三連休も終わるし、七月も半分が終わった。

2012-07-16 16:22:23 | 日記(Light)





先日、会社の方から
「今度の三連休はどこか行くの?」
と聞かれ、
「いや、予定としては、土曜に歯医者に行くくらいですね‥‥」
と返答し、なんとも気まずい空気になったわけです。

別にそれで気が変わったわけではないのですが、
土曜日に歯医者が終わった後には、宇都宮へ行ってきました。
向かった先は、カトリック松が峰教会



個人的に、教会という場所には魅かれるものがあるのですが、
信者でもない人間がうかつに踏み込むのは少々勇気が居るものです。
敷地内で写真撮影していた人も多かったので、
あまり気にすることはないのかもしれませんが。





で、日曜には日光へ。
ちょっとした用があっての来訪でしたが、
せっかくなのでいろいろ廻ってきました。
もちろん、東照宮も。



それにしても、神社や寺も、教会と同じように宗教施設であるにもかかわらず、
この入りやすさは何なのでしょうか。
より身近に感じているということなのか。

それはさておき。
修学旅行先としてメジャーになっているだけあって、
なかなかの見ごたえだったのですが、
いかんせん暑すぎる。
そして、人が多すぎる。

別に、人混みが嫌いなわけではないのですが、
こうも大勢の中に居ると、精神力が削られるような感覚になります。



そういうわけで、本日は家で体力温存。
あまりにも暑いので、昼ごろに家電量販店で扇風機を購入しに行ったのですが、
あとはもう、外に出る気力がありません。

学生の頃には、休日に一日中自宅で引きこもっていると、
「あぁ、今日は何もしなかったな。せっかくの休みをもったいない」などと
空しくなったものですが、
これはこれで、ある意味有意義であったのかもしれないと思う、
今日この頃。

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最近読んだ、漫画本。



『空が灰色だから』(2巻)阿部共実

何かと注目を集めているシリーズの、早くも二冊目であります。
1巻から変わらず‥‥というよりは、むしろ悪化しているようにも思える、
絵からもストーリーからも漂っている"不穏さ"。

今回も、読んでいて結構きついものがありました。
第16話「金魚」、第17話「こわいものみたさ」、第18話「信じていた」の流れなんか、
下手すると致命傷になりかねないくらいの凄まじさではないでしょうか。

たまごまごさんのレビューを見て以来興味があった
「世界は悪に満ちている」(タイトルからして、もう嫌)が
今回収録されなかったのが残念ですが、
このラインナップの中からすれば、仕方が無いのかもしれません。
3巻に期待。

なにより一番恐ろしいのは、
これが週間少年チャンピオンで普通に連載されていて、
なおかつそこそこの人気を得ていることでしょうね。
一体、この世界はどうなっているのやら。




『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(1・2巻)谷川ニコ

以前から気になっていたのですが、ようやく読みました。

モテたいというより、他人との接点を持ちたいと思って
いろいろ行動したはいいものの、それが毎回最悪な方向に着地してしまう様は、
痛いけれど笑ってしまうというか、
痛すぎて笑ってしまうというか、
むしろ笑うしかないというか‥‥。

大体、この手の漫画って、
初めのうちは孤独でも、次第に登場人物が増えて、
不器用ながらも周囲と打ち解けていって‥‥みたいな流れが普通なのですが、
出てくるのが本当に家族とモブキャラのみ、
申し訳程度に、かつての友人や親戚が出てくるだけ。

これも、人を選ぶ作品でしょうね。
ある意味『空が灰色だから』以上に。
「つまらなかった」という人と、
「面白かった」という人と、
「辛くて読めなかった」という人の差が、
極端に激しいと思います。
かくいう私は、二番目と三番目の狭間で揺れ動いているところ。



あぁ、ここまで書くために、二作品とも何度か読み返して、
なんともゲンナリしました。
高校時代に、ねこぢるや山田花子の漫画を読んで
癒されていたときの感覚が甦ってくるかのごとく。

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ところで、前々から感じていたことがありまして。



本でも食べ物でも芸術作品でも、なんでもいいのですが、
自分の好きなものが、ネット上で酷評されていたりすると、
なんとも腹立たしい気持ちがするものです。

そんなこと、当たり前じゃないかと言われればそうなのですが、
よく考えてみると、なんか不思議に思います。
酷評した人が、自分に対して直接なにかしたわけではないにもかかわらず、
こちらは一方的に憎しみを抱いてしまう。

太宰治の言葉を引用するのであれば、
「その役人の家に放火してやりたいくらいの極度の憎悪を感じたのである。」
(『家庭の幸福』より)
といったところでしょうか。

別に、太宰治の言葉を引用する必要などないのですが、
あまりにもしっくりくる表現なので好んでいます。
この件に限らず、他人に対して殺意に近い感情が吹き上がったときに、
ふとこの言葉を思い浮かべると、
「なにもそのくらいのことで、放火までしなくてもいいだろうに」と
おかしくなるので、精神安定的なフレーズとしてストックしてあるのです。



人間というものは、自分のことを悪く言われるよりも、
自分の好きなものを悪く言われることのほうが、より不快に感じる。
そんな内容のことを、どこかで読んだ気がします。

自分にとって好きなもの、感性を刺激されるもの、
どこが良いのかはわからないけど、無条件に受け入れていまいたくなるもの、
そういったものこそが「自分自身」「自分の存在そのもの」なのではないかな、と思います。
自分の心とか体とか魂とか、そんなものが「自分自身」なのではなく。

この世に生を受けたときの自分も「完全にまっさら」では無いと思いますが、
必要最低限の感性だけを持った状態で、外部のあらゆるものに触れていき、
自分の好きなもの・嫌いなものが増えていくことで、自分の存在が作られていく。

故に、好きなものを否定されることこそが、
本当の意味で、自分自身を否定されたことになるのではないかと思います。



なんだか話がよくわからなくなってきたので、
今日はこのあたりで。裄紘でした。

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