飯田先生は自宅の応接間に言わばアイランドキッチンのようなものを作られて、ご自身で調理され、決して生徒に作らせない方だった。本当の味を知ってほしいとのお考えであったそうだ。ご主人が外交官で海外生活で鍛えられた生活の本物の楽しみ方を教えることの出来る、当時無二の方であった。
バーベキューなど今習わなければならないなど誰も考えないだろうが、当時はDIYもなく、バーベキューセットも売ってない時代にバーベキューの本を出し、我々は彼女の開発したバーベキューセットを買って、意気揚揚と奥多摩渓谷などにドライブし、バーベキューをしたのだった。
ともかくまだ香辛料とて満足でない時代に、本物の料理を教えて下さった深雪先生は色々な意味で母のそれからに大きな影響を与えた人であった。
今考えても中々面白い時代だった。母の姉は伊東孝といい、当時の第一線のファッションデザイナーであった伊東茂平と結婚していたので、私達は彼らから最新のものを知ることが出来た。
伊東茂平の成城の自宅は当時、めずらしい平屋の洋館で、家具はすべてインテリアデザイナーの剣持勇のデザインしたもので、雑誌でしか見たことのない、スカンジナビアデザインの置物やめずらしいものがあふれていた。車は仕事用と遊び用と2台必要とかでいつも最新のスポーツカーがあった。ボーグなどの海外の雑誌があふれ、まだインターネットのない時代の最高の情報原だった。
バーベキューなど今習わなければならないなど誰も考えないだろうが、当時はDIYもなく、バーベキューセットも売ってない時代にバーベキューの本を出し、我々は彼女の開発したバーベキューセットを買って、意気揚揚と奥多摩渓谷などにドライブし、バーベキューをしたのだった。
ともかくまだ香辛料とて満足でない時代に、本物の料理を教えて下さった深雪先生は色々な意味で母のそれからに大きな影響を与えた人であった。
今考えても中々面白い時代だった。母の姉は伊東孝といい、当時の第一線のファッションデザイナーであった伊東茂平と結婚していたので、私達は彼らから最新のものを知ることが出来た。
伊東茂平の成城の自宅は当時、めずらしい平屋の洋館で、家具はすべてインテリアデザイナーの剣持勇のデザインしたもので、雑誌でしか見たことのない、スカンジナビアデザインの置物やめずらしいものがあふれていた。車は仕事用と遊び用と2台必要とかでいつも最新のスポーツカーがあった。ボーグなどの海外の雑誌があふれ、まだインターネットのない時代の最高の情報原だった。