停年後の生活を楽しみましょう。

常識を脱して、新しい目で停年後の生活を考えましょう。定年後は自分のために楽しむ時間です。

「宗教は地球人の平和の源」№07 宗教は権力者に利用された。

2018年05月04日 | 老人の知恵
 宗教の目的はその発生も含めて「人々の平和と安寧」これだけです。その様に人々のためだけを目的に出来た宗教が何故争いの場に出て来るのでしょう。
 ここからは私の偏見に満ちた私見ですからご批判は多々有るかと思いますが、ご批判は構いませんがそれに反論することはありません。ご批判を聞く耳だけにしておきます。
 まず「イスラム教」ですが、古い歴史は私には解りませんが、ここ数十年の行動から見えることは「テロと虐殺行為」です。勿論イスラム教徒が総てそうしているとは思ってはいません。極々一部の人の行動であることは承知しています。そしてその背景にあるのが「宗派の違いが原因の争い」でも有ります。その他に深刻な問題として「貧困と差別」がテロの原因になって居るのではと思います。
 このシリーズの2回目に書いた「テロにも○分の理」の2つ目「経済的苦境を克服するため暴力に頼った人。」これも大きいと思いますが、この人達には真の宗教心は無くなっています。如何なる理由を付けようとも神が暴力を・人殺しを許されるはずが無いからです。テロに走る人は宗教を口にすることも許されません。如何に貧困から脱するためであっても人を不幸に陥れて自分が幸福になる。そんな事を神が許すはずがありません。
 次は「キリスト教」です。キリスト教の聖者は素晴らしい人が沢山出ました。自らの苦しみを棚に上げて「多くの人に幸福を授けるために、地球の隅々まで布教に赴かれました。」誰にでも出来る事ではありません。心豊かな聖者にだけに出来ることかも知れません。
 しかし、世の中には何時の時代でも人の真心を踏み躙ってでも自分の利益を優先させようとする人が出て来ます。それが時の権力者、王様と言っても良いでしよう。
 自国の利益のため、自国の裕福さの追求のため。未開国を自らの属国にして(植民地支配)暴力による富の略奪を始めました。当時の先進国の人々の多くは平和な暮らしを望む純粋な人々でしたが、権力を手にした人々(王様)は更なる富を求めました。これが有名な数学の定理ですが、一般社会でもこのような使い方をされています。「富める所には富が集まり、富まない所には集まらない」(詳しくはマルコフニコフ則で検索して下さい。)
 つまり富を得た王様は更なる多くの富を求めます。それが植民地支配でした。

「日本の伝統」武道の「道」は日本の守るべき「精神」です。
 「剣術」「柔術」「弓術」は日本の戦闘術です。海外にも「フェンシング」「洋弓」「射撃」「レスリング」などの戦闘術は有りますが、日本では近年「○○術」は「○○道」と呼ばれる様に成りました。それは「勝つための術」から「精神的な修行道」に成長しました。
 この「道」と言うのは、日本独特の戦闘術の発展系です。「相手に勝つための術」を「自分に勝つための道」に発展させた日本は素晴らしい。私も「合気道」のファンです。