パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

希望 絶望 

2007-12-10 13:33:18 | Weblog
なまじ希望というか光が見えそうになってからの妙な言動に遭遇すると、この障害が落ち着くのは時間がかかるとわかっていても、絶望の度合いは高くなる。
先日の主治医と面談ではごくごく当たり前の話をしていた。彼への見捨てられ不安や、大学の復学に関する不安もごくごく普通に自分の考えを話していた。
主治医はこういう思考時間が増えていったら良いねぇ、といい来年の受診日を決めて30分ほどで診察は終了した。

昨日の昼間、本当に突然のできごとであった。1年半まえ、浮気相手ともめたとき仲裁に入った、浮気相手の友人に謝罪を要求するメールを送るという、その理由はこれまだつくしてくれた彼に対して失礼な発言をしたから、あんなに自分のことを思ってくれる人に対して、暴言を吐き、彼の言い分を聞こうともしなかった。だから彼に土下座をして謝ってもらいたい。こういう訳のわからない理屈を言い出す。
考えてみたら、浮気をして二股をかけた自分の罪はいったいどうするつもりなのか?そして彼は自分の彼女にまた古傷を刺されるようなことを願うわけがない、それは全くわからない。そういうことを感じる感覚が脳の中にないのだろう。

私は主治医に思わずメールをしてしまった。私にも安心して生活を送る権利がある。しかし血をわけた娘が人様に迷惑をかけることをわかっていて止めることができない。私は卑怯かもしれないけれど、もう重荷にたえて生きていく自信も気力もない。主治医からの返信はないけれど、それを吐露することで少し心が落ち着いた。
そして現在、机に向かい仕事をしている。遅い昼食をとりながら、きっと娘は自宅で、朝食をかねた昼食をとっているだろう。
この先私たち夫婦は命ある限り、この子を養い、心配しながら死んでゆくのだろう。
身体疾患なら、たとえ治療法がなくてもともに頑張ることができる、しかし、この障害は障害以外につきまとう苦悩とも戦わなくてはならない。
辛い、その一言につきる。私たちが死んだ後でも良いから治療法が確立されて、少しでもこの障害をもつ人々やその家族の苦悩が少なくなることを望みたい。