昨日
アメブロを見ようと
開いても
アクセスが多くて
つながらなかった。
昨日の不幸は
世間では
多くの人の心をゆさぶったんだろう。
私も
2、3度
ブログを覗いた。
皆に知られて
とまどったがブログをしてみて
助けられている
と
そんな記事を見た。
あまり
見ていないのに
感想を言うなど
失礼だと思うが
私も
ブログの力を
感じているので共感した
私もこのブログの前に
書いていたブログがあり
途中
愛犬を亡くし
喪失感で押しつぶされそうな時
ブログに
愛犬の事を
楽しい時のことから
亡くなる前後の事を
ずっと書き綴って
心が助けられた
私にとって
ブログとは
見てくれる人がいるのを
期待したものではなかった
備忘録として
自分の思いを残して行こう
そんな気持ちだった。
書いていたら
意外な気持ちに気づき
気持ちがまとまっていった。
それであれば
何もネットと言う
半公なものに書かなくても
日記帳に書けばいい
日記は
続かない
期待してないとはいえ
見たしるしである
いいね
がつくと
意外と張り切ってまた書こうと、、
そして
日常の出来事にアンテナを
張り巡らせるようになって
書いているうちに
何のへんてつもない
私の日常が意味を持って
彩りを感じられ
自分の毎日を「いいよ。」
なんて
認めてあげられるようになって、、
そして
愛犬の死に直面して
愛犬が生きた証
を記せた
と
癒された
いつも
コメントをくれる
方が
優しい言葉をくれて
見ず知らずの
会ったこともない人だが
素直に嬉しかった。
そんな
経験をしていたから
僭越だが
自分の病気が世間に知れ
とまどいながらも
ブログに自分の病状を載せ
ただ
素直に
見知らぬ人からの励ましに力を得て
自分の、思いを、
吐露する
真実を
少しは理解できていた。
私のちっぽけな
出来事などと
一緒になどできないが、
なぜ?
人はブログを書いているのか?
ブログの力を
ちょっびり
感じている
そう思う。
剪定して
切り取ったアジサイを
玄関に飾った
ついでに私
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