戦車男(せんしゃおとこ)

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T34中戦車

2005年08月29日 13時00分48秒 | 戦車図鑑
T34中戦車(ソ連・1941年)
スマートな戦車である。当時のどの国の戦車と比べても先進性を感じさせるデザインだ。角度のついた装甲版で構成された車体、鋳造方式の砲塔、当時の標準(37mm・50mm)を大きく上回る76mmの大口径砲、踏破性の高い幅広の履帯(キャタピラ)、燃費がよく、どのような燃料にも対応する500馬力ディーゼルエンジン。当然ながら性能も一流で、攻撃力・機動力・防御力のいずれもバランスよく持ち合わせていた。

1941年の独ソ戦勃発によりソ連に侵攻したドイツは、T34に直面したが、これにまともに対抗する兵器を持ち合わせていなかった。陸軍の37mm対戦車砲は、「陸軍御用達のドアノッカー」とあだ名されるようにまでなってしまった。ドイツ軍の主力戦車である3号戦車J型や4号戦車D型も性能的に明らかにT34に劣っていた。

対抗手段のないドイツ軍は、T34を「鬼戦車」と呼び、地雷や集束手榴弾による肉薄攻撃、高射砲や大型や砲による砲撃によって戦うしかなく、この現象は「T34ショック」とまで呼ばれることとなった。そして、この戦車に対抗する形で開発されたのが、有名なティーガー戦車とパンサー戦車である。3号戦車や4号戦車など既存の戦車も大幅に改良が施され、装甲を増加し、大砲はより大きな物へと載せかえられた。

なかなか新型戦車の開発が進まない技術部に対して、一時はT34のまったくのコピーを生産しろといったこともあったほどである。電撃戦の生みの親、ハインツ・グデーリアンは、撃破されたT34を見て、これこそが理想の戦車だと語ったこともある。

このように、ドイツをはじめとする世界各国に衝撃を与えたT34であるが、この戦車にも初期の段階ではいくつかの弱点があった。その一つは、砲塔が小さくて、戦車長が砲手も兼ねなければならないことであった。そのために周辺警戒が手薄になったし、砲弾の装填速度も各国の戦車に比べると遅かった。また、初期のモデルでは無線の搭載が進んでおらず、戦車の集団的運用には困難があった。独ソ戦初期において、ドイツ軍がなんとかT34に対抗できたのもこの点に負うところが多い。ソ連軍はT34を少数で逐次投入したために、有効な打撃力とすることができなかったのである。あと、もう一点問題を述べるとすれば、T34は粗製乱造がひどかったことである。エンジンが動かないとか砲が割れたとかそういった深刻なことではなかったが、強化ガラスに気泡が浮いて、よく前が見えなかったり、がさつな作りの変速機のため、金槌で叩かなければギアチェンジができないほど硬かったりした。

しかしこのような弱点も、1943年に開発されたT34/85(85mm砲搭載の新型砲塔タイプ。従来は76mm砲)の出現によって克服された。大型砲塔の搭載により、乗員が4名から1名増えて5名になり、戦車長が砲手の任務から解放された。その他の細かい弱点も、この改良によって大部分が解決され、第二次世界大戦一の傑作戦車となったのである。

その証拠に、T34は第二次世界大戦のみならず、朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争、ユーゴ紛争など、共産圏の標準的兵器として使われ続けたのである。そして一部の国だけではあるが、今現在も現役で就役しているT34があるというから驚きである。それほどまでにバランスの取れた優れた戦車なのである。

M4

2005年08月22日 15時57分57秒 | 戦車図鑑
はっきりいってこれといった特徴のない戦車である。背が高くずんぐりとした車体。おわんを伏せたような円柱の砲塔。時代遅れのコイルスプリング方式のサスペンション(螺旋状のばねによって支える方式。初期の戦車に多用された)。背の高い車体は敵の的になりやすく、連合軍の兵士たちからは不評であった。

この戦車からは精悍さやたくましさといったものは何も感じられない。平凡な戦車である。その性能も平凡で、当時の主流の75mm砲を装備、31トンの重量で400馬力のエンジンを搭載し、時速40キロメートルの速度であった。ノルマンディー上陸後のドイツ戦車との戦いでは、シャーマン戦車は苦戦を強いられることとなった。その当時のドイツ機甲部隊の主力は、4号戦車、パンサー戦車、3号突撃砲などであったが、シャーマンが互角に戦うことができたのは4号戦車ぐらいであった。ドイツの重戦車ティーガー戦車が出現したときなどは、圧倒的戦力差から、連合軍の戦車兵たちがパニックに陥り、逃げ出すほどであった。

このような戦車が、なぜ主力戦車の座にあり続け、連合軍を勝利に導いたのだろうか。それは、その膨大な生産数と、機械的な信頼性の高さであった。シャーマン戦車はその単一の車種のみで6万輌以上生産されている。平面的な車体の構成と、鋳造(型に鉄を流し込んで生産する方式。曲面の形成が容易で大量生産に向いている)の砲塔により、シャーマンは極めて生産性が高かった。6万という数字は、第二次世界大戦中のドイツのあらゆる種類の戦車の生産数の合計よりも大きい数である。なるほどたしかにシャーマンは個別的なドイツ戦車との戦いで敗れはしたが、圧倒的な数の力で全体的な戦いに勝利したのである。

そしてシャーマンは他の戦車と比べ故障が少なかった。これは自動車生産大国アメリカの技術的な底力に裏打ちされたものだった。そのため、ドイツ軍でさえも鹵獲(遺棄された車両などの取得や、降伏などにより車両などを手に入れること)したシャーマン戦車を好んで利用した。ソ連軍でもレンドリース(武器貸与)されたシャーマンを重用した。第二次大戦後のイスラエルでも、独自の改造を加えられつつも使われ続けたのである。

このような視点からも、戦車という兵器の持つ強さが明らかになろう。つまりカタログデータのみの戦闘力ではなく。その生産性・機械的な信頼性などの要素の考慮である。そういった意味でシャーマン戦車は傑作戦車ということもできるのである。


M4シャーマン中戦車
全長:5.94m
全幅:2.61m
全高:2.74m
重量:31トン
主砲:75mm
機関銃:2
馬力:400
最高速度:40km

ティーガーⅠ戦車

2005年08月05日 00時00分00秒 | 戦車図鑑
戦車の中でもっとも有名な戦車といえば、やはりこの「ティーガー戦車」を挙げずにはいられないだろう。1942年末の出現当初、その重武装により向かうところ敵なしで、優れたドイツの戦車兵とあいまって数々の伝説を打ち立てている。

有名なところでは、東部戦線で敵戦車百両以上を撃破したオットー・カリウス。フランスのヴィレル・ボカージュで、イギリスの一個旅団をたった一両のティーガー戦車によって食い止めたミヒャエル・ヴィットマンなどがいる。

ティーガー戦車の強さはその攻撃力と強靭な防御力にある。8・8cm56口径の主砲は、当時のどの戦車が装備していた砲よりも強力であった。防御では、正面装甲10cm、側面でも5cmの厚さがあった。30発以上の対戦車砲および戦車砲、100発以上の小口径砲、数発の地雷を受けてながら、50km以上を自走し自軍の陣地に帰還した例もある。

このように非常に強力なティーガー戦車であるが、弱点はいくつもあった。第一に、その重武装に起因する重量過多であり、鈍重さであった。技術水準の低い当時の宿命ではあったが、特にティーガーの場合、重量に対するエンジンの出力が低すぎて起動性能はきわめて低かった。ティーガーは約60トンの重量に対し700馬力のエンジンを積んでいたが、現在の戦車はそれとほぼ同じの重量に対し、約二倍の1500馬力程度のエンジンを積んでいる。これを比較すれば一目瞭然であろう。加えて、エンジン・駆動系統にかかる負担が大き過ぎ、故障が多発した。いわば「卵の上に載った鉄塊」なのである。重すぎて、トレーラー、列車での運搬も困難を伴った。列車運搬の際は、貨車の幅に合わせるため、わざわざ幅の狭い履帯(キャタピラ)に履き替えたほどであった。

また、このような高性能の戦車を製造することは、非常に手間のかかることであり、1942年7月の量産開始から1944年8月の生産終了までに製造されたのはわずか1300両程度に過ぎない。それに対し、ライバルのソ連のT34やアメリカのM4シャーマンなどは生産期間は違えど、両方とも5万両以上大量生産されている。ティーガー戦車の平均的なキル・レシオ(撃破比)はだいたいティーガー1両に対し10両である。ティーガーが1両破壊される間に敵は10両スクラップにされていたのである。しかしいくら優秀な戦車でも、数十倍もの戦車を相手にいつまでも戦い続けることはできなかったのだ。

ティーガー戦車、それは量に対して質を持って覆そうとした戦場の徒花であった。



ティーガーⅠ:基本性能(後期型)
全長:8.455m
車体長:6.335m
全幅:3.705m
全高:2.855m
全備重量:57.0t
乗員:5名
エンジン:マイバッハHL230P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力:700hp/3,000rpm
最大速度:40km/h
航続距離:195km
武装:56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
   7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:25~100mm