旅
行って来ましたよ。
旅っていえるかな?
ほんの小旅行でしたけどね。
たった一人で、誰とも話をしない三日間でした。
ちょうど読んでた本が『ぶらんこ乗り』いしいしんじ
6歳の不思議な少年が、ダイスキなぶらんこに乗っているときに、雹(ヒョウ)が喉に当たってしまう。それ以来、とんでもない声が出るようになってしまい、その声を聞くと、人間は勿論動物までも仮死状態になってしまう。
少年は声を出すことを止めるんです。
少年は、庭の木の上に、大き目のブランコをぶら下げてもらい、そこで毎晩過ごすことになる。少年の元に訪れる、鳥や動物たちから話を聞いて、それをノートに書き綴る。
象のローリング(チョット不気味だけど凄い話)
チンパンジーの雨の中のダンス
ペンギンの集団が、弱いペンギンを、海に突き落として、海の安全を確かめる話
白いキリンの話・・・・
どれもこれも、不思議で素敵な物語。
少年は、「話さない」ことで、ここではない、どこか違う世界と行ったり来たりしている。まるでブランコのように・・・
頭脳明晰な少年は、12歳でアメリカの大学に行くことになり・・・・
まぁ、興味があったら、読んでみて。
ボクが誰ともしゃべらないことと、この物語の少年が、
また、土砂降りの雨のシーンで、ホントに大雨にたたられたり・・・
いつもながらシンクロしている旅でした。
デタッチメント。
前回のコミットメントが「関わる」ことを意味していて、このデタッチメントは、その反対に「関わらない」こと。
デモ、無関心とは全く違う。
電車の中で化粧をするなんて、一昔前には考えられなかったけど、今は当たり前のようにしている。あれも一種のデタッチメントなんだろうけど、微妙に違う。
つまり「自分とまわりは関係ないから」という突き放したものとは違うってこと。
意識的に、対象と自分を関わらずにいるんです。
だから、この三日間はボクにとっては、仲間や大切な人たちといつも以上に、「会話」をした気分。
3日間、食事をして、風呂に入って、歩いて、本を読みふけって、寝て・・・・
日常と何も変わらない事をしているのに、非日常の空間の中に、それもたった一人でいると、大きく何かが違う。
去年も今頃、ふらっと旅に出た。
ボクには大切な時間です。
この旅で出会った言葉
本来無一物
ボクたちはみな、生まれながらにして仏であるという。
仏にほんの少しでも近づこうとして、修行や、学問をしようという意識を持った とたんに、皮肉なことに、仏からは遠く離れてしまうって言う意味かな。
まさに BE―DO―HAVE なんだよね。
おまけに 無一物中無尽蔵 だそうだ。
一物も無い ということは、すなわち、すべてあるよっていうこと。
そういえば、20年ほど前に今のボクのきっかけとなったセミナーに参加したと きに、自分の心に「本当は何がほしいのか?」っていう問いかけを繰り返す実習 があった。出てくる言葉は愛情だったり、信頼だったり、夢や情熱も・・・・
でも、最終的に「なんだ、オレ、もう全部あるじゃん」って気づいたとたんに、 涙があふれてとまらなかった。
一瞬の気付きは永遠ですよね。
デモね、人に教わったものは、忘れちゃう。
ボクは、愚かだから、すぐに忘れちゃう。
忘れちゃうと、とたんにロボット人間のようになってしまう。
常識だったり、モラルだったり、ルールだったり、そんな誰かが作ったものを振りかざして、自分の正当性を訴える。それを責めたてても、気分はすっきりなんかしないのにね。
人間は、間違えるし、失敗もする。
「あってはならない」間違いもあるけど、やっぱり間違いはあるんだよね。
ボクたちには、もうぜーんぶあるんだ、っていうことを共有したときに世界は驚くほど変化しているはず。
サイレンス
いいですよ。
日常の中で三日間も話さないなんて、日常じゃぁ普通はありえないだろうけどね。
さあ、ボクとしてはたっぷりと時間をもらって、非日常を体験してきました。
週末は、おとぎ話講座。
ギリシャ神話の回ですね。
この貴重な三日間が、今のボクに何かしらの刺激となっているはずです。
今度ボクにあったときに、それが何かを嗅ぎ取ってみてくださいね。
ボクにもまだ分からないけどね。
行って来ましたよ。
旅っていえるかな?
ほんの小旅行でしたけどね。
たった一人で、誰とも話をしない三日間でした。
ちょうど読んでた本が『ぶらんこ乗り』いしいしんじ
6歳の不思議な少年が、ダイスキなぶらんこに乗っているときに、雹(ヒョウ)が喉に当たってしまう。それ以来、とんでもない声が出るようになってしまい、その声を聞くと、人間は勿論動物までも仮死状態になってしまう。
少年は声を出すことを止めるんです。
少年は、庭の木の上に、大き目のブランコをぶら下げてもらい、そこで毎晩過ごすことになる。少年の元に訪れる、鳥や動物たちから話を聞いて、それをノートに書き綴る。
象のローリング(チョット不気味だけど凄い話)
チンパンジーの雨の中のダンス
ペンギンの集団が、弱いペンギンを、海に突き落として、海の安全を確かめる話
白いキリンの話・・・・
どれもこれも、不思議で素敵な物語。
少年は、「話さない」ことで、ここではない、どこか違う世界と行ったり来たりしている。まるでブランコのように・・・
頭脳明晰な少年は、12歳でアメリカの大学に行くことになり・・・・
まぁ、興味があったら、読んでみて。
ボクが誰ともしゃべらないことと、この物語の少年が、
また、土砂降りの雨のシーンで、ホントに大雨にたたられたり・・・
いつもながらシンクロしている旅でした。
デタッチメント。
前回のコミットメントが「関わる」ことを意味していて、このデタッチメントは、その反対に「関わらない」こと。
デモ、無関心とは全く違う。
電車の中で化粧をするなんて、一昔前には考えられなかったけど、今は当たり前のようにしている。あれも一種のデタッチメントなんだろうけど、微妙に違う。
つまり「自分とまわりは関係ないから」という突き放したものとは違うってこと。
意識的に、対象と自分を関わらずにいるんです。
だから、この三日間はボクにとっては、仲間や大切な人たちといつも以上に、「会話」をした気分。
3日間、食事をして、風呂に入って、歩いて、本を読みふけって、寝て・・・・
日常と何も変わらない事をしているのに、非日常の空間の中に、それもたった一人でいると、大きく何かが違う。
去年も今頃、ふらっと旅に出た。
ボクには大切な時間です。
この旅で出会った言葉
本来無一物
ボクたちはみな、生まれながらにして仏であるという。
仏にほんの少しでも近づこうとして、修行や、学問をしようという意識を持った とたんに、皮肉なことに、仏からは遠く離れてしまうって言う意味かな。
まさに BE―DO―HAVE なんだよね。
おまけに 無一物中無尽蔵 だそうだ。
一物も無い ということは、すなわち、すべてあるよっていうこと。
そういえば、20年ほど前に今のボクのきっかけとなったセミナーに参加したと きに、自分の心に「本当は何がほしいのか?」っていう問いかけを繰り返す実習 があった。出てくる言葉は愛情だったり、信頼だったり、夢や情熱も・・・・
でも、最終的に「なんだ、オレ、もう全部あるじゃん」って気づいたとたんに、 涙があふれてとまらなかった。
一瞬の気付きは永遠ですよね。
デモね、人に教わったものは、忘れちゃう。
ボクは、愚かだから、すぐに忘れちゃう。
忘れちゃうと、とたんにロボット人間のようになってしまう。
常識だったり、モラルだったり、ルールだったり、そんな誰かが作ったものを振りかざして、自分の正当性を訴える。それを責めたてても、気分はすっきりなんかしないのにね。
人間は、間違えるし、失敗もする。
「あってはならない」間違いもあるけど、やっぱり間違いはあるんだよね。
ボクたちには、もうぜーんぶあるんだ、っていうことを共有したときに世界は驚くほど変化しているはず。
サイレンス
いいですよ。
日常の中で三日間も話さないなんて、日常じゃぁ普通はありえないだろうけどね。
さあ、ボクとしてはたっぷりと時間をもらって、非日常を体験してきました。
週末は、おとぎ話講座。
ギリシャ神話の回ですね。
この貴重な三日間が、今のボクに何かしらの刺激となっているはずです。
今度ボクにあったときに、それが何かを嗅ぎ取ってみてくださいね。
ボクにもまだ分からないけどね。
ホントのことが
よくわからなくなってしまうことがあります。
自分がどこにいるのか どこに行きたかったのか…。
大切だからこそ、「デタッチメント」。
こんなコト言うのオコガマシイのですが
なんか、わかるなぁ・・・。
明日から私も小旅行。
大切な場所に帰ってきます。
帰ってきたら
なにか におわすコトは できるだろうか・・・?
最近、小1の娘が
お前は誰だい?♪
自分は誰だい?♪ってふざけて歌うんですけど、
これがなんだか自分に問われているようで・・・
幸せな日々のなかでも
旅は続いているのだということを思い出させてくれるこのへんてこな歌に感謝しています。笑
先生、よい旅ができてよかったですね。
またきます・・・
セラピーとか されるのですか?