストが登場しました。
 『田んぼ×未来 あきらめないコメ農家たち』*5 に登場した方々がそうでした。
 新潟県上越市の山あいで家族と3hの農業を営んで8年目の鴫谷一家、「村があってこそ農が成り立つ」との信念、「(一軒の農家で)百人の食を支えることができれば小規模農業を続けられる」と自信を持って語り、集落と棚田を守りながら消費者とつながる道を切り拓いて来た。ひたすら大規模化へと歩んできた日本の農政に自らの生き方をもって対峙している立派な姿には、官僚や学者を叱り、笑い飛ばす迫力があった――アーティストでした!

 世の作家諸氏も、そういう《アート》に徹すれば良いのだと思います。それより外(ほか)の道はないのですから。《資本主義》の好む《流行》などに色目をくれずに、ひたむきにそれぞれのテーマを掘っていく……
 毎年同じ「欅乃散歩」というわけにも行かないでしょう、だからと言って目先を変えることに熱中するのもどうでしょう。基本は、「しっかり世界を見て、感じ、考え、自分のテーマを掘って行く」ということに尽きるのではないかと思います。変化は自然にやってくる。――ピカソを見れば分かります。

 偉そうなことばかり言って恥ずかしいですが、今年の春陽展*6 を観て、そんなことを考えました。

*1 創造と森の声」:https://morilab.amebaownd.com/pages/3158241/static
*2  「森ラボの記録」:https://ameblo.jp/souzou-no-mori/entry-12631697782.html  吉川陽一郎 HP:https://www.ongoing.jp/artist/youichiro-yoshikawa/
*3 「欅乃散歩」https://www.facebook.com/events/542446371696700/542446438363360/?active_tab=about
*4 初回放送 3/7  NHK Eテレ「ドキュランドへようこそ」;再放送 4/23 NHK BS 「世界のドキュメンタリー」
*5 『田んぼ×未来 あきらめないコメ農家たち』:4/26 NHK Eテレ
*6 「第102回春陽展」:2025年4月16~28日【国立新美術館;六本木】、5月13~18日【愛知県美術館ギャラリー】、6月3~8日【天王寺ギャラリー】

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平和へと送るパス

2024-09-15 13:30:54 | 文化

 「高校時代、国語教科書で読んだ作品で印象に残っているのは?」——そう問われたなら何と答えるだろう?
 『AERA』誌は2020年にネットアンケートを実施して記事にしている。*1
 結果は、「山月記」「こころ」「舞姫」「檸檬」「羅生門」と文学作品が並んだ。*2

 中東ガザ地区では、イスラエル軍によるパレスチナの人々への無差別の攻撃が止むことなく続いている。
 いつ空爆に襲われるとも知れない環境下で、文学に親しむことは難しい。まして「書く」ことは無謀に違いあるまい。
 今のガザでの地獄のような生活を想像するとき、「文学に何ができるか?」と問われれば、「何も」とつぶやかざるを得ない——しかし今のガザでは、その「文学」を、「国連」や「政治家」に置き換えたところで、答えは同じかも知れない。

 高校の「国語科」では、2022年度実施の新学習指導要領から、「論理的な文章」や「実用的な文章」(契約書や取説)が幅を効かせることになり、「文学は好きな者が選べば良い」という路線が敷かれてしまった。
 現代日本では、科学やAIや経済に比べれば文学はモノの数ではない、という結論になったのだろうか? 人文系学部を潰しにかかった政治家の妄執(アベ-スガ)の亡霊のせいかもしれない。
 文学は今、教育を仕切る行政によって、歴史上初めて「味噌っカス」の席を与えらることになった。——それは妥当な方策なのだろうか?

 アメリカ在住のパレスチナ詩人ゼイナ・アッザームがガザをテーマにした詩を昨年発表した。
 ガザのまだ年端のいかない子を詩にした事情について彼女はこう語っている。

 ——子どもが殺された場合に身元がわかるように、足にその子の名前を書いておく親がガザにいることを知って驚き、十月、詩を書くことにしました。ガザの少年が足に自分の名前を書いているビデオも観ました。「バラバラになっても僕だとわかるように書いてるんだ」……そのことばを悲鳴のように聴きました。*3

 その詩の一部をメモしておこう。*4


   おなまえかいて

  あしにおなまえかいて、ママ
  くろいゆせいの マーカーペンで
  ぬれても にじまず
  ねつでも とけない
  インクでね


   ……(中略)……

  あしに おなまえかいて、ママ
  すうじはぜったい かかないで
  うまれたひや じゅうしょなんて いい
  あたしはばんごうになりたくない
  あたし かずじゃない おなまえがあるの
  あしに おなまえかいて、ママ
  ばくだんが うちに おちてきて
  たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても
  あたしたちのこと あしがしょうげんしてくれる
  にげばなんて どこにもなかったって


 文学にはなるほど国際政治の力学を左右する力はないのかもしれない。
 しかし、私たちの魂を玉突きして揺さぶることはできる。

 高校国語の新必修科目は「現代の国語」と「言語文化」の2科目。
 選択科目には「論理国語」と「文学国語」もあり、近代文学作品が並んだ「文学国語」(4単位)も選べるはずだが、大学入試と関連深い「論理国語」も4単位なので、両方を選べる生徒はあまりいない。他教科との衝突が避けられなくなるからだ。
 必修科目「現代の国語」を、生徒たちは「げんこく」と呼んでいるそうだが、これはかつての「現代国語」と同じ呼び名である。しかし中身はまるで違ってしまった。「現代の国語」には文学作品は入ってこないからだ。*5 
 もうひとつの必修科目「言語文化」の方は、生徒たちから「げんぶん」と呼ばれているそうだが、この呼び名、かつての「現代文」(近現代の小説・評論等を載せていた選択科目)と同じである。しかし同じ「げんぶん」でも「言語文化」の方は、漢字混じりの方の名から想像できるように、古典と現代文のミックスで、しかも古文・漢文が中心。それに近現代の詩歌と伝統文化に関する解説文がちょっとだけ加わわってはいるが、近現代小説はひとつも載ってはいない。
 「言語文化」もかつての「げんぶん」とはまったく違う内容なのである。

 人文系学部を毛嫌いしたあの安倍アベくんの路線*6 、そして4年前、菅スガ首相が、日本学術会議の会員候補6人(いずれも人文系)を任命拒否した恐怖政治のような手法、それらの延長上に、「文学なんてやったって就職できないぜ」という世評の後押しもあって、こういう「歪んだ改革」の時代を迎えることになってしまったのであろう。

 作家・又吉直樹氏は、「絶対そうだ」という決めつけを留保し、「それは本当か?」と問うことによって視点を増やし、立体的に問題を把握する大切さを、教科書「現代の国語」掲載の文章の中で説いていた。*7 小説を代表とした読書のススメであり、偏狭な選択しかできない政治家たちへの戒めのようにも読めた。
 思想家・内田樹氏の、人間のやっている「仕事」の本質は「多彩で予測不能の攻撃の起点となるような絶妙の『パス』を『次のプレーヤー』の足もとに送り込むこと」だという文*8 も、その教科書には載っていて、ハッとさせられた。

 ガザの子に材を取った、ゼイナ・アッザームの「おなまえかいて」は、まさにその「絶妙なパス」であると思い当たったからだ。

 ——その絶妙パスを足もとに受けて、すぐそこにいるはずの次のプレーヤーに、いったいどんなパスを送ればよいか、考えた挙句の、この拙いパスなのである。

*1 AERA dot. 2020/01/11 記事「大論争・心に残る作品2位『こころ』は高校教科書でもう読めない!?」(『AERA』誌2020年1月13日号)
*2 これらが並んだのには、裏事情が絡んでいる。高校国語教科書は、出版各社がそれぞれ複数種出しており、それら全てにほぼ共通して採用されている教材はかなり限られている。これらの文学作品はそういう「定番教材」の筆頭格なのである。1年で「羅生門」(芥川)、2年で「山月記」(中島敦)「こころ」(漱石)、3年で「檸檬」(梶井)「舞姫」(鴎外)というのが、学習順の典型。従ってこれら5作品が「ベスト5」を占めたのは、偶然ではなく「必然」。文学をありがたがる裏付け資料としてはやや心許ない。但し、私の教職経験においても、高校生が現代文教材として歓迎するのは評論より小説であり、「印象に残った」と答えるのも小説が多かったから、この週刊誌記事も「ガセ」とは言えないと思う。
*3 拙訳。原文は”I wrote a poem at the end of October when I learned that some parents in Gaza were writing their children’s names on their legs so they could be identified should the parents or the children be killed. I recently saw a video of a little boy in Gaza who was writing his own name on his leg. “So l can be identified” he cried. It was truly heartbreaking as a parent and as a grandparent. I am so heartbroken. The poem is titled “Write My Name” and it’s in the voice of a child from Gaza.”
*4 詩の訳は、原口昇平。『現代詩手帖』2024年5月号「特集:パレスチナ詩アンソロジー」より。
*5 新指導要領スタート年の教科書検定では、「文学的な文章は除く」と文科省解説に示されたいたにもかかわらず、「羅生門」など5つの文学作品を載せた第一学習社の教科書がなぜか検定を通り、他社を抑えてシェアトップとなったが、2024年版第一学習社「現代の国語」の教科書(4種ある)のいずれにも文学作品は載っていない。
*6 2015年6月、下村文科相は各大学に対して「教員養成系や人文社会科学系の学部の廃止・転換を含めた組織見直し」の通知を発出した。(当時の首相は安倍晋三)
*7 第一学習社「標準 現代の国語」に掲載。又吉直樹「なぜ本を読むのか」(出典:『夜を乗り越える』小学館よしもと新書 2016)。
*8 掲載教科書は同上。内田樹「人はなぜ仕事をするのか」(出典:『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』晶文社 2002)

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地図が開く世界

2019-02-03 22:01:56 | 文化

子どものころから地図を見るのが好きだった。地図を眺めていると、想像が膨らんで夢の世界を歩くことができた。幸せだった。

 夏休みの自由研究で地図を作ったこともあった。
 生駒山を望む大阪郊外の田舎町に移り住んで間もなくのころだったと思う。南は見渡す限りの田んぼで、島のように藁葺き屋根の農家もあった。北側は町の中心方向で、住宅地だったが、家はまだまばらで平屋も多かった。そんな中ポツリポツリ転勤族のためのコンクリート製の社宅が建ち始めていた。そのうちの一棟の2階の角が我が家だった。小学校まで歩いて5分ほど。校門の前には、平屋瓦葺きの駄菓子屋兼文房具屋があって、おばあさんが店番をしていた。
 家にあった大きい四角い紙箱の蓋側を使った。その内側を地面に見立て、道を描き、川を塗り、割り箸を切って作った建物を糊付けしていった。普通の家の上には瓦の色を塗った紙を折って屋根型にして貼り付けた。——今でいう「ジオラマ」である。
 それを作るために自転車で周囲を走り回って「調査」を重ねた。建物の位置や形・大きさ、屋根の色などをである。我が家のあった社宅を中心に、小学校の校舎の割り箸は右上の方に貼り付けて赤い紙屋根を付けた。
 普通の地図とは違って、その自作地図では南が上になっていた。どこにも文字は書いてないので、どっちが上でも構わないのだが、私の中では、地図の上の小学校は右上だったから、その向きが「正位置」だった。それは我が家の南向きの窓からいつも外を眺めていたからだろうと思う。小学校は南西の向きだったので、自作地図でも右上の角。

 画面表示マップの走りはカーナビだった。
 我が家に導入されたのは2002年。買い替えた車(中古ミニバン)に付いていた。
 車を運転しながら地図を繰るのは至難の技だったが、それが一挙に解消。感激だった。
 その後「グーグルマップ」に初めて触れたときにもビックリした。その詳しさ、自由度にである。
 日本地図ではグーグルは「ゼンリン住宅地図」を買い取って使ったという話だから、ベースにあったのは国産アナログ地図。——だが、そんな詳細地図はほとんど見たことがなかったから、そこまで詳しくタダで見せてくることに感激した。

 ウェブマップはポイントをまず指定することから始まる。そのポイントから押し広げていくように世界は広がっていく。アナログ地図はまず開くところから始まる。広げたところでおもむろにポイントを探し始める。何が違うか? 別の世界観が生まれそうではないか。
 面的な広がりのどこかにポイントがあると捉えるのがアナログ地図の世界観、常に「全体」が前提にある。探すポイントはその全体布置の中のある部分に存在する。
 それに対して注目ポイントの集積のように世界を捉えるのがウェブマップの世界、面はポイントを起点にしてその周辺に広がっていく。
 樹の中に花を探すのがアナログ地図、花の背後の樹を少しずつ覗くのがウェブマップ。
 アナログでは樹の中の見覚えのある小枝や花を手掛かりに目的の花を絞りこんでいく。分節化され構造化された面がまずあって、その分節化された構造の中で狙いの花の位置を見定めていく。
 ところがウェブマップでは、世界の構造はしばらくは不明だ。ポイントを中心とした構造がマップを押し拡げるに従って徐々に見えてくる。広げ方が不十分だと、構造を捉え損なうかもしれない。川の中州か盆地の中かの区別もつかないことがある。
 アナログ地図を見比べて、そこに潜んでいる思想の違いを解読するような技*2 は、ウェブマップとの付き合いの中から生まれるのかどうか?

 松岡慧祐は従来の紙の地図を「見わたす地図」、グーグルマップを「導く地図」と呼んでいた*1 が、これは利用の仕方の違いを示したものだろう。
 ある地図会社の調査によれば、紙地図もパソコンのウェブマップもカーナビ地図も高齢者ほど利用率が高く、逆に若い人ほど利用率が高いのは、スマホのウェブマップだという。*3
 見開きB3サイズの分厚い地図帖を愛用している私のような「地図オタク」に言わせるなら、スマホの画面は狭すぎる。地図を眺めその場所を実際に移動する経験を積み重ねるほど空間認知が鍛えられると考えられるから、スマホ世代以降の若者は、空間認知が痩せて歪んでいることが推定されよう。(現に我が家のその世代は、パナマ運河の場所をつい最近まで知らなかった。)

 自分中心の狭い範囲の案内だけを期待するなら、地図に夢を見ることもないし、地図を見る楽しみもわかるまい。グーグルマップに馴染んでしまえば「周辺のジオラマを作ろう」など思いもよらないのではないか。
 私が最近買った手首を痛めそうなほど重く大きな地図帖を、我が家のスマホ世代は「ムダ」「ジャマ」としか認識していない。曰く「ググれば済む」——果たしてそうだろうか?

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Here Comes the Sun!

2016-10-04 00:26:19 | 文化
 大学時代、飯田眞(精神医学・うつ病論)が「私が調子良いと患者も良くなって、患者が悪くなると、私も調子悪いんですよね」と呟くように語っていたのが思い出された。
 先日ここで紹介した木村敏(精神医学)と西村ユミ(看護学)との対談を読んでいてである。

 そこで木村は、しきりに「中動態」というギリシア語の「態」を援用して、西村の研究課題である患者と治療・看護者との関係を捉え直そうとしていた。ギリシア語の場合「能動態/中動態 」の区別から、「受動態」が生まれてきたということのようだが、医者や看護師が必ずしも「主体(主語)」として「能動」的に患者に対しているというよりも、自然にある状態に「なる」ような、状況の関数として治療の場に参与しているという視点を喚起しようとしてその語を持ち出してきたようにと思えた。

 英語を「する」言語、日本語を「なる」言語と対比して示したのは池上嘉彦(言語学)だったが、金谷武洋(言語学)は日本語を「『ある』言語」と呼んでいる。金谷によれば、文型で対比してみると、英語表現が「S−V−O」型を典型・標準とするのに対して、日本語は「(C)−V」なのである。日本語では「S」も「O」も必須ではない。主語を普遍的と考える生成文法など「普遍文法説」への正面きっての批判なのだが、なかなかの説得力である。金谷に言わせると「中動相(中動態)は印欧語における無主語文」なのである。
 つまり、木村の持ち出してきた「中動態」は、何も西欧の哲学や言語に詳しい木村のみの思いつきではなく、日本やアジアの言語話者なら誰もがよく知っている、無主語的な世界把握のことのようなのだ。
 
 言語の数からいうなら、英語のような「する」言語は少数派で、むしろ日本語のような「ある(なる)」言語の方が多数派だと言われている。それにそもそも英語も、古くは主語を必須としない言語で、ノルマンディー公に支配されてフランス語を強要されていた300年間(「ノルマン・コンクエスト」1066-1364)に、フランス語の影響を受けて大きな変化を遂げて、現在のような形になったというから、日本の鎌倉・室町時代以降という新しさだ。
 主語を必要としない「なる(ある)」言語的世界は地球上で普遍的な広がりを持っていたことになろう。
 
 そういえば、現代英語にも「中間態」と呼ばれる「態」があって、次のような文でよく知られている。

 This book sells well.(この本はよく売れてる)

 「神」の視点から、世の中を捉えるのが現代英語の特徴とされるが、それとは矛盾する、出来事中心の表現である。

 これと関連するが、日本語話者が英語を学び始めると、次のような表現に面食らうのが常だ。

 「ここはどこ?」→ Where am I ?

 “Where is here ?” とはならず、”Where am I ?” と "I" がしゃしゃり出てくるのは、"I" 中心というよりも、「私」も「彼」もすべての人間を眺め下ろす「神」の視点が世界把握の基本になっているからなのだ。
 ところが、そうではない世界把握の方が、実は普遍的だったということになると、日本でも英語を使わせたいと思っている「英語帝国主義」の手先どもは真っ青になることだろう。

 次によく知られた例だが、川端康成の名作『雪国』は、サイデンステッカー(E.G.Seidensticker)の英語訳で世界に知られたわけだが、その冒頭の英文は次のようになっていた。

 The train came out of the long tunnel into the snow country.
 (「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」)

 だが実は、これは誤訳に等しかろう。
 「誤訳」が厳しすぎるなら、英語話者に媚びた表現と言い直してもいい。
 川端の文には主語は欠けており、それはこの表現がどういう視点(世界把握)を基盤にしているかと密接な関わりがある。ーーだがもし、原文の視点を尊重し、次のように英訳してしまっていとしたら、川端が果たしてノーベル賞をもらえたかどうか、怪しいのかもしれない。

 Through the long border tunnel, there came the snow field.

 ここには、中動態とつながる表現が用いられている。現代英語でも文法家たちが説明に苦労する「出現文」と呼ばれる ”there came the snow field.” がそれである。よく出される例では ”Here comes the sun”(お天道さまだ!;ビートルズ・ナンバーにもある!)ーー古英語の名残と言われているようだが、「神」の視点に汚染されていない表現がここにはある。英語も古くは「する言語」ではなかったということだ。

 やや脱線気味になってしまったが、私たちも英語的(=現代英語的)な発想に感染して、日本語には普遍性がないかのような錯覚に陥っている傾きがあるが、実は、英語の主語中心主義、「する言語化」の方が特殊で、新参者に過ぎないのである。

 そして近年、医療の世界などで、出来事中心・状況中心の現場把握が見直されてきているのは、西欧の最新の流行でもあるのだが、それは同時に、日本(東洋)的な視点の再評価、いわば「第二のジャポニズム」とも呼ぶべき潮流なのであって、飯田眞がかつて語ったように、昔から私たち日本人が馴染んできた(だが、西欧では取り上げられることのなかった)視点なのである。
 その日本的な主語無用の視点にこそ、混迷の西洋式医学・看護を救うヒント(光明=sun!)があることに最近ようやく気付いたということなのだと思う。