T34中戦車(ソ連・1941年)
スマートな戦車である。当時のどの国の戦車と比べても先進性を感じさせるデザインだ。角度のついた装甲版で構成された車体、鋳造方式の砲塔、当時の標準(37mm・50mm)を大きく上回る76mmの大口径砲、踏破性の高い幅広の履帯(キャタピラ)、燃費がよく、どのような燃料にも対応する500馬力ディーゼルエンジン。当然ながら性能も一流で、攻撃力・機動力・防御力のいずれもバランスよく持ち合わせていた。
1941年の独ソ戦勃発によりソ連に侵攻したドイツは、T34に直面したが、これにまともに対抗する兵器を持ち合わせていなかった。陸軍の37mm対戦車砲は、「陸軍御用達のドアノッカー」とあだ名されるようにまでなってしまった。ドイツ軍の主力戦車である3号戦車J型や4号戦車D型も性能的に明らかにT34に劣っていた。
対抗手段のないドイツ軍は、T34を「鬼戦車」と呼び、地雷や集束手榴弾による肉薄攻撃、高射砲や大型や砲による砲撃によって戦うしかなく、この現象は「T34ショック」とまで呼ばれることとなった。そして、この戦車に対抗する形で開発されたのが、有名なティーガー戦車とパンサー戦車である。3号戦車や4号戦車など既存の戦車も大幅に改良が施され、装甲を増加し、大砲はより大きな物へと載せかえられた。
なかなか新型戦車の開発が進まない技術部に対して、一時はT34のまったくのコピーを生産しろといったこともあったほどである。電撃戦の生みの親、ハインツ・グデーリアンは、撃破されたT34を見て、これこそが理想の戦車だと語ったこともある。
このように、ドイツをはじめとする世界各国に衝撃を与えたT34であるが、この戦車にも初期の段階ではいくつかの弱点があった。その一つは、砲塔が小さくて、戦車長が砲手も兼ねなければならないことであった。そのために周辺警戒が手薄になったし、砲弾の装填速度も各国の戦車に比べると遅かった。また、初期のモデルでは無線の搭載が進んでおらず、戦車の集団的運用には困難があった。独ソ戦初期において、ドイツ軍がなんとかT34に対抗できたのもこの点に負うところが多い。ソ連軍はT34を少数で逐次投入したために、有効な打撃力とすることができなかったのである。あと、もう一点問題を述べるとすれば、T34は粗製乱造がひどかったことである。エンジンが動かないとか砲が割れたとかそういった深刻なことではなかったが、強化ガラスに気泡が浮いて、よく前が見えなかったり、がさつな作りの変速機のため、金槌で叩かなければギアチェンジができないほど硬かったりした。
しかしこのような弱点も、1943年に開発されたT34/85(85mm砲搭載の新型砲塔タイプ。従来は76mm砲)の出現によって克服された。大型砲塔の搭載により、乗員が4名から1名増えて5名になり、戦車長が砲手の任務から解放された。その他の細かい弱点も、この改良によって大部分が解決され、第二次世界大戦一の傑作戦車となったのである。
その証拠に、T34は第二次世界大戦のみならず、朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争、ユーゴ紛争など、共産圏の標準的兵器として使われ続けたのである。そして一部の国だけではあるが、今現在も現役で就役しているT34があるというから驚きである。それほどまでにバランスの取れた優れた戦車なのである。
スマートな戦車である。当時のどの国の戦車と比べても先進性を感じさせるデザインだ。角度のついた装甲版で構成された車体、鋳造方式の砲塔、当時の標準(37mm・50mm)を大きく上回る76mmの大口径砲、踏破性の高い幅広の履帯(キャタピラ)、燃費がよく、どのような燃料にも対応する500馬力ディーゼルエンジン。当然ながら性能も一流で、攻撃力・機動力・防御力のいずれもバランスよく持ち合わせていた。
1941年の独ソ戦勃発によりソ連に侵攻したドイツは、T34に直面したが、これにまともに対抗する兵器を持ち合わせていなかった。陸軍の37mm対戦車砲は、「陸軍御用達のドアノッカー」とあだ名されるようにまでなってしまった。ドイツ軍の主力戦車である3号戦車J型や4号戦車D型も性能的に明らかにT34に劣っていた。
対抗手段のないドイツ軍は、T34を「鬼戦車」と呼び、地雷や集束手榴弾による肉薄攻撃、高射砲や大型や砲による砲撃によって戦うしかなく、この現象は「T34ショック」とまで呼ばれることとなった。そして、この戦車に対抗する形で開発されたのが、有名なティーガー戦車とパンサー戦車である。3号戦車や4号戦車など既存の戦車も大幅に改良が施され、装甲を増加し、大砲はより大きな物へと載せかえられた。
なかなか新型戦車の開発が進まない技術部に対して、一時はT34のまったくのコピーを生産しろといったこともあったほどである。電撃戦の生みの親、ハインツ・グデーリアンは、撃破されたT34を見て、これこそが理想の戦車だと語ったこともある。
このように、ドイツをはじめとする世界各国に衝撃を与えたT34であるが、この戦車にも初期の段階ではいくつかの弱点があった。その一つは、砲塔が小さくて、戦車長が砲手も兼ねなければならないことであった。そのために周辺警戒が手薄になったし、砲弾の装填速度も各国の戦車に比べると遅かった。また、初期のモデルでは無線の搭載が進んでおらず、戦車の集団的運用には困難があった。独ソ戦初期において、ドイツ軍がなんとかT34に対抗できたのもこの点に負うところが多い。ソ連軍はT34を少数で逐次投入したために、有効な打撃力とすることができなかったのである。あと、もう一点問題を述べるとすれば、T34は粗製乱造がひどかったことである。エンジンが動かないとか砲が割れたとかそういった深刻なことではなかったが、強化ガラスに気泡が浮いて、よく前が見えなかったり、がさつな作りの変速機のため、金槌で叩かなければギアチェンジができないほど硬かったりした。
しかしこのような弱点も、1943年に開発されたT34/85(85mm砲搭載の新型砲塔タイプ。従来は76mm砲)の出現によって克服された。大型砲塔の搭載により、乗員が4名から1名増えて5名になり、戦車長が砲手の任務から解放された。その他の細かい弱点も、この改良によって大部分が解決され、第二次世界大戦一の傑作戦車となったのである。
その証拠に、T34は第二次世界大戦のみならず、朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争、ユーゴ紛争など、共産圏の標準的兵器として使われ続けたのである。そして一部の国だけではあるが、今現在も現役で就役しているT34があるというから驚きである。それほどまでにバランスの取れた優れた戦車なのである。