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枝下用水日記

旧旧取水口

旧旧取水口

開削工事は1883年、枝下の平岩で始まった。石積みを見ることができる。



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枝下用水の「旧旧取水口」(ブログ「枝下用水日記」2021年3月10日から)

午後になって、そうだ、こんなに水位が低い日には「旧旧取水口」周辺もきっと綺麗に見えているだろうことを思い出しました。
現在、枝下用水の取水口は越戸ダムにあります。『枝下用水史』の年表には次のように記しています。
昭和4(1929)年12月 越戸ダム(発電)竣工、枝下用水取水施設を兼用(取水口、西枝下から平戸橋発電所堰堤へ移転)(『枝下用水史』p.433)
越戸ダムができるこのときまで、枝下用水の取水口は枝下用水資料室の前に位置していました。西枝下村に取水口があったから「枝下用水」(あるいは「西枝下用水」)と呼ばれるようになったのです。
ですが『枝下用水史』の本文を読んでいくと、枝下用水資料室の前に位置している取水口(旧取水口)を次のように記しています。
愛知県は当時の水源地を廃棄し、明治18(1885)年に新たに渡船場より下手に水源地を移した。(『枝下用水史』p.45)
「新たに」とあります。つまり、現在の取水口である越戸ダムに対して「旧取水口」と言っているけれど、それ以前の取水口(旧旧取水口)があったことがわかるのです。「旧旧取水口」はどこにあるのか、それも『枝下用水史』に記しています。
地元からの嘆願を受けて明治16年12月、愛知県は試みに「現今渡船場より上、138間斗(ばか)りの所」である西枝下村字平岩を水源として開削事業に着手する。(『枝下用水史』p.44)
私がきっと綺麗に見えているだろうと思い出したのはこの旧旧取水口のことでした。
その場所を教えてくださったのはMMさん。なぜMMさんがこの旧旧取水口をみつけたのかは次号『続・枝下用水日記』No.4をご覧いただきたいと思います。4月発行の予定で、現在執筆中ですのでお楽しみに。
 
さて、枝下遺跡調査隊の方たちと一昨日の相談事の続きをLINEしていたとき、今日は夕方から名古屋で会議があったため早く資料室を出ないといけないので、「いまから旧旧取水口を見てきます」とLINEを中断して資料室を出ました。
出たのですが、灯油がないことを思い出しました。憩の家は明日カラオケの日なので、満タンにしておかなきゃと思い、容器を取りに戻り、ガソリンスタンドに行きました。そしてそれを資料室に置いて、やっと旧旧取水口に向かいました。
お寺の駐車場に車をとめ、廃線路を歩いて、猪除けの柵を開けて(また閉めて)畑の間を通って矢作川に出ます。すると先客が。そこにMMさんがいらっしゃいました。
なんという偶然だろうと思い、「私も見にきたんです」と言って、先日お聞きしたお話を現場で確認しました。MMさんが竹を持っているのは釣りではなく、水路を計測しているからです。

ちょうどよかったとお礼を言って、車に戻ろうとしました。すると廃線路のそばの畑にいた方が「MMさんに会えたかー?」と聞きました。「会えましたー」、えっ、なんで知ってるの?不思議に思いながら車に戻り、名古屋に向かって走り始めました。
そうか、さきほどLINEを中断したそのなかにMMさんの娘がいたのでした。私がいまから旧旧取水口を見にいくことをすぐに知らせてくださったのでしょう。偶然と思っていたけれど、現場で教えてくださろうとしたのでした。ということは今からと言いながらガソリンスタンドなんか行っていて、なかなか来なくて心配してくださったことでしょう。
ありがとうございます。こうして見守られて、また新たな発見をしています。

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