パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

波瀾万丈 クリスマス期間

2007-12-26 15:58:33 | Weblog
23日から今日まで娘は彼とクリスマスを過ごした。それでも4月からの事を考えたりすると、その期間中も不安定なメールは私宛にきていた。
26日の朝、泊まっているホテルから「けんかしてる。」というメールが届いた。チェックアウトを早々にすませ帰宅したみたいだった。
心配になり電話をしたら、ママが電話してきた間に彼から電話がきた。かけ直してもでない。ママのせいで連絡がとれなくなった。と罵声、、、、、、、
その後メアドも変えて音信不通。20日から腎臓結石を煩いなから座薬で痛みを抑えつつ28日まで働き続けている私、心の底から「もういい加減にしてくれ~」という気持ちと、主治医は脳の障害と言うけれど私たちの育て方に問題もあったと思う。

実は昨日、兄の家の柴ちゃんと我が家のミニチュアダックスを初めて会わせた。柴ちゃんはきちんとしつけがなされていた。言い訳になるかもしれないが私は甘やかすことと家族の一員として扱うことは違うと思っている。だから一生懸命しつけている。しかし夫は同じ歩調でしつけをしない。犬と人間は違うかもしれないが、やはり家庭のあり方の一端をかいま見る思いがしたのは事実だ。

大学をやめて、彼と別れて、死ぬ。というメールがきた。メアドも変えて音信不通。主治医にメールをすると、彼や迷惑をかけたと思われる人に責任を感じる必要はない。これは断じて育て方の問題ではない。脳の障害で大変不幸な病気だ。社会資源を活用して、重大な結果になっても運を天にまかせるしかない、とい返信あり。
これを打ち終わったら、私はまた自分のやるべき事に戻る。辛いけれど仕方がない。

何もしないことは辛い

2007-12-18 16:01:28 | Weblog
まるで禅問答のようなメールを交換した昨日の昼間
何もしないって辛いよねと娘、そうだよね辛いと思うよそれが辛いって思えたのはよ良かったかもねと私は返信した。
確かに中高時代の大半を娘は勉強し続けた、何のために?周囲からすごいねぇっていう賞賛のためだったと思う。しかし途中で疲れてしまい不本意入学をした。そこで俗に言う大学デビューをしたんだと思う。しかし、それでは満足できなかった。娘は再度受験に挑戦する。そして合格、入学、誰もがこれで落ち着くと思った。しかし、まだまだ娘の脳は幸せを感じない。
今でもまだ大学にこだわりつつ、何もできない。何も続かない。ダイエットも、決心したこともころころ変わるので、このごろは私でさえ本気になれない
だから、同年代の人たちの中で上手くやっていけるわけないよね。
私はずっと頑張ったから今は休んでいるんだ。しっかり休まないと駄目なんだって主張する。生きがいを探すのにはお金がかかる、しかし家は貧乏だから、私は好きな事ができないといも言う。娘の好きな事って化粧品、美容院、洋服、、、、、これは生きがいじゃないと思うよ贅沢したい、アミューズメントパークのように楽しみを誰かに与えてもらいたいだけなんだよ。
自分の力で楽しみってみつけるもんなんだよ。この頃少しはこういう事を言わなくなった。
バイト、習い事、おしゃれ、それも何にもしない。食べて寝てDVDを見て、犬と少し遊んで、彼とちょっと夜電話して、それも以前のような会話じゃなくて、停滞気味
世の中は動いているけれど、自分の居場所がないんだろうなあ
何もしないって辛いよね、でも私は問題行動を起こされるのも辛いしかし何もしないのを辛いという我が子をみてるのも結構辛い
辛いなあ

大丈夫だよ

2007-12-17 11:31:59 | Weblog
今朝は思いの外冷え込んだ。体調がまだまだはっきりせず、そうはいっても休むわけにも行かず、起き上がった時、一緒に寝ている娘がつぶやいた。ママはえらいなあと。日曜日はかなり不機嫌だった。年末になると周囲もあわただしくなる、自分の将来を考えたらきっと不安になるのだろう。
いろいろ不満を言って人のせいにしていても同級生は就職したり、彼も就職して行く。周囲はどんどん前に進んでいて、自分は置き去りにされているように思えるのだろう
以前の彼はもっと優しかった、話をとことん聞いてくれたそんなことをぽつぽつ話す娘に、私は言った。以前は話を聞いて良いと思われる方策を試してみた。引っ越しや大学の再受験、人生は不条理なこともあるし、それを一緒に乗り越えようと努力しようと語りかけた。しかしいくら語りかけても、話を聞いても。あなた自身は同じことを言い続ける。そして不平不満は次から次へ増えて行く。自分から変化しようとする気配がない。親身になってくれた人を裏切る行為をした。それでも彼はまだそばにいて話を聞いてともにいようとしている。求められることばかりならどんな人間だって疲れてしまうし、むなしくなってしまうんだよ。そう話した。
ここ数年、12月は私にとって辛いこと、トラブルの多い月である。
何回も書いているかもしれないが、年末年始の休暇がくるまでなんとか平和にしのいでいきたいものだ。

朝、ベッドルームで、娘に「行ってくるよ。焦らなくてもいいから、今日1日元気ですごしてね。」というと「私は大丈夫だよ、大丈夫」と寝ながら答えていた。
毎日こういう生活をしていて生きがいや自分の存在感を得るものを見つけることができるのだろうか?
親であるがゆえに娘が不憫になってしまう。悪いのは障害のせいばかりではないのだろうが、この障害の治療法が確立することを祈るばかりだ

本当の大丈夫を得るためにも

本日娘が帰宅予定

2007-12-14 11:55:41 | Weblog
昨日は私が受診した。体調が悪すぎて仕事ができなくなってしまったから。さすがにってできなかった。1時間半ほど外出して受診してきた。
医師からは、また職場にもどるの?って言われたけれど、期日までのレポートが間に合わないから仕方がない
昨日のカウンセリングの後彼と会い、少し元気を取り戻したようだ。今朝はメールが朝の10時頃きた。夕方自宅に戻るとのこと。
昨晩は少し眠ることができた。だから今日は何とか(朝から何も食べてはいないが)仕事ができている。昼食のことを考えると気が重いけれど、何とか乗り切って土日は休みたいまあ娘がいるからどこまで休めるのかは未定だが。

主治医は生きがいや自分の存在感を感じる何かがあるから人は生きていけるのだそうだ。しかし娘さんにはそれがない。そこのジレンマが生じてかなり辛い状態なのでしょう。と分析される。確かに自分の存在価値を自分で自覚できないのだから相当辛いのだろうと思う。それは親であるから、また論理的に説明されて、頭ではととても納得できる。そして、もし自分がそのような状況に陥ったのなら辛さにのたうちまわるだろうことも
じゃあ、いったいどうやったら生きがいとか自分の存在感を自覚できる何かを見いだせるのだろうか?主治医は言う、自分探しに放浪することですと。

とにかく今日は勤務終了後娘を駅まで迎えに行く。そして来週のカウンセリングまでは一緒に過ごすのだ。
早く体調を元にもどし、娘の障害以外の苦痛を除きたい。

思うとおりにならないのは○○のせい

2007-12-12 13:55:02 | Weblog
昨日は体調不良のため欠勤してしまった。しかし娘がいるので自宅で休んでも休まらない気分だった。天気はだし、寒いし
今日は根性で出勤した。同僚や上司の方がずっと優しい。我が娘は昨晩も携帯を投げ、ダイエットがうまくいかないのは家にいるから、友達に会ったから、彼と会うと食べるから~とすべて人のせい。大学もやめたい、やめても良いって彼が言ってくれたらやめたいと大暴れ

一番大学にこだわっているのは娘自身。有名大学、誰が聞いてもすごいねぇ~って言われるとこに所属してみんなと仲良くしてちやほやされて、そんなことを夢見ている。現実的にはあり得ないことを。今在籍している大学は誰でも知ってるそこそこの大学だ。しかし娘は勉強についていけるかどうか心配だという。それなのにもっといいところにいけたんだと言う。自分の言ってることに矛盾は感じないのか?
大学を卒業して就職して悩んでいる人、フリーターの人、そういう人は卒業したのに何を悩むんだろう?贅沢だなどという
予備校に行ったらあなた自身もそう言われるんだよ、思われるんだよ。
人間、その人の立場での悩みは尽きないのよ

しかし、何でも人のせいにして、他からみたらわがままとしかい言いようのない言動をしている娘もきっと辛くて辛くて仕方無いのだろう
母は自分の体のことは忘れて娘も抱きしめ、薬を飲ませて眠らせた。
出勤するとき、娘はまだ

いつまでこんな生活が続くのかな?娘が40才になるにはまだまだ長い年月がその頃私たち夫婦は老人になっているよね

希望 絶望 

2007-12-10 13:33:18 | Weblog
なまじ希望というか光が見えそうになってからの妙な言動に遭遇すると、この障害が落ち着くのは時間がかかるとわかっていても、絶望の度合いは高くなる。
先日の主治医と面談ではごくごく当たり前の話をしていた。彼への見捨てられ不安や、大学の復学に関する不安もごくごく普通に自分の考えを話していた。
主治医はこういう思考時間が増えていったら良いねぇ、といい来年の受診日を決めて30分ほどで診察は終了した。

昨日の昼間、本当に突然のできごとであった。1年半まえ、浮気相手ともめたとき仲裁に入った、浮気相手の友人に謝罪を要求するメールを送るという、その理由はこれまだつくしてくれた彼に対して失礼な発言をしたから、あんなに自分のことを思ってくれる人に対して、暴言を吐き、彼の言い分を聞こうともしなかった。だから彼に土下座をして謝ってもらいたい。こういう訳のわからない理屈を言い出す。
考えてみたら、浮気をして二股をかけた自分の罪はいったいどうするつもりなのか?そして彼は自分の彼女にまた古傷を刺されるようなことを願うわけがない、それは全くわからない。そういうことを感じる感覚が脳の中にないのだろう。

私は主治医に思わずメールをしてしまった。私にも安心して生活を送る権利がある。しかし血をわけた娘が人様に迷惑をかけることをわかっていて止めることができない。私は卑怯かもしれないけれど、もう重荷にたえて生きていく自信も気力もない。主治医からの返信はないけれど、それを吐露することで少し心が落ち着いた。
そして現在、机に向かい仕事をしている。遅い昼食をとりながら、きっと娘は自宅で、朝食をかねた昼食をとっているだろう。
この先私たち夫婦は命ある限り、この子を養い、心配しながら死んでゆくのだろう。
身体疾患なら、たとえ治療法がなくてもともに頑張ることができる、しかし、この障害は障害以外につきまとう苦悩とも戦わなくてはならない。
辛い、その一言につきる。私たちが死んだ後でも良いから治療法が確立されて、少しでもこの障害をもつ人々やその家族の苦悩が少なくなることを望みたい。



明日は受診日

2007-12-07 00:55:18 | Weblog
明日?、もう今日だね。娘の主治医と会う日。来年の4月からの復学の可能性について話すつもりだったけれど、今の娘の状態ではそれを検討すること自体ナンセンス
まだまだ2007年ケセラセラと言ったところだ。
なまじ娘は学習能力がある。学習といっても文部科学省のいうところの生きる力とは無縁の偏差値っていう教科力。良いところもあるけれど、これと社会性が兼ね備われば労働力にはなる。
娘はコンビニ、飲食店のバイト経験はあるが続かない。オペレーターもかなりの良い時給でも1ヶ月。CM等の一回限りの仕事は単発で何とかできる。しかし自己肯定感の低さから依頼があっても自信がなく断ってしまう。
明日は有給休暇をとって主治医のもとへ

今日はカウンセリングの日

2007-12-06 11:52:35 | Weblog
今日は娘の週1回のカウンセリング、自宅からは1時間半ほどのところだ。4月から毎週、これだけは休まずに続けている。
大学に入学してから3人目のカウンセラー、主治医は2人目。新しい主治医になってから1年半となる。薬を継続的に服用するようになったのは6が月前から。
これはかなりの進歩かとも思う。
しかし、夕べも彼ともめていた。彼は3年近くもむすめと交際をしている。最初は不安定な娘を何とか支えていこうと必死な感じだった。彼のおかげで2校目の大学も合格できたと思っている。
しかし、娘は新しい大学に入学し1ヶ月もしないうちに彼を裏切った。その彼ともすぐに破局を迎えた。しかもずっと支えてくれた彼をも巻き込んで。泥沼のような戦いだった。
昨年の4月入学した大学も後期からいけなくなって、今年は1年間休学をしている。それでも彼は交際を続けている。しかし、彼はすでに就職もきまり大学も卒業する。娘のすんでいる世界とは違った速度で彼は生活している。
彼の求めているものは安定なのだと思う。日単位ではなく時間単位で変わる娘の精神状態、彼も年を重ね大人になるにつれてきっと違和感を覚えている。
今までなら娘の要求を適当に聞き流し、変化するのを気長に待てたのだろうけれど実社会に出ていく彼とすれば子供あやすような感覚に疲れを覚え始めた、それと今後の生活を実際に送って行く上で不安を覚えているのだと思う。
こういう相手の気持ちには敏感なのがこの障害をもつひとの特徴だ。
見捨てられ不安、もちろん娘の言動は思考のジャンプが激しい、それをある程度受け流すのは親だからできることなのだと思う。
今はカウンセリングでまともに考えられる時間が少しずつでも増えていき、それを徐々にのばしていくこと、これが私の考える方策だ。
刺激はなるべく避けて、少しずつ感情の起伏を平坦にして、少しずつ少しずつと思う。しかし世間の風は容赦ない。フルタイムで男女均等の給与体系の中で22才から働き続ける女性としては世の中はそんなに甘くなのだ。
ずるいかもしれないけれど、懐の大きい男性に巡り会い、その中で守られつつ、生活できるような環境におきたい。それはやはり肉親ならでのわがまま、都合のよい考えなのだろうと思う。
主治医は言う、諦念をお持ちなさいと。明日は1ヶ月に1度の主治医の診察となる。これは親が付き添うことになっている。有給休暇は20日、その12日間をこれに費やすので自分の体調管理は必須である。

今日は1日落ち着かない

2007-12-05 16:59:40 | Weblog
1日のうちで2度目の投稿。私はフルタイムで働いている。娘は現在休学し自宅に戻っている。この障害をもつご家族にはよくおわかりのこととも思うが、昨晩から彼とトラブルがあり(彼との事はおりおり書いていきたい)そのことでかなり不安定になっている。
いつも心配だけれど、こういう事があるとそれに輪をかけて何か行動するのではと不安が押し寄せる。
職場で気持ちが落ち着かず仕事がほとんど手につかない。こんな時自分のPCに向かいながら、私は給料分働いていないなあと自己嫌悪に陥るのだ。
そして、できるのなら仕事の合間に娘の様子を見に行きたいという誘惑と戦っている。以前は娘は以前なら仕事中にでも電話をかけてきた娘、今はそんなことはなくなったのに、母親の私が動揺するともっと事態は悪くなる、落ち着こう、落ち着こう。誰か私の背中をそういってなでてもらいたい

頑張りすぎたのか?

2007-12-05 12:53:06 | Weblog
バスで往復3時間 朝は星を見てでかけ、夜もを見ながら帰宅する生活が始まった。それでも娘はあまり疑問も感じないらしく出かけていった。中1の頃は成績も真ん中ぐらい、担任からは素直で純朴なお嬢さんですねと言われた
中2になり少し勉強に目覚めた。私は少しうれしくなって教え始めた。娘は知識をどんどん吸収していった。成績はどんどん上がっていく
中3の頃には上位となり、高校に進学した。
遠距離の通学だったから部活動はできなかったが、娘は塾には行った。夕食は私の迎えの車内でとることも多かった。
高1では学校の推薦で短期留学もした。このまま行けば付属の大学ではなくある程度の大学に入学できるだろう誰もがそう思っていた。きっと本人もそう思っていたに違いない。
高2の秋
私も経験があるが、ちよっとなかだるみ、疲れが出てくる頃、娘は周囲の人たちの事が気になり始めた
私は勉強ばかりしていたけど、いったいなんのために頑張ってるんだろう?
周りの人たちは髪の毛を染めたり、男の子とメールをしたり、カラオケにいったり、私は家と学校の往復だけ
心を許せる友達もいない。休日は母親と、試験が終わったら、やっぱり母とカラオケ。急に学校に行くのが嫌になり勉強をする気力がなくなった
そして、髪の毛を染めてフルメイクで登校した
学校の先生達はそんな娘の対応に
私は知り合いの臨床心理士の方にカウンセリングをお願いした。

娘は最初の大学に入学した時、あのくらいの事で人を病気扱いしてカウンセリングなんか受けさせたから返って私の人生が変になったと私を罵倒した。
高3の頃は私の二の腕はあざが耐えなかった。夏でも短い袖の洋服は着ることができなかった娘の顔が鬼に見えた、そう思う自分が悲しかった、辛かった