年末年始、震災の映像がたびたび流れ、遅々として進まぬ復興に心が痛む。年末には布団袋4個布団を送った。
あの津波で押し流され、瓦礫が撤去され、建物の基礎だけが残された広漠たる被災地で何かできないかと考え続けていた。子供達も遊ばないこの土地に子供達に未来の明かりを見せられないだろうかと。
幼児環境研究会で仲田先生と住吉さんと三人でその何かを話しているうちに移動遊園地を被災地に巡回させて見たらということになった。
わくわくする遊びを、何もなくても遊べる遊びを被災地の子供達にも体験させる場を作ろう。子供達に来させるのではなく、子供達も親も親戚も皆いる所に遊びを届けよう。そうだ移動遊園地が被災地を巡回すればどうだろう。ホールや園庭が失われた幼稚園や
公園などの遊び場が失われた保育園なども助かるだろう。
それは地域の大人達に遊びの失われた子供達の環境を知らせることが出来る。そして日本中の人々に本来の遊びはどうあるべきかを伝えることが出来る。大企業に奪われた現代の子供達の遊びを取り戻すきっかけになるかも知れない。
移動遊園地とはサーカスのように遊具と共に移動してやってくる。ヨーロッパでは昔から遊園地は移動遊園地のことと言っても良い。メリーゴーランドも観覧車も移動して来る。射的やびっくり箱、若者達のデートの場所として夜も営業している。
我々のイメージしているのは移動遊園地とは言うもののもっと幼児のための遊び場だ。機械仕掛けの遊具は必要ないと思っている。前回夢の実現で書いたように、夢の実現への過程を楽しむ施設作りをしたい。子供達の勇気を育て、達成感が感じられる遊びを提供したい。
ある時、移動遊園地がやってくる。サーカスのようにテントを組み立てるところから子供達が参加する。お父さんもお母さんも、近所の人もそしてボランタィアも皆で協力してテントを立て、遊具を組み立てる。つまり夢の実現の過程の遊びだ。やがてそれは完成し、協力した大人と子供が一緒に遊ぶ。テントには観客席がある。これは遊びを見る大人達の場である。おじいさんもおばあさんも皆で遊ぶ子供達を見て楽しむ。子供達が主役の劇場のようなものだ。もちろん色々な遊具がある。砂場や滑り台や三輪車のサーキット、子供達が見たことも無い素敵なツリーハウスやお店屋さんなどゴッコ遊びの背景となる遊具が用意されている。それぞれの遊び場にガキ大将役のボランティアのお兄さんやお姉さんがいて一緒に遊んでくれる。そんな遊び場を考えている。
ディズニーランドや遊園地にある大規模な機械仕掛けの遊具は排除する。帰ってから子供達がゴッコ遊びやそのまま真似のできる遊びを人間が提供することを基本にしたい。
遊び場はやがて去っていく。記憶だけが残ることは大切なことだ。いつでも遊べるのではないこと、大切なことは機会を逃すと手に入らないことを覚えなければならない。何日かの熱狂がさめる頃、移動遊園地は次の町に去って行く。
子供達は何かを得るはずだ。土台しかなかった広漠たる被災地に子供達の遊ぶ声が響く。子供達が作った移動遊園地をまねた小さなテントがこの土地の復興ののろしになるかも知れない。
梁塵秘稀の歌にこんな歌がある。
遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さえこそ揺るがるれ
「人は遊ぶために、戯れるために生まれてきたんだなあ、子どもが無邪気に遊ぶ声を聞いていると、大人になってしまった私まで心が揺さぶられるよ」
あの津波で押し流され、瓦礫が撤去され、建物の基礎だけが残された広漠たる被災地で何かできないかと考え続けていた。子供達も遊ばないこの土地に子供達に未来の明かりを見せられないだろうかと。
幼児環境研究会で仲田先生と住吉さんと三人でその何かを話しているうちに移動遊園地を被災地に巡回させて見たらということになった。
わくわくする遊びを、何もなくても遊べる遊びを被災地の子供達にも体験させる場を作ろう。子供達に来させるのではなく、子供達も親も親戚も皆いる所に遊びを届けよう。そうだ移動遊園地が被災地を巡回すればどうだろう。ホールや園庭が失われた幼稚園や
公園などの遊び場が失われた保育園なども助かるだろう。
それは地域の大人達に遊びの失われた子供達の環境を知らせることが出来る。そして日本中の人々に本来の遊びはどうあるべきかを伝えることが出来る。大企業に奪われた現代の子供達の遊びを取り戻すきっかけになるかも知れない。
移動遊園地とはサーカスのように遊具と共に移動してやってくる。ヨーロッパでは昔から遊園地は移動遊園地のことと言っても良い。メリーゴーランドも観覧車も移動して来る。射的やびっくり箱、若者達のデートの場所として夜も営業している。
我々のイメージしているのは移動遊園地とは言うもののもっと幼児のための遊び場だ。機械仕掛けの遊具は必要ないと思っている。前回夢の実現で書いたように、夢の実現への過程を楽しむ施設作りをしたい。子供達の勇気を育て、達成感が感じられる遊びを提供したい。
ある時、移動遊園地がやってくる。サーカスのようにテントを組み立てるところから子供達が参加する。お父さんもお母さんも、近所の人もそしてボランタィアも皆で協力してテントを立て、遊具を組み立てる。つまり夢の実現の過程の遊びだ。やがてそれは完成し、協力した大人と子供が一緒に遊ぶ。テントには観客席がある。これは遊びを見る大人達の場である。おじいさんもおばあさんも皆で遊ぶ子供達を見て楽しむ。子供達が主役の劇場のようなものだ。もちろん色々な遊具がある。砂場や滑り台や三輪車のサーキット、子供達が見たことも無い素敵なツリーハウスやお店屋さんなどゴッコ遊びの背景となる遊具が用意されている。それぞれの遊び場にガキ大将役のボランティアのお兄さんやお姉さんがいて一緒に遊んでくれる。そんな遊び場を考えている。
ディズニーランドや遊園地にある大規模な機械仕掛けの遊具は排除する。帰ってから子供達がゴッコ遊びやそのまま真似のできる遊びを人間が提供することを基本にしたい。
遊び場はやがて去っていく。記憶だけが残ることは大切なことだ。いつでも遊べるのではないこと、大切なことは機会を逃すと手に入らないことを覚えなければならない。何日かの熱狂がさめる頃、移動遊園地は次の町に去って行く。
子供達は何かを得るはずだ。土台しかなかった広漠たる被災地に子供達の遊ぶ声が響く。子供達が作った移動遊園地をまねた小さなテントがこの土地の復興ののろしになるかも知れない。
梁塵秘稀の歌にこんな歌がある。
遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さえこそ揺るがるれ
「人は遊ぶために、戯れるために生まれてきたんだなあ、子どもが無邪気に遊ぶ声を聞いていると、大人になってしまった私まで心が揺さぶられるよ」