私はシャーリー。
実家の父を、娘からの目で俯瞰してみると
父は田舎町の7人兄弟の長男で、高校から家を出て、懲役、捕虜生活4年間をすごし、
サラリーマンとなる。 会社を辞め、社宅を出る時、私は6歳くらいだった。
そのあと、数年仕事がうまくいかず、一軒家から○○荘というアパートに引っ越している。
公団などに移り、そのあと自宅を建てたのは、私が大学に通っているころだった。
モノを取り込んでいったのは、たぶん自宅をもってからだろう。
ほとんどは、母が取り込んだモノだけど。
さほど広くない居間には、ソファーがあり、テレビあり、大きなサイドボードがある。
サイドボードには、グラスやカップ、いただき物のお皿なんかが飾ってある(使うことない)
ご多分にもれず、居間の真ん中にこたつが出してあり、ソファーは背持たれになっている。
1970年代のよくある居間の光景かと思う。
かつてはモノはあの世には持っていけないから、後始末は子孫が片づけるのがあたりまえだったのか?
私もそう思っていた、そして遺品分け争い?
余命が短くなっても、モノの始末は考える観点はなかったのだろうか?
そして、現実、母は記憶ばかりを「捨」して、なにもできない。
85歳の父は、毎日の目の前のことで精一杯で、家の有様、自分自身のことを意識、考えることができないのだろう。
なので、自動的に現状維持。
父は、母が認知症という現状がゆえに、母が管理していたモノすべてが
愛着があり、いとおしいのだろう。
日々、母の世話をしている父、きっとせつなく孤独だと思う。
健康で、時間はたっぷりあっても歳をとるとこうなるな~。
いつから準備すればいいんだ?
いやいや、最後はいつくるかわからない。
やっぱり、「今、ここ、自分。」 断捨離しておくしかないよ。
父の捨てられないモノが詰まっている実家の状態、許してあげるしかないなぁ。
立ち位置それぞれ・・・。
もっと、優しくしてあげよう・・・
実家の父を、娘からの目で俯瞰してみると
父は田舎町の7人兄弟の長男で、高校から家を出て、懲役、捕虜生活4年間をすごし、
サラリーマンとなる。 会社を辞め、社宅を出る時、私は6歳くらいだった。
そのあと、数年仕事がうまくいかず、一軒家から○○荘というアパートに引っ越している。
公団などに移り、そのあと自宅を建てたのは、私が大学に通っているころだった。
モノを取り込んでいったのは、たぶん自宅をもってからだろう。
ほとんどは、母が取り込んだモノだけど。
さほど広くない居間には、ソファーがあり、テレビあり、大きなサイドボードがある。
サイドボードには、グラスやカップ、いただき物のお皿なんかが飾ってある(使うことない)
ご多分にもれず、居間の真ん中にこたつが出してあり、ソファーは背持たれになっている。
1970年代のよくある居間の光景かと思う。
かつてはモノはあの世には持っていけないから、後始末は子孫が片づけるのがあたりまえだったのか?
私もそう思っていた、そして遺品分け争い?
余命が短くなっても、モノの始末は考える観点はなかったのだろうか?
そして、現実、母は記憶ばかりを「捨」して、なにもできない。
85歳の父は、毎日の目の前のことで精一杯で、家の有様、自分自身のことを意識、考えることができないのだろう。
なので、自動的に現状維持。
父は、母が認知症という現状がゆえに、母が管理していたモノすべてが
愛着があり、いとおしいのだろう。
日々、母の世話をしている父、きっとせつなく孤独だと思う。
健康で、時間はたっぷりあっても歳をとるとこうなるな~。
いつから準備すればいいんだ?
いやいや、最後はいつくるかわからない。
やっぱり、「今、ここ、自分。」 断捨離しておくしかないよ。
父の捨てられないモノが詰まっている実家の状態、許してあげるしかないなぁ。
立ち位置それぞれ・・・。
もっと、優しくしてあげよう・・・