筑井孝子の日々芸術日記✨

画家 筑井孝子先生の紹介を画像です、
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今日から。。先生の沼田の報告です。1

2021-08-06 07:55:26 | 筑井先生のこと
     昨日
8月5日まで
沼田で先生の展覧会でした。
それで
じゅんこ行って来ました。♪♪♪
 
 
 
新聞に載りました。👏👏👏
 
 
きょうはまず
先生の展覧会の植物のことから
 
「生方たつゑ」は沼田の女流作家なんですよね。
 
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生方たつゑ
 
詳しくは下のほうをご覧下さい。
 
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書道も絵も描くんだそうです。
 
 
先生も書道もうまいんですよ。。👌✨
 
 
これが
作品一覧です。
 
 
 
それでは
植物のご紹介です。
 
 
生方たつゑの歌に先生が文字を入れました。
 
 
 
 
 
 
 
 
それを一つずつ先生がカップにしたんです!
私、アカシアのマグカップ買いました!
 
 
 
 
あ、、
そうそう
会場ですが…
 
 
先生が大きな横断幕を作りました。
 
とってもかっこいいですね。。
 
すごくいいです!✨
 
 
 
 
 
 
 
 
先生は
イベントで使う資料を作成!
 
 
これでワークショップ
 
たくさんの人が来てくれたそうです。
 
私、イベントの時に行けなかったので
知らなかったです。
 
 
 
では
 
きょうはここまで
明日はこの続きです。(^-^ゞ
 
 
🌸

生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年2月23日 - 2000年1月18日)は、歌人沼田市名誉市民[1]。日本歌人クラブ初代会長[2]

 

概要[編集]

三重県宇治山田町宮後(現・伊勢市)生まれ。旧姓・間宮。父・間宮斉一、母・きよの四女。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)を経て、1925年に日本女子大学家政科卒業。同年、群馬県沼田市で薬局「かどふぢ(角藤)」を経営する生方家に嫁ぎ、今井邦子に師事。1935年、第一歌集『山花集』を上梓する。戦後は歌誌「国民文学」に所属して松村英一に師事。また、「女人短歌」編集委員も務めた。戦後最初の総選挙である第22回衆議院議員総選挙に出馬したが落選した。

『青粧』(1955)で第2回日本歌人クラブ推薦歌集(現日本歌人クラブ賞)、『白い風の中で』(1957)で第9回読売文学賞、『野分のやうに』(1979)で第14回迢空賞受賞。古典文学に関する著書も多い。

 

家族[編集]

夫は初代国家公安委員で前沼田町長の生方誠(せい、1894‐1978)。誠は地元上之町の商家(薬舗)・生方家[3]の29代目で、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校薬学を学び、千葉医科大学 (旧制)卒の医師でもあり[4][5]、演劇愛好家でもあった[6]。誠の父・生方政五郎は、1886年に沼田町に設立された小学生のための英学校「沼田英吉利学校」の発起人の一人[7]。夫の伯父に文筆家の生方敏郎[8](敏郎の父・生方幸助は家業の薬屋のほかに一時地元で劇場も共同経営していた[9])。長女は料理研究家生方美智子[10]

嫁ぎ先である生方家の旧住宅は、17世紀末頃に建築されたものと考えられ、東日本で最も古い町家造りの建築物であることから1970年重要文化財に指定され、沼田公園内に移築保存されている[11]。また、たつゑの著作を集めた生方記念文庫が沼田市内にある。



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