「由布院発、にっぽん村へ」(ふきのとう書房 2001年)より
怖い町の話
○○町はゴルゴンに変身しているんじゃないか。頭の毛がヘビで、そいつがうねうねと鎌首をもたげるという、ギリシャ神話に出てくる妖女だ。
ヘビも怖いし、女も怖いけど、その二つがつながって同じ生態を生きると怖さが百倍する。
○○町の空間にも異形のものが派手に息づいている。町の外から何かが飛んできて、たちまち何ものかに変身し、そのまま町に生えついてゆく。むろん、どこの町だって異文化は入れている。入れなければ町が死に果てるからだ、拒食症の人間のように。
しかし、それでも怖い町と怖くない町がある。歴史の中でじんわりと異文化を消化し、自分の細胞として合成してきた町は怖くない町。そういう能力を失ってしまった町が怖い町。人間でいえば自律神経失調症だ。消化能力も合成能力もうまく働かない。こういうとき急いで八ツ目ウナギを食っても視力が強くはならず、代わりに八ツ目ウナギそのものがほっぺたに生えてくる。こいつがにょろにょろとヒゲを震わせるのだ。
どうする。カネや、モノや、クスリを「外」から注入しても自律神経失調症はよくならない。さかしらにデザインなどで締めつけてもたかがしれている。それよりも「内」の生命の機能や働き、さまざまの仕事や生活の現場を循環させることがいちばんだ。
そうすることで「内」の機能がバランスをとり戻す。生命が渦を巻いて「外」からの八ツ目ウナギは極上の体内タンパク質となり、町の人の目をきらきら輝かせることだろう。