忘れもしない、今年の8月3日(火)の仕事中に
『そう言えば、柴田恭兵が以前、変な歌を歌ってたな。確か『あぶない刑事』が絶好調の時に。女性コーラスの前でカッコ付けて、女性ばっかしに歌わせて、本人は殆ど歌わずに「ハッ!」とか合いの手ばっかし入れてる歌』
抔と下らない事を考えてたら、翌日の休日に偶然見たBS日テレ『歌謡曲同好会』で奇しくも其の曲が流れてて、大変驚きました。
其の番組の御陰でタイトルが『ランニング・ショット』と言う事が分かりました。
改めて聞いてみると、リアルタイムで歌番組で見た時程の違和感は無く、寧ろ小気味良さすら感じました。
特に『いくぜ!』と言う掛け声、彼れは病み付きになります。
何度も聞きたいので、此の曲の部分丈HDDに残しました。
曲が出たのは1986年らしいですね。私は未だ学生でした。記憶に新しいのでそんな前だとは思ってませんでした。
『ランニング・ショット(作詞・吉松隆/門間裕 作曲・吉松隆)』(人様のようつべより)
又、此の曲に就いて面白可笑しく解説した頁を見付けたのでリンクします。可成り笑えました(*≧∀≦*)
日本海ぱんく通信
『そう言えば、柴田恭兵が以前、変な歌を歌ってたな。確か『あぶない刑事』が絶好調の時に。女性コーラスの前でカッコ付けて、女性ばっかしに歌わせて、本人は殆ど歌わずに「ハッ!」とか合いの手ばっかし入れてる歌』
抔と下らない事を考えてたら、翌日の休日に偶然見たBS日テレ『歌謡曲同好会』で奇しくも其の曲が流れてて、大変驚きました。
其の番組の御陰でタイトルが『ランニング・ショット』と言う事が分かりました。
改めて聞いてみると、リアルタイムで歌番組で見た時程の違和感は無く、寧ろ小気味良さすら感じました。
特に『いくぜ!』と言う掛け声、彼れは病み付きになります。
何度も聞きたいので、此の曲の部分丈HDDに残しました。
曲が出たのは1986年らしいですね。私は未だ学生でした。記憶に新しいのでそんな前だとは思ってませんでした。
『ランニング・ショット(作詞・吉松隆/門間裕 作曲・吉松隆)』(人様のようつべより)
又、此の曲に就いて面白可笑しく解説した頁を見付けたのでリンクします。可成り笑えました(*≧∀≦*)
日本海ぱんく通信
NHKで今かかってましたが、
サビの終わり頃に
「♬海援隊皆坊主〜」
と歌ってます(正確には「かいえんちゃいみなぼーじゅー」)
リアルタイム(私が中学位の時かな)でそう聞こえてましたが、今日改めて聞いて、私の耳は間違って無い事が分かりました。
チキチータ
サビの終わり頃に
「♬海援隊皆坊主〜」
と歌ってます(正確には「かいえんちゃいみなぼーじゅー」)
リアルタイム(私が中学位の時かな)でそう聞こえてましたが、今日改めて聞いて、私の耳は間違って無い事が分かりました。
チキチータ
去年の年末辺りから、著名な音楽家がバタバタと倒れたから、
小林亜星さんは相当な高齢の筈だから大丈夫かなと思ってた矢先でしたよ。
代表曲を挙げるとしたら、矢張りサントリーオールドのCMソング『人間みな兄弟』です。
彼の物悲しい調べは心に響きました。
御冥福を御祈り申し上げます。
TBSニュースi
紫の落書き帳2019年9月26日(小林亜星作曲『人間みな兄弟』に就いて)
小林亜星さんは相当な高齢の筈だから大丈夫かなと思ってた矢先でしたよ。
代表曲を挙げるとしたら、矢張りサントリーオールドのCMソング『人間みな兄弟』です。
彼の物悲しい調べは心に響きました。
御冥福を御祈り申し上げます。
TBSニュースi
紫の落書き帳2019年9月26日(小林亜星作曲『人間みな兄弟』に就いて)
今朝のNHKラジオ第1の番組の、パール兄弟のサエキけんぞうのコーナーで掛かった『花嫁』。私が幼稚園児の時の歌です。迚も懐かしく、グッと来ました。
昔の歌はメロディーがシンプル且つストレートで、心に訴える物が有ります。
花嫁/はしだのりひことクライマックス
ボーカルの女の人の名前って何て言うのか知らなかったので検索してみたら、こんなサイトがヒットしました。
ボーカルは藤澤ミエさんと言って、其の母親は兵庫県美方郡浜坂町出身らしいです。
浜坂といえば、名車キハ58系の名列車『但馬』の終着駅‼️‼️
藤澤さんに取って、『花嫁』の、夜汽車の件の風景は山陰本線浜坂駅周辺の風景だったそうです‼️素晴らしい‼️‼️感動しました‼️‼️。・゜・(ノД`)・゜・。
《本文》
「花嫁」が大ヒットした人気グループ「はしだのりひことクライマックス」のボーカル、藤澤ミエさん(京都府在住)のステージ衣装や紅白歌合戦出場の記念トロフィーなどが、新温泉町の浜坂先人記念館・以命亭で展示されている。いずれも寄贈品で、懐かしさを呼んでいる。
同グループは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだったはしださんを中心に4人で活動。昭和46年に北山修作詞の「花嫁」が大ヒットし、同年の第22回NHK紅白歌合戦に出場したものの、間もなく解散した。
活動期間は短かったが、「花嫁」は70年代を代表するフォークソングとして歌い継がれている。
藤澤さんの母親が同町(旧浜坂町)出身で、平成29年12月に本人から同町に「花嫁」関連の品々が贈られた。淡いブルーのステージ衣装は母親の手作りで、「花嫁」のレコードジャッケトの撮影時に着用していたという。
寄贈の際、「当時、この歌(花嫁)を歌うたび、浜辺の町-浜坂の景色がまぶたに広がりました」と話し、歌詞の「花嫁は夜汽車にのって嫁いでゆくの あの人の写真を胸に海辺の街へ~」は藤澤さんにとって新温泉町の風景だった。
寄贈品は、企画展「針のまち浜坂と懐かしのレコード展」で、18日まで展示されている。問い合わせは以命亭(0796・82・4490)。
ボーカルの人の話
昔の歌はメロディーがシンプル且つストレートで、心に訴える物が有ります。
花嫁/はしだのりひことクライマックス
ボーカルの女の人の名前って何て言うのか知らなかったので検索してみたら、こんなサイトがヒットしました。
ボーカルは藤澤ミエさんと言って、其の母親は兵庫県美方郡浜坂町出身らしいです。
浜坂といえば、名車キハ58系の名列車『但馬』の終着駅‼️‼️
藤澤さんに取って、『花嫁』の、夜汽車の件の風景は山陰本線浜坂駅周辺の風景だったそうです‼️素晴らしい‼️‼️感動しました‼️‼️。・゜・(ノД`)・゜・。
《本文》
「花嫁」が大ヒットした人気グループ「はしだのりひことクライマックス」のボーカル、藤澤ミエさん(京都府在住)のステージ衣装や紅白歌合戦出場の記念トロフィーなどが、新温泉町の浜坂先人記念館・以命亭で展示されている。いずれも寄贈品で、懐かしさを呼んでいる。
同グループは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだったはしださんを中心に4人で活動。昭和46年に北山修作詞の「花嫁」が大ヒットし、同年の第22回NHK紅白歌合戦に出場したものの、間もなく解散した。
活動期間は短かったが、「花嫁」は70年代を代表するフォークソングとして歌い継がれている。
藤澤さんの母親が同町(旧浜坂町)出身で、平成29年12月に本人から同町に「花嫁」関連の品々が贈られた。淡いブルーのステージ衣装は母親の手作りで、「花嫁」のレコードジャッケトの撮影時に着用していたという。
寄贈の際、「当時、この歌(花嫁)を歌うたび、浜辺の町-浜坂の景色がまぶたに広がりました」と話し、歌詞の「花嫁は夜汽車にのって嫁いでゆくの あの人の写真を胸に海辺の街へ~」は藤澤さんにとって新温泉町の風景だった。
寄贈品は、企画展「針のまち浜坂と懐かしのレコード展」で、18日まで展示されている。問い合わせは以命亭(0796・82・4490)。
ボーカルの人の話